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個の追求は正義か?それとも...

人間は常に無いものねだり。
ヒトの厄介な習性ではあるが、何かを手にしてもまた次の何かを手にしたくなるからこそ、常に進化に向けて頑張れるというのはある。
特に今は個の時代だと言われ、自分の幸せファーストな生き方に光が当たっている。働き方改革、ダイバーシティ、オープンリレーションシップなどなど、個性を認める事こそ幸せの追求であるとして、無いものをねだりまくって良いという時代である。一方で悪く言えば自分さえ良ければ良いという最強の自己満足時代に突入している。
ただ、仕事にしてもプライベートにしても完全な自己満をKPIに考えて行動して良いものなのか?誰しもが不安に感じる過渡期でもある。そもそも無い物をねだっても、結局また無いものを欲しがるならキリが無いわけなので、であれば今あるモノに価値を感じて大切にすべきという考えもある。むしろそう考えて我慢するのが今までの「正」とされてきたように感じる。
いづれにしても個の欲望の追求が本当に幸せな人生に繋がるのか、今時点で答えは分からない。考えに個人差もあるし、個では得られないモノを欲しがってしまい、結局同じ無い物ねだりのループに入る可能性もあり得る。
ただひとつだけ気付いたことがある。無い物ねだりにはキリがないというのは実は違うかもしれないということ。なぜか?人には必ず死があるから。
時に矛盾があっても死ぬまでに無いものをねだり、手にし続ける人生が最高の幸せかもしれない。しかし人はそこまでシンプルで合理的に作られていない事も事実。簡単に答えに辿り着けない。もうこの手の話はどちらが良いとかでは無くて、それぞれの哲学に委ねられるという事なんだよね。他人に強制もするべきじゃなくて。
いづれにしても起業家は無いものをねだって反骨精神やモチベーション、そしてビジョンが形成される世界だったりするので、無い物ねだりを辞めた瞬間に終了する。

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