旅を続けたいと考えた原体験 ストリートチルドレンと過ごしたベトナム記
自分の知らない世界に思いを馳せる時、情報収取をする人は多いのではないか。
「知識として知っていることは、果たして真実なのか?」
この問いを聞いた時、「いや、真実でしょ」と答える人がいると思う。
だって、「そうでなければ、学びの意味は?」となるでしょう?
私も、聞いた情報、調べた情報が間違っているとは思わない。
私より、頭のいいひと、知識のある人が言った言葉、書いた文献はとても信用性が高い。
でもね、それって本当に真実なのかな?
事実である可能性は高いけど、それって新鮮な「リアルな今」なのかな。
今回は私が旅に出て気づいた「肌で感じたベトナムのリアル」について、話していこうと思う。
ベトナムを訪れたきっかけ
好奇心だけで行動し、きっかけを掴んだ19歳
私がベトナムを訪れることになったのは19歳の時。
通っていた短大のサークルがきっかけだ。
入学してすぐに、ベトナムのストリートチルドレンと交流するサークルがあることを知り、迷わず入部を希望した。
当時から海外について興味深々だった私は、「どうせ行くならしっかり学びたい」と思い、200名以上いるサークルの長に立候補した。
海外が好き。実際に行ける。やったー!
子どもが好き。海外の子どもと関われる機会なんて貴重!
2つが掛け合わさったこの企画は、私にとって、とても魅力的だった。
この想いだけで入部を決め、サークル長にまでトントンと一人で進んでしまったのだから、今思えば行動力にあふれていたと思う。
そんなこんなで私のベトナムへの道のりは始まった。
準備を進める中で感じたこと
まずはベトナムの現状を知ることから始めた。
目覚ましい経済成長を遂げているベトナム。終戦から45年以上経った今もなお、枯葉剤の影響、孤児の増加など、子どもたちを取り巻く社会問題が根深く残っていることが分かった。
貧困格差もあり、学校に通えず、生活費を稼ぐために働いている幼い子どももいる。
何か手助けになればと思い、微力とも偽善ともとれる寄付金や物資を集め、持って行くことを決意した。
知らなかった想像しなかった社会の動き
募金や物資を募る背景にはこんな思いがあった。
募金の呼びかけは町や店などでも目にする機会が多い。
だが、そのお金は果たして全額しっかり現地に届くのか?
もちろん届く場合もある。
しかし、運営元を見極めることは難しい。
もしかしたら、手数料として何パーセントかは届かないかもしれない。
寄付金が届いたとして、正しく使われるのかわからない。
ならば、「自分たちの手で直接全部届けよう」そう考えたことが、この決断を後押しした。
現地で感じたリアルなベトナム
足を踏み入れたベトナムの地で思ったこと
単純に交流が楽しみであった私達は、現地で子どもたちと仲良くなるために、遊び道具もたくさん持って、初めて訪れるベトナムの地に思いを馳せながら飛行機に乗り込んだ。
初めて降り立ったベトナムの地は、「生暖かいちょっと不快な気候」というのが、第一印象であった。
町へ向かって車を走らせていると、なんともまあバイクの多いこと。
バイク大国とは知っていたけれど、「ここまでか!」と衝撃を受けました。
ここですでに、知っている情報と感じる情報の違いに、心を弾ませていたことを覚えている。
現地でのスケジュール
現地では観光も楽しみつつ、目的である子どもたちとの交流を行った。
観光や体験
現地フードである「フォー」を食べ、パクチーに初めて出会い、苦手であることを知った。
伝統民族衣装である「アオザイ」も着た。
可愛い雑貨の店もたくさんあった。
自由行動をしていると、街の人は割と日本語で挨拶をしてくれた。
バイクの交通量の多い道を歩行者が渡ることは勇気がいる。でも、止まってくれないので、覚悟を決めて渡るしかない。
そんな発見が楽しかった。
ベトナムの歴史背景を知る
ホーチミンにある戦争証跡博物館へ訪れた。
ここは3階建ての展示館が中心となっており、敷地内にはベトナム戦争で使用された戦闘機や戦車の野外展示の他、コンソン島刑務所の牢獄を再現した建物や売店があった。
文献や記事を読んでいるときには感じられなかった、戦争証跡博物館で解説してくれるベトナム人の方の気持ちが、言葉は通じなくとも雰囲気や顔つきで伝わってきた。
そして、ツーズー病院へ。
ツーズー病院平和村は、ホーチミン市にある産婦人科科専門病院であり、ベトナム戦争によって被害を受けた人々の支援のためドイツNGOの協力によって設立された。
この病院には現在でも、ベトナム戦争によってベトナム全土に散布された枯れ葉剤の影響と思われる先天性の奇形や障害(水頭症や手足の障害)を持った子どもたちが約60人暮らしている。
ホルマリン漬けの展示もあり、なかなか足を運ぶことをためらってしまうが、自分の目で実際に見たインパクトとそこで感じた思いは、色濃く、今後の自分の人生に残るものだと思う。
ストリートチルドレンとの交流
ストリートチルドレンとは、家族を離れ、あるいは失い、子どもだけで生活している者、貧困家庭から家計を支えるために路上に働きに来ている者、家族全員が路上で生活している者を指します。
ストリートチルドレンの実態:貧困のサイクルを断ち切るために│The Social Issues (the-social-issues.com)
ベトナムの社会事情として、生活費が足りなく、子どもを出稼ぎに出している場合がある。そして身寄りのない子どもは、誰か権力のある強い大人と一緒にいる可能性がある。
その場合、道端でお金を乞う子どもたちにチップをあげたとしても、目の前の子どもの助けになるのではなく、もらったお金はボスのもとへ。
チップがたくさん集まれば、ノルマが厳しくなる可能性もある。
助けを乞う子どもを目の前に、断ることはとても心が痛むが、一見冷たいとも取れるこの対応が、本当は子どものためだったりすることもある。
孤児院
ベトナムにはまだまだ枯葉剤の影響を受けて生まれてくる子どもたちがたくさんいる。
そしてまた、障がいを持ってうまれてくる子どもたちは、親が金銭面などの理由で面倒を見きれず、孤児になってしまう子もいるとのこと。
ベトナムの孤児院にはそういった事情で、障がいを持っている子どもたちがたくさんいる。
生まれてたときからベッドに寝たきりの子ども。
手足が自由に動かせず、ごはんも食べさせてもらわないといけない子ども。
頭が膨らんでいたり、目が飛び出していたりする子どもなど。
未だ枯葉剤が、罪のない子どもたちに与えている影響が感じられた。
現地の人々や子どもたちとの交流を期に感じたことがあった。
それは、
笑顔は言葉の壁を超えること。
伝えたい思いがあれば、伝わること。
この気づきこそが、知らない土地へ運ぶことに対してのハードルを下げた、私の旅の原体験につながる。
知らない世界を自分の目で見たい、感じたい
頭で知っていることと、実際に経験をして知っていることは違う。
肌で感じる、五感で感じるからこそ、気づける学びが多いことを、私はこの旅を通して知った。
他人の意見に耳を傾けないということではないが、実際に自分の目で見て感じた情報はすごい。
そして、異文化に触れることは知らないことだらけで考える。
考えることこそ、旅を求める、続けるうえで、人々が豊かに生きていくうえで、大切なことではないかと私は思う。
だから私は自分の目で見て感じたことを大切にしたい。
だから、私は旅をする。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?