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わたしと旅とこれからの未来

記憶にある限り、初めて海外に興味を持ったのは
高校生の時に受けた授業がきっかけだった。

「世界ふしぎ発見」のモルディブ編を見た時に、
こんな美しい海があるのかと猛烈に感動し、いつか絶対モルディブに行きたい!!と思ったことを今でも覚えている。

確か、地球温暖化による影響でサンゴ礁が失われつつあるという題材で先生は見せてくれたんだと思うんだけど、何がきっかけで好きなものに出会えるかは分からないものだ。

こうして、「いつか海外に行ってみたい!」という夢ができたわけだけど、当時は、まさか自分が本当に日本から離れて海外に行くなんてことは、想像もしていなかった。

実際、私たちの高校は卒業旅行が選択制になっていて、北海道、沖縄の他に、シンガポールも選べたけれど、ビビりな私は未知さへの怖さが勝って無難に仲の良い友達と同じ北海道を選んだほどだ。

あくまで、私にとっての海外は“いつか”“大人になったら”という夢でしかなかったのだ。

それでも旅をすること、海外への憧れがあったからなのか、せめて国内旅行するなら、人とは違うところに行きたいと思っていた。

加えて、モルディブへの憧れと、当時付き合っていた人の影響もありダイビングをするように。

大学生になってからは、屋久島、小笠原諸島と
周りの友達があまり行かないような場所を好み、
ちょっとした優越感のようなものを抱いていた気がする。(今振り返ると、恥ずかしくなるような優越感である。笑)

なにより、島の良いところは比較的やることが明確だったことも、私にとっては安心材料になっていた。

観光といっても、そんなにあちこち巡るわけでもないし、船で島に行くこと、ダイビングをすること、トレッキングをすること。

それだけで行く目的としては十分だった。

他の地域、例えば、分かりやすく京都や北海道に行くとなったら、観光名所もグルメも沢山あるけど、当時の私は、そこでの楽しみ方がイマイチ想像できなかったのだ。

これは、費用対効果を考えていたのかもしれないし、単に旅の仕方が分からなかったこともあるだろうし、私が遊び下手でコンテンツ頼りになっていたのもあると思う。

けど、そんな私に転機が訪れる。

大学3年生の時に潰瘍性大腸炎と診断されたことがきっかけで、本当に人はいつ病気になるか分からないことを身にしみて実感することになる。

ちなみに、多くの人が、病気だったり、嫌なことだったり、「自分自身に何かしらのトラブルが起きて、ようやく気づく。」という経験をすると思うのだけど、

つくづく、何かが起きる前に自分ごとにできないものかと思うわけで。

しかも、一度起きたら一生忘れないどころか、
何度似たようなことが起きても忘れてしまうことがあるから厄介である。

当たり前は当たり前ではない。
人はいつ病気になるか、いつ死ぬのか分からない。

このことを頭でわかってはいても、どうも行動が伴わなずに、優先順位を間違えたり、未来のことに不安になって今をおそろかにしたり。。。

どうにか、病気だったり何かしらで表面化する前に、心と体の声を聞ける自分でいたい…!

というのは、ここ最近はより強く思うことである。

少し話が逸れたけれど、幸か不幸か病気になったおかげもあり「いつか」は一生来ないかもしれないと、分かりやすくスイッチが切り替わる。

何より、生粋の天邪鬼である。

先生から海外に行くのはリスクが高い。などと言われたものなら、余計にどうにしかして行きたくなるもの。

とはいえ、いきなり海外に渡航するのは流石にハードルが高く、まずは青春18切符を使って中国四国を周遊をすることに。

“しまなみ街道を自転車で渡る”というミッションがこの時の旅の目的となった。

初めての一人旅。

どうやって宿を選んだのか、
どうやってスケジュールを立てたのか、
今はもう思い出すことが出来ない。

ただ、ママチャリでしまなみ街道を走り始めて
早々に心が折れそうになったこと。

それでも、渡りきった愛媛まで行かないと
宿がないから引き返すことはできなかったこと。

無事に走りきったは良いけれど恐ろしく日焼けをしていて、道後温泉に入るのを渋り、電話でオカンに活を入れられたこと。

誕生日を一人で過ごして、
友達からの連絡に涙を流したこと。

高知のひろめ市場で隣にいたおじちゃん達から
のお裾分けが心に沁みたこと。

帰りの電車では長時間の電車旅に
腰が砕けるかと思ったこと。

もう10年近くになるけど、
ちゃんと覚えていることもある。

しかもこの旅が旅行会社の志望動機にも
繋がるのだから、今でもとっても大事な思い出だ。

そして、一人旅が終えた頃だったか、
中学時代に苦楽を共にした親友がフィリピンに留学することに。

海外に行くことに尻込みしていた私をよそに、
やりたいこと目掛けて真っ直ぐに海外へと進む親友がとても眩しくて
「いいなあ」と羨ましがっているだけの自分がとってもダサく思えてならなかった。

大好きな親友が頑張っている姿を素直に応援したかったし、私も横に並んで同じように頑張りたかった。

そんな想いもあって、せめて就活を頑張ろうと意気込み、良い報告を持ってフィリピンに会いに行くことを決意。

おかげで海外に行く理由も見出すことができ、
大学4年生の時にようやく海外一人旅のデビューをしたのだ。

病院の先生からは海外、特に飲料水や食事が心配されるようなエリアはリスクが高いと言われていたけれど

フィリピンでもなんとかなったことで味を占め、
卒業旅行では南米ボリビアにあるウユニ塩湖へ。

ちなみに、この時に出会った日本人とは、
8年後に一緒に仕事をする仲間になっていたのだから、本当に人生は何が起こるか分からない。

そして、今デンマークにきて人生の学校フォルケホイスコーレで過ごしているのも5年前の北欧一人旅がきっかけ。(フォルケに行くまでのストーリーはまた別の記事で。)

ここ最近は、
果たして、本当にこのまま日々を過ごしているだけで、自分のやりたい道を見つけることが出来ているのだろうか。

と、未来の自分に対して懐疑的になっていたけれど、これまでも、旅を通じて感じたこと、気づいたこと、出会ったことが、自分の未来に繋がっていた。

だから、もう少しだけ。

もう少しだけ、この旅の行く末を焦らずに見守っていようと思う。

と、
綺麗に締めくくりたいところだけれど、
焦ってしまう気持ちも不安になる気持ちもやっぱりあるものはある!笑

とりあえずは、変に答えを出そうとせずに、
この状態でおいておこう。

こんな時こそ、「エポケー」である。

エポケーとは、ギリシャ語で一時保留のこと。判断をいっさい差し控える態度。 判断中止。

数ヶ月後には変わってるかもしれないし、
数日後に変わってるかもしれない。

いつかは分からないけれど、とりあえずは今の現在地として、今この瞬間に感じていることを未来の私のために残しておく。


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