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最も厳しい関わり方

無知の知、という言葉がありますね。

古代ギリシャのソクラテスは己の無知を自覚することが真の認識に至る、
知らないことよりも、知らないことを自覚してないことのほうが罪深いと説きました。  

なんだか分かったようでわからない、

例えば、こんな例はどうでしょうか?
部長に不満いっぱいの課長が、『ダメ上司に読ませたい本』を(そんな本が実在するかどうかはともかく)部長に一度読ませたい、とぼやいていたら、それを聞いていた課の社員たちが一斉に顔を見合わせた、という話。

つまり、課長さんこそ、その本、読んだほうが良くない?
って意味ですね。

ことほどさように、人のアラはよく見えるけれども、自分のことになるとできていないことがわからない、知らないことがわからない、そんなことはたくさんあります。

サポートスキルでは基本的に「できること・あるもの」に焦点を当てた質問をします。

その方が相手にとって、行動に繋がりやすいからです。

しかし時には、気づいてないこと、できていなかったことに、焦点を当てる質問をすることがあります。
人間関係が上手く行かない時、思ったように仕事がはかどらない時、その方が自分でも気づいてない原因がその方の中にないだろうか、
例えば、いつも肝心なところで、考えを詰めずにあきらめてしまうパターンがあったり、
いつも辛くなると他者のせいにしてしまっていたり、
相手のためだと正当化しながら、相手をコントロールしようとしてイライラしていたり。

本人が向き合ってない、気づいてないところに焦点を当てて、気づいてもらうことを試みることがあります。

しかし、これは、かなりリスクを伴うことです、
相手が不快に感じたり、恥をかかされたと受け取ったり、攻撃的になったりするケースもあるからです。うまく行っていた関係性が壊れることもあります。突然、心を閉ざしてしまうこともあるのです。なので、そのタイミングは本当に難しいです。

いつも、今こんな質問をしてもいいのだろうか、と考えます。
この課題は、今、その方が向き合うにふさわしい時期だろうか、と。いつか気づいてほしい気もするけれども、それは今でなくてもいいかもしれない、など、毎回ぐるぐる自問自答しています。


ただ「気づく」ということだけが、その方の本当の学びや成長に直結するのです。
人は本当に、自分は知らなかったんだ、と気づいた時はじめて、本気で知りたいと思い、模索し始めます。つまり自主的に行動を起こし始めるのです。それも素早く熱心に。

自分が分かっている領域と知らない領域、できている領域とできていない領域がある、ということが分かってはじめて、他者に対して本当の意味で謙虚になれます、真剣に耳を傾けることができるのです。

それを「無知の知」という言葉は示しているのだと思います。

そして、それがまさに成長の起点となり、そこから真の「対話」が始まります。

サポーティングとかコーチングとか、とかく甘いと言われることがよくありますが、決してそうではありません。相手に自立を促す関わり方は、本当は最も厳しくて、だからこそ、愛に溢れた関わり方なのかもしれません。



あなたはそんな関わり方をされたことがありますか?
もしくは、したことがありますか?

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