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相棒を探しに

「初めての方は基本的にはお断りしているんですよ。かかりつけの病院は無いんですか?」
「去年閉院しました。それ以来どこにもかかってないです」


……等といったやり取りの後に、受け取った問診票を持って、待合室のソファに座った。
(あんなふうに聞かれた事ってこれまでにあったっけ?)
名前や住所を記入しながら、記憶を辿るも思い当たらない。
それが2020年を経た上での一般的な変化なのか、それとも単純にわたしがずっと同じ病院にお世話になり続けてきたがために、これまで経験し得なかっただけなのかは分からないけれど。


◆◆◆


上京してから約6年間。
コンタクトレンズの処方箋を貰うために、ずっと同じ眼科に通っていた。
おおよそ3か月に一度の頻度で通ったその眼科は、当時の最寄り駅から徒歩1分以内という抜群の立地でありながら、平日の夕方に行くと意外なほど空いているおかげで待たずに済む事がとても便利で、まさしく「かかりつけ」と呼べるほどお世話になってきた場所だった。

最寄り駅が変わった後も、あの街に遊びに行く口実が出来たとばかりに、電車に乗って同じ眼科へと通い続けた。
(引っ越し後に初めて行ったのが土曜日の午前中だったので、あまりの混雑ぶりに絶句した事を今も覚えている)

最後に行ったのは、2020年の1月頃だったと思う。
それから時が経ち手持ちのコンタクトレンズの残数が心もとなくなってきて、そろそろまた行った方がいいかな、などと呑気に思っているうちに緊急事態宣言が発令された。
その眼科は商業ビル内のテナントの一部として開業していたので、商業ビル自体がスーパーマーケット以外の全店舗の営業休止を決めたため、それに倣って休業を余儀なくされたようだった。

途方に暮れていると、眼科に隣接するコンタクトレンズの販売店舗からメールが届いた。
緊急事態宣言下における特例措置として、過去にオンラインショップで継続購入した履歴があれば、処方箋の期限が切れていてもコンタクトレンズの購入を可能にするという内容だった。
助かった!! と、すぐさまオンラインショップで注文を行い、その時は事なきを得た。



ステイホームを心がける日々を過ごすうちに、季節が春から初夏へ、そして梅雨へと移り変わった。
ほとんどのお店が営業を再開したものの、レジカウンターのビニールカーテンや、床に貼られたソーシャルディスタンスを促すテープといった、これまでに見た事がない付属品を伴っての再開だった。
お店を利用する側のわたしもマスクを着用して、店舗入口で手のひらを消毒してから入店する。
浮足立った手探り感に満ちた街で、最小限の滞在時間を心がける外出を続けていた。

だから、と言うのは完全に言い訳だけれど。
緊急事態宣言が明けた後も、コンタクトレンズはネットで購入する事を続けていた。
最初は店舗のオンラインショップを利用したけれど、調べたらわたしが使っているメーカーのものは、大手通販サイトでも購入が可能だった。
そちらを利用すれば、いつもの店舗で普通に買うより安い上にポイントも貯まる。
外箱に書かれた「定期検査を必ず受けましょう」の文言に後ろめたい気持ちになりつつ、今はこういう状況だから仕方ないと考えていた。

そんなタイミングで、例のかかりつけ眼科の閉院を知った。
困ったな、などと考えている間にまた時が経った。


◆◆◆


先日、いま住んでいる街の最寄り駅から一番近い場所にある眼科に行ってきた。
閉院した例の眼科受診から数えて、1年2か月程の間が空いた事になる。
(眼に関して詳しい方、仕事で何らかのかたちで携わっている方、日常的にコンタクトレンズを使用している方、そしてそのどれにも当てはまらない方。それらすべての人達から、呆れられても仕方ないことを承知でこれを書いている)

その際に受付の人と交わしたのが、この記事冒頭の会話だ。
眼の状態によってはコンタクトレンズの処方箋は出せない可能性がある、とも伝えられた。
それを了承した上で問診票を受け取った。




結論から言うと、コンタクトレンズの処方箋は貰えなかった。
診察時にまぶたの裏側の写真を撮影され、画面に表示されたそれを指して「アレルギー症状が出てます」と説明を受け、点眼薬の処方箋を出される事になった。
裸眼での診察だったので、わたし自身は表示された写真を見ても、何か赤っぽい肌色のものが写っているようにしか確認できなかったのだけど、お医者さんの説明によればすごいことになっているらしい。
(その説明だけでも相当グロテスクだったので、写真が見えない事は伏せておいた)

普段隠れている上に、積極的に確認する事もない部分。
だから現状が視界に入る事も無く、痛みなどの自覚症状も無かった。
自分で何かしら気付く時が来るとしたら、もっと取り返しのつかない状態になった後だったかもしれない。
出された処方箋を持って訪れた薬局のソファで、それをじわじわと痛感した。いざ自分の身に降りかかる事で思い知るあたりが愚か者ではあるけれど。




というわけで、昨日から眼鏡で生活をしている。
処方された点眼薬は一日四回の点眼が必要で、コンタクトレンズを装着した状態では行えないからだ。

手持ちの眼鏡は自宅用として作った度数が弱いもので、基本的にかけたまま外出をする事は今まで無かった。
そしてこれまで風邪や花粉症などとも縁が無く、コロナ禍に見舞われるまでは、日常的にマスクを装着する機会も無かった。
だから眼鏡をかけた状態でマスクをつけると、眼鏡のレンズが曇って視界不良になる。
そんな当然の現象を、初めて思いっきり突きつけられる事にもなった。

レンズの曇りがなかなか取れないせいで、外を歩いていると濃霧の中にいるように感じられる。
電車内でも建物内でも晴れない濃霧。
面白いけれど真面目に不便だ。
眼鏡の位置をずらす事で解消できると気付いてから、ようやく気兼ねなく歩けるようになった。

とはいえ、本屋さんに行ってもきっと書架に並んだ背表紙の文字が見えない。
春服が欲しいけれど、店内の全身鏡に映る自分の姿がぼんやりとしか見えない事も想像がつく。
だからスーパーで二日分の食材を買って、スタバでさくらのシフォンケーキとコーヒーを買ってから帰宅する事にした。
入り口横の棚に並んだカラフルなタンブラーたちは、ぼんやりとしか見えなくても存在感抜群で華やかだった。




眼科のお医者さんからは、一週間後にまた通院するように言われている。
未だにこれといった自覚症状も無いままなので、他人事のようにピンとこない部分があるのも本音だけど。
だからこそ次回の診察で、少しでも回復しているといいなと思う。


そして、次回の診察結果がどうであれ。
去年できなかった、いや、やらなかったことをやろうと決めた。
両目を労ること。
定期検査を怠らない事は大前提として、それ以外にも出来ることを考える。


近いうちに、新しい眼鏡を買いに行きたい。
マスク生活の終わりがまだまだ見えない今だからこそ、どんなふうに装着しても曇りによる視界不良を気にしなくて済むような。
と同時に、仕事でも本屋さんでも困らないような眼鏡を。

コンタクトレンズは便利だけど、確かに最近はその「便利」に甘えてほぼ毎日、朝から寝る前までずっとつけっぱなしにする事を続けていた。
(ワンデータイプなので朝一で装着して、寝る前に外してゴミ箱にポイしてからお布団に入っている)
加えてテレワークが始まった事で、普段職場でデュアルディスプレイで行っている業務を、それより小さなノートパソコンの画面でこなしていたのだ。
両目も休まる暇がなかったんじゃないだろうか。

生涯付き合っていく自分の一部である事実に、あまりに無自覚であった事を今になって反省している。
出社日はコンタクトレンズ、テレワーク日は眼鏡、、、と使い分ける事で、負担を減らす事から始めていきたい。

あと他に何ができるか……。
これを書いている今も思い巡らしている。
考えることと行動することはワンセットだ。