見出し画像

その価値観 誰が決めたの?

家にヤモリがいた。

ヤモリは漢字で書くと「家守」と書くため、昔から、家の中に出ると縁起がいい生き物とされてきた。

もちろん、縁起がいい裏付けとして、害虫を食べてくれるなど、人間にとって助かる働きをしてくれていることも確かだ。

ここで、ヤモリとトカゲについて考えてみる。
どちらも爬虫類で、容姿も似ている。

もし、ヤモリもトカゲも苦手だった場合で考える。

トカゲが家に出た場合、きっと悲鳴をあげ、すぐに追い出すだろう。

一方、ヤモリの場合も、驚き悲鳴は上げるかもしれないが、縁起がいい生き物という理由で、見つけた時の嫌な気持ちは、トカゲに比べて少なくなるのではないか?

こう考えると、どちらも似ているのに、肩書きがあるとないとで、私たちの感じ方は変わってくる。

肩書きやブランド力で、私たちの価値観や感じ方は大きく変わることがわかり、面白い。

苦手な人が多いであろうゴキブリも、所詮ただの虫で、他の昆虫となんら変わりない。

それなのに、ここまで嫌いという国民が多いのは、私たちが生まれた時から、周囲の環境、近しい大人達がこぞって、ゴキブリを見ると悲鳴をあげ駆除をし、安心する姿を目にしてきたからである。

子ども達は、常識なんてないまっさらな状態であるため、大好きな親や周りの大人の振る舞いで常識が作られていく。

ゴキブリに対して、悲鳴をあげず、カブトムシと同じように大切に飼育をしていたら、きっと、そのような扱いをするし、ゴキブリに対しての印象も変わるはずだ。

私たちが見ているもの、思っていることは、知らず知らずのうちに周りの環境によって作られた価値観である可能性が高いのだ。

肩書きや周りの評価でしか、対象のものの価値を決められない、見られないのは、なんとも狭く寂しい価値観だと思わないか。

普段当たり前と思っていることは、本当に当たり前なのか、よく考えて過ごしてみると、自分の価値観や選択肢が広がり、自由に生きられるようになるかもしれない。

この記事が参加している募集

文学フリマ

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?