【何でも屋】のススメ

器用貧乏。
あまり耳にしたく無い言葉かも知れない。
…きっとそれは[貧乏]って言葉の印象だと思うんだけど。


僕は自他共に認める【何でも屋】で、音楽・映像・デザイン・Web・イベント企画など色々な分野に手を出してきた。

元々、興味があるものには飛びつく性質というのもあるけど、凝り性という部分も多分にある。そこに合わせて、10代の頃からやっていた音楽活動が更に拍車をかけた。

音楽活動をちゃんとやろうとすると、宣伝物(紙・電子媒体)を作ったり、映像コンテンツを作成したり、イベントの主催なんかもしていく事がある。

それぞれの専門分野の人がいるのは重々承知しているし、それらの人によって自分が思いもよらないアイデアや技術が組み込まれ想像を超えたモノが生まれる事がある。

それを承知の上でも他人(バンドメンバー以外)には頼らなかった。
人の手が入ることによって【自分が作ったものの純度】は絶対に下がる。
自分の名前で世の中にリリースするという事は、全てにおいて自分が責任を取らなくてはいけない。
僕にとっては純度が下がる事と、言い訳の逃げ道を無くす事が大事だった。


冒頭にだした、器用貧乏の悩みというのにぶつかった事もある。
当時、結構時間をかけてこの問題について考えた。

結果として、自分は器用貧乏の道を突き進むことにしたのだった。

複数の分野に手を出しているからこそ気づく事もあるというのは経験上わかっている。また同様に、目の前の案件を処理する時に次の可能性を想定して目の前の問題をクリアする。

たとえば、写真を撮る時にデザインのことを想定して撮ったり、デザインをする時に企画の立場で考えたり。デザインをしながら映像を作るとしたら…や、映像の方向性がこうなっているけど他との兼ね合いは等々。

一人で色々な分野を横断して考える事ができ、物をつくれるのが強み。
というか、その強みがなければ器用貧乏の意味がない。
そのためには、それぞれで一定以上の知識や技術が必要である意味では専門的になるより難しい部分も出てくる。

それでも、自分はこの道を進むし進むべきだと思っている。
何か新しい事って生み出すのは難しい。
おそらく、全く今まで見た事・経験した事のないものは生まれないし、生まれたとしても受け入れられにくい。
そうなると、他分野との組み合わせが新しく見える何かだし、それが種になって次のものが生み出される。

そんな可能性の高さは器用貧乏の中にこそ見えるのだ。


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