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木曽熊野ルートS(4) 全国制覇、そして旅は永遠に続いていく。


随分と時間が経ってしまいましたが、以下記事の続きです。




DAY6
松阪のホテルをチェックアウト、駅であらためて腹をくくって和歌山までの切符を購入した。紀伊半島を一周すれば全国制覇できる、観光名所はひととおり巡ったことになる。不純な動機だけど、名古屋に滞在したことで一度ゼロになった旅のモチベーションを復活させるには十分だった。

多気駅から紀伊山地に突入していく。開通に長年を要した険しい道なりで、この線路に沿うように伊勢神宮と熊野三山を結ぶ伊勢路がある。その伊勢路を大幅にショートカットして、熊野市駅で下車した。

海側に新しくトンネルができたため今や日の目を浴びなくなったトンネルがあった。これができる前は、峠越えをするか後述する海岸沿いの断崖絶壁ルートしかなかったのではないかと思う。歩いて通ろうとも思ったが、ひとけのないこのトンネルに少し足を踏み入れるとゾクゾクとした恐怖に襲われたため引き返した。

志摩から続くリアス式海岸の最南端、鬼ヶ城。地殻変動と波風の侵食という自然の力と歴史を感じさせるもの。熊野三山だって相当な歴史だが、人類史なんて比べものにならない。それに価値を与えたり感じたりするのは紛れもなく人なのだが。ここは観光地としても知られているので人もちらほらいたり、食事のとれるお店があった。
たまたまかもしれないけれど、1月にもかかわらず途中から半袖でも問題なかった。で、気になって調べたけどとくに暑い地域でもなく、動き回っていたから体温が上がっただけと思われる。

熊野古道伊勢路のひとつ松本峠を歩いてみた。
修験道が盛んな時代(平安時代)はいうまでもなく信仰がその最たる目的であり、旅という意識があったわけではない。ここ熊野三山は修験道としての歴史も古い。その地に、「全国制覇」という旅の動機で訪れている。
江戸時代、伊勢参りや参勤交代が始まると街道や宿場が整備され、旅という意識が徐々に生まれてくる。木曽編は、まさにその時代の旅をしたつもりだった。

ああようやく全国制覇した、ここまで長かった〜〜〜という達成感と、
これからも旅は永遠に続いていく、まだまだちっぽけだあ〜〜〜という
まだまだ知らないことがある未来へのワクワク感を抱きながら、
記念に自撮りした。

こっちみんな



その後は、熊野名物のめはり寿司を食べたり

目を見張りながら大きな口を開けて食べる様子から名付けられた


那智勝浦では会社の上司へ梅酒を送ったり

テイスティングでほぼ全部の梅酒を飲んで酔っ払った


もちろん生マグロもいただきまして

生まぐろ水揚げ量日本一です


宿泊先のゲストハウスが意識高めのところだったので
おすすめのバーを教えてもらい、そこのマスターと旅人トークしたりしたのでした。

那智勝浦、この日は観光客が僕のほかもう1人しかいなかったみたい。オフシーズンの平日っていうのもあると思うんだけど。
みんな〜もっとひとり旅しよう〜〜〜(中盤で力尽きて雑な締め)


次回は木曽熊野ルートS最終章です。




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