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大学院時代の話。

最近、とある人に「あけまつさんって大学院中退してますよね。中退しなければよかったとか思うこと無いですか?」と質問をされた。

そういえばそうだったのである。自分はM1の後半くらいで大学を中退している。

なぜ中退をしたのか

大学院を中退した理由というのは、本当に大した理由ではないのだけど、音楽活動にドハマリして、そっちとの両立ができなくなったというそれだけの話。

音楽をやめるつもりは無かったし、かといって両立ができないものは仕方がないので、徐々に徐々に大学院の勉強、研究に身が入らなくなり、それが指導教員やらまわりの先生にもバレ始め、こんなんならやめたほうが良いだろうなぁという判断で、中退を選択した。

「後悔したことはないのか」という話題について。これに関しては、1秒たりとも後悔をしたことはないと断言できる。あのとき、僕は大学院中退という選択肢を選んだことは、自信を持って「正解だった」と断言できる。

大学院は地獄だった。

もちろん向き不向きってのはあると思うし、あの世界にちゃんとピタッと合うことができる人はいるんだろうけど、正直、大学院は地獄の底みたいな世界だった

自分は大学院時代、割と成績が良かったので、成績優秀者用の特別プログラムみたいなのに選ばれたのである。お金もらいながら特待生コースみたいなのに通えるみたいなやつ。しかしそのコースは、通常の大学院での研究に上乗せという形で大幅に受講すべきカリキュラムが増え、しかも、D進と海外長期インターンシップまで確約をしなければならないというもので、特待生プログラムに採用されたときはまぁ頑張ろうと思っていたのだが、音楽活動に注力をするにつれて、どんどんその重圧が重たくのしかかってきた。

結果として、これは無理だなと辞退を申し出たのだけど、このくらいから、指導教員からの「今更何を言っているんだ」「辞退は認めない」という圧力がかかり始める。特待生プログラムの本部に相談をしにいったら、「指導教員よりも先に本部に行くとはどういうことだ」と叱責され、「もう多くのカリキュラムをこなしてD進までをする意欲がない」といえば、「そんなことは認めない」と叱責をされ、どっちに言っても叱責、叱責、叱責の日々が続いた。

そのうち大学にもだんだんと行かなくなり、そうするとメールによる圧力と叱責。大げさではなく、精神崩壊寸前だったと思う。で、それによって今度は音楽活動にも支障が出始めた。毎晩酒で精神を紛らわせる日々で、体調はどんどん悪くなっていった。で、無理して続けて倒れるくらいだったら、中退して露頭に迷ったほうがマシだと判断して、中退をすることに決めた。

中退すら許してくれない

で、周りに相談をすると、今度は周りが中退を止めてきた。「絶対に後悔するぞ」「先生の面子が丸つぶれだ」「考え直せ」と、誰もが僕の中退に反対した。でも、かといってもう、あの世界に戻るのだけは絶対に嫌だったので、頑なに中退の意思を貫いた。親からも止められたが、とにかく俺は中退以外考えられないということを強く主張したら、なんとか認めてくれた。

そして指導教員に「中退しようと思います」とメールで伝えた。そのメールってまだ残ってるのかなと思って探してみたらまだ残ってた。当時を思いだすなー笑

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そうすると今度は、指導教員たちによる引き止めが始まった。「やめずに残れ」「修論だけでもいいから出せ」「後悔する」という総攻撃で、これには本当に参った。最後には確か、僕と、教授3人での面談というのがセッティングされ、とにかくやめるな、絶対にやめるなという一点張りの圧力がひたすらにかけられ続けた。

まぁでもそこでも、とにかく絶対に「やめません」と言ったら終わりだと思って、「僕はもう迷いはないです」ということだけを言い続けた。そうしたら、指導教員が最後に、「意思を尊重します」と言ってくれた。

中退が決まって、指導してくれていた先生にすいませんと挨拶をしにいったら、「裏切り者」「もう二度と会うことはない」と言われた。あぁー、こういうこと言っちゃう人とはやっぱり長く付き合うことなんて出来なかっただろうな、と思いながら僕は東北大学を後にしたのを覚えている。それ以来、あのへんにはあまり近寄っていない。

中退してから

中退してからすぐ、音楽を一緒にやっていた相方が逃げた。僕は一人になって、多分このときが僕にとっての人生のどん底だったと思う。

酒を大量に飲むことしか、もはや気を紛らわす方法がなくなって、毎晩毎晩泣きながら過ごし、自殺しますと周りに連絡をしまくったりなんかしたことも何度もある。気がついたら原チャリで福島駅にいたりなんかもあった。結局、この時期は精神安定剤としばらく付き合うことになった。後日とある先輩から「あの時のお前は本当におかしくなってた」と言われた。ここでなんとか死なずに耐えられたのは、おそらく何だかんだで死ぬのが怖かったということと、あと、なんとか酒で気を紛らわすことが出来ていたから、そして何と言っても、いろんな人が話をきいてくれて、夜通し一緒にいてくれたこと、だと思う。

ここから立ち直るのには結構時間がかかったけど、結局、恨みと怒りのパワーでその元相方を無理矢理に振り切った。人生、時にはそういう負のエネルギーを利用することも必要なのかも、ということを学んだ。

コワーキングスペースと出会って

その後結局音楽も鳴かず飛ばずで、個別指導のフリーターをやりながらほそぼそと生きていたのだけど、流石になにかやらないと、という気持ちでソシラボというコワーキングスペースにふらりと行ってみた。

そこで知りあった人たちのお陰で、起業という選択肢がだんだんと見えてきて、今となってはうまくやれている。今ある仕事は、ほとんどすべてがこの「ソシラボ」からつながってきて出来上がったものばかり。僕は本当にこのコワーキングスペースに足を向けて寝られないなと思っている(向けてるかもしれないけど)。

自分は多分、こっちのほうが合っていた。今はとても楽しくやれている。

やめたことも、入ったことも全く後悔していない

まぁそんなこんなで、聞かれてもいない自分の人生をちょいとばかし自己満足で振り返ってみました。こうやって書いてみると、大学院に入ったことを後悔しているのかって思われるかもしれないのだけど、大学院は入学したことも含めて、全く後悔はしていないです。

多分あそこで学部卒で就職とかしていたら、今ほどワクワクしながら色んな仕事を自由にやることは出来なかっただろうし、もっともっと視野が狭い人間になっていたと思う。

大学院時代、音楽時代、本当に頭がおかしくなるほどに苦しくはあったけど、僕が人間として成長できたのも、間違いなくこの経験があったからだった。あまりにも苦しい世界だったからこそ、自分の足で歩かざるを得なくなって、それが以外にも自分にも合っていた。そして、自由に自分の足で、いろんなところに行けるようになった。

あ、俺あのときと比べて成長したな、っていう時点を今現在と比べると、その間に必ず「苦悩」や「挫折」ってある。人生って多分、そういうものなのである。月次だけど、辛いときほど、人間って成長をしているのだ。

こういうわりと壮絶な経験を、生きているうちに出来て僕は本当に良かったと思っています。起業してからも苦しいこと、辛いことたくさんあるけど、まぁ、なんとかなるだろうと思って今は生きてます。楽しく。

雑多に書きましたが、僕の人生経験が、誰かひとりでも、なんとなくなにかの参考になればいいかなと、思ってます。

ではでは。

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