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テラスハウスは悪くない。打ち切りに反対したい。

テラスハウスの出演者が死去されて、当番組が打ち切りの危機に瀕している。誰かが亡くなった以上はどこかしらが責任を取らなければならないというのがお決まりであり、番組にそれが回ってきているのだろう。そもそも、この事件を考えるにあたり問題はなんなのかを元をたどって考えてみることにした。


1.そもそも問題はあるのか。

なにかしらの責任問題が発生するということは、どこかしらに問題があるということである。それはおそらく出演者の死去である。死去していなかったならば、問題が浮き彫りになることはなかっただろう。まず考えるべきは死ぬことは悪いことなのか、という点だが、それは以前に横浜市の飛び込み自殺の事件で考えたことなので、ここでは「悪いこと」という前提で進める。


2.SNSでの誹謗中傷について

彼女はSNSでの誹謗中傷に苦しめられて死に至ったという前提のもと考えると、ではその「悪いこと」が起きた原因のSNSで誹謗中傷した人が責任を取るべきなのか。「芸能人だって人間である」という言葉をよく目にするがそれは確かにその通りである。しかし殺害予告は確実に犯罪にあたるにせよ、誹謗中傷は度合いの問題でありそれが名誉毀損などの犯罪にあたるかと問われるとグレーゾーン。それを判断するのは情報開示請求後の裁判所でしかない。逆にいうと裁判して有罪と判断されなければ彼らが責任を取ることはできない。

個人的には誹謗中傷がなくなることよりも、過剰な規制で自由な発信ができなくなってしまうことのほうが恐れている。良くないという風潮にすることは良いことだと思うが、では本当に良くないのかと問われるとなんとも言えない。ただ、情報開示請求や裁判の敷居が低くなるのだとしたらそれは良いことだと思う。


3.番組の責任なのか

ではそのような多数の誹謗中傷を招いたテラスハウスが問題なのだろうか。番組そのものがなければ生まれた問題ではないが、その理屈でいうならば死去された方が生まれていなければ、誹謗中傷した方々が生まれていなければ、フジテレビやネットフリックスが存在しなければ問題は生まれていないのであって元も子もない話となる。話を極端にしてみたが、テラスハウスは視聴者に誹謗中傷させて出演者を死去させるように作為的に番組づくりしたわけではないと思う。ただ演出の都合でヒール役に見立てることはあるだろうし、それによるSNSでの反応は予測できたかもしれないが。

しかし番組からすると、その後のことは知ったことではない、というのが事実なのではないか。番組関係者は番組が面白ければ良いのであり、その後のケアは事務所や出演者が担うべきことだ。ただ、出演が決まった段階で番組の性質からして視聴者が番組を鵜呑みにしてしまうリスクを十分に共有したかどうかは気になるところではある。また、番組制作において出演者に(本人が拒否してもなお)なんらかの強要をしていたのなら話は別である。


4.番組の性質

テラスハウスはフェイクドキュメンタリーという手法を用いている。フェイクドキュメンタリーというと「嘘を本当に見せる」ものだと思うかもしれない。よく「台本がある」とか「すべて作り物」とか見るが、それは誤解があるように思う。テラスハウスの手法は基本的にはなにを喋るかは出演者に任せている。ときに番組から設定を提供することはあるかもしれないが、少なくともすべて台本だというのは明らかな間違いである。だとするならば、演技経験のない人でも演技がうますぎるだろう。

どちらかというと番組の作為が色濃く反映するのは編集のステップである。番組をある一定の方向に導くために、出演者をわかりやすいキャラ付けをするために、都合の悪い部分をカットしたり強調したりすることは十分にあるだろう。しかしそれも、火のないところに煙は立たないように嘘かと問われるとグレーゾーンだ。

それはなにもフェイクドキュメンタリーに始まった話ではなく、ドラマ、バラエティ、報道、あらゆる番組において使用されるテクニックだ。芸人のツッコミを過剰なテロップで引き立てるところから、偏向報道、プロパガンダまでテレビ黎明期からしてきたことである。こう考えると、テラスハウスは番組づくりとして問題ないように思われる。もしそれでも嘘を本当と見せかけていることに問題があるならば、ではなにが嘘なのか、また、では多くの他の番組は問題ではないのかを問うべきだと思う。


5.私が恐れること。願うこと。

もしテラスハウスが打ち切りになったならば表現の幅というものが狭まってくると思う。業界関係者はあらゆる情報操作に慎重に(それはもともとなるべきだが、過剰に規制されることになる)ならなければならない。フェイクドキュメンタリーという手法に飛び火がきて使用することができなくなる。もっと大げさにいうならば、テラスハウスそのものが問題であるならば、フェイクドキュメンタリーと同様の問題をはらんでいるあらゆる番組もまた問題である。たまたま問題が生まれたのがテラスハウスだったのだと思う。

視聴者にフェイクドキュメンタリーに対しての造詣を深めてほしいとは思わない。あまりに深まってしまうとその演出が効かなくなるから。ただ、少なくとも情報を操作しているメディアの性質をまったく知らない人が誹謗中傷をするのではないかと思うので、そういう意味でメディアリテラシーを上げていくことは大切だと思う。

考えてみるとやはり責任の在処は難しい問題だと思う。そもそも責任を問い詰めること自体が謝りなような気もしてくるが、しかしそうせずにはいられないのでもっとも大きな組織の番組まわりが責任を負うことになるのだろう。


この記事を書いた理由は、「テラスハウスがすべて作り物である」という知った気になっている人の誤解を少しでも解消したく書いてみました。

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