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同じルールで、異なることをする。

その昔、学外交流会が大学で催された時があった。


その内容は退屈すぎて微塵も覚えていないが、

一つ、自分にとって面白いと感じる瞬間があった。


それは「フリーセッション」と呼ばれる時間だった。


このフリーセッションとは、とにかく何かの話題で盛り上がろう。

そんなもので、
出席者が議長にフリーセッション設立用紙なるものを書いて提案する。

そうすると議長の裁量により、
全部で9つくらいの島に分けてフリーセッションを促す。


フリーセッションと聞こえはいいかも知れないが、内実は完全な遊び。


そのフリーセッションの内容は「人狼」「友達作りたい」「ラーメンについて語りたい」というなんとも言えない内容だった。


ただ私は、このフリーセッションの時間に何をするか?

ということに情熱を注いだアホの1人だった。


ここに惹かれた理由は


「様々な参加者が同じ条件下で、客集めをしている」


というロジックに勝手に私が置き換えたからだ。

自由な競争がそこにはあった。


「フリーセッション」の時間は私にとって

「広告の効果測定と営業活動の実験」に思えた。


フリーセッションでどうやったら私の島に来てもらえるのか、

様々検討・観察することにした。


すると、以下のことがわかった。



・議長に認可をもらえなくても、島を占領して良い。


・そもそも用紙に書いて提案する様なことは大抵却下されるのでクリエイティビティがない。


・大人数を集めるより、マイノリティを集めた方が手っ取り早い


・今まで見たことのない物や題材に人は惹かれる。



ということだった。



そもそも参加者は100人程度いて、
その中で自分の意見が通るわけがない。

なので、実はこのフリーセッションで自分の意見が正式に採用されて島があてがわれた事は一度もない。


しかし、
実際には毎回私はフリーセッションのセッションリーダーを務めた。


では一体どうしたのか?


簡単な話で、一番弱い(人が少なくてつまらなそうな)島を併呑した。


そもそも題材で人が集まっていなかったら、

そのグループの中にいる人たちは他の場所に目が移る。


「周りは人狼やって楽しそう。俺たちはどうしてこんなにつまらない事をしているんだろう・・・」


しかし、一度形成されたコミュニティに入るのは中々勇気がいるもので、

基本的に自然消滅するのがオチだった。


そうして無くなってしまった島を占領しても誰も何も言わない。


結果的に毎回自分の意見が通る。

という荒業に出ることができる。


しかし、これでは実は非効率的だ。


乗っ取ってしまうことができれば、一気に人材を確保することができる。

そこで、クリエイティビティが光る題材を用意してあげる。


え、難しいと思うかもしれないが、訳ない。


単に他の人がやってない話題だったらなんでもよかった。

もはや話題でなくても良い。表現活動でもよかった。

ちなみに何回か繰り返して一番効果が高かったのは


「ひとりぼっち」


という名目・題材だった。

(具体的に何をやるのかというと、”何もやらなかった”というのがこの題材の大きな特徴だった。”ひとりぼっち”という看板を作って私は机にうつぶせてこれ見よがしにふて寝していただけだ)

周りは人狼をやっているのに、
孤高を貫く者がいると自然と気になるものだ。


ともあれ、そういった独自性のあるものは集客能力がある。
(内容の重要度は関係なかった。それよりも題材が興味深く分かりやすいことが重要だった。)

孤立していてもやるべきだ。


そして、こういった存在に惹かれる存在がいる。


そう、マイノリティーだ。


あの小さな、弱い島にいた人たちは間違いなくマイノリティーだった。

会場の中で弱い立場にあった。救いを求めていた。


そんな中でたった1人で何かよくわからんけど
「ひとりぼっち」で抗う奴がいる。


しかも隣に・・・


このままではつまらないから何か話しかけてみよう。


君もひとりぼっちだろう?僕らも弱いマイノリティーなんだ。


という感じで向こうからあっさり併呑されにくる。


彼らは手を差し伸べた気持ちなんだろうが、

実はその瞬間から彼らの話題がすげ変わっていた。


「ひとりぼっち」に対する話題に変化しているのに誰も気づいていない。



何か中身がわからないが、楽しそうにしているマイノリティー


普通、マイノリティー側は楽しくなさそうに縮こまっているのに
何か面白そうだ。笑顔が絶えない島がある。


人は、好奇心に抗えない。


「人狼」というよく見知った題材よりも、次第に「ひとりぼっち」という意味不明で中身がよくわからないけど、なんだか人がそれなりに集まっていて楽しそうという雰囲気と評判になってくる。



そうなるとどうなるか?


「人狼」に飽きたプレイヤーや負けたプレイヤーがちょっかいを出しにくる。

そう、また彼らも手を差し伸べてきたのだ。


しかし、相手は「ひとりぼっち」

馬鹿にするのは非常に楽しい。(僕はそれにツッコミを言って返す)


そうすると会話のない「人狼」より、
楽しい会話ができる「ひとりぼっち」に居たくなる。


そして、彼らも徐々に併呑し、ついには「人狼」の島が消えた。


私を中心にした謎の集団「ひとりぼっち」の出来上がりというわけだ。



わぁーっはっはっは!!!

その時ばかりは愉快な事この上なかった。



さて、これらの話から言えることは、

「同じルールで異なる事をする」重要性だ。



多くは語らないが、鶏頭牛後というやつが近いと思う。


ルールに飲まれるより、ルールを作る側になった方が面白い。

同じルールで同じことをするより、異なることをしていればいずれ勝てる。
(比較優位の原則とも言うのでしょうか?)

これは広く社会や人生において生かされることなんじゃないか?
と思うわけで。

そこに創造性や「あそび」というものが存在している。


だからこそ、今日も僕は人と異なる事をし続けるし、それは1人でも良い。

そのうち人は集まってくるもんだ。(と思う)


大事なのはブレないこと。異なり続ける事。


だから俺はひとりぼっちでいいのさ!!!

寂しくないもん!!


・・・うん、かっこよく決まった。
と、思う。思いたい。


S,cat



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