48. 「もうやらなくてよくない?」と思ったとき

こんばんは、しいまです。


今日は大掃除しようかと思ってましたが、
気づけばのんびりと1日過ごしてしまいました。。

平日明けの休日1日目ってこうなりがちでして。。

まぁこれはこれで良い1日だったということにして、

明日こそは大掃除します!



* * *

さて、今日の話ですが、
今日は、継続してると出てくるであろう、

「これ以上はよくない?」
「もう十分じゃない?」
「これ以上同じことをやる意味あるかな?」

と思うことについて話をさせていただきます。



昨日の記事では、

「まずは量」
「1000時間以上はするつもりですること」

とお伝えしました。


それについて考えていたところ、
「わたし、途中でこうなりそうだよな」
と思い浮かぶことがありました。


それは、
ある程度までできて、パターン化できたら、
あとはその繰り返しをしているだけになって、

「もう同じことの繰り返しだし、これ以上はよくない?」

と止める理由にしてしまいそうだな、
ということです。

同じことの繰り返しになってしまえば、
やっている意義を感じにくくなる。


囚人への罰として、
穴を掘って、また埋めさせる

というのがあったそうですが、
それと同じように思えてしまう。

そうなったら、途中でやめたくもなりますよね。

あと、
箸の持ち方や自転車の乗り方って、
使えるレベルになったら、
それ以上上手くなることって、中々ないじゃないですか。

10年経ったら、自然と箸の使い方が達人レベルになっていた、
ってことはないし、

自転車も乗れるからといって、ただ日常で乗っているだけで、
自転車のプロと同じぐらい乗りこなせるということはないですよね。


それと同じで、
使えるレベルになったからといって、
そのレベルでただ使っているだけで、
気づいたら、どんどんと成長していたということはない、
と思っています。


「え〜〜。使い続けるだけじゃダメなの?」
と自分でも思いましたが、

自転車とかの例を思いついてしまうと、
使い続けるだけで、成長していくとは到底思えなかったのです。。。


とまぁ、

・同じことの繰り返しと思って、途中でやめてしまうこと
・パターン化して、同じ範囲で繰り返すようにしてしまうこと

この2つがこの先の挫折としてありそうだなと思いました。

というか経験則で、
こう思ってやめたことがいくつもあるんですよね。。。



なら、どうするのか?

行為としては同じことをしているのであっても、
続けていること自体に意義を感じる、
設定にすることです。

そう、
これは「その行為自体をどうこう工夫しよう!」の話ではなく、

「その行為をどう見立てているか」の話だと思っています。

やる意味を見出せない解釈にしてるだけ
と思っています。


ではどんな見立てにすればいいか?

自分の純度をより上げていく修行

と思うのがいいです。


純度とは?

行動の源、動機の純度だと思ってください。

なぜこれをしているのか?
なんのためにその活動をしているのか?

そういう一番純粋なところにある想い。

「こうなりたい」
「読んでくれた人に、こうなってほしい」
「楽しんでもらえますように」

などの純度を高めていく

より澄んだ水に、
より澄んだ火に、
より澄んだ香りになっていく

そのために毎日これをしているんだ

と見立てるのがいいと思っています。


そう思っていると、
筋トレと同じように、
意義を感じられると思います。

そう心の筋トレと思ってもいいですね。

肉体の筋トレとは違って、
心の筋トレは上限がないです。

どこまでも高めていくことができます。


まぁ、わたしは心の筋トレと思うと、
あんまり気分が乗らないので、

「より澄んだ火に、炎になっていく」

と見立てるのが好きです。


日常にファンタジー要素が混ざると思うと、
なんか少し気分上がるんですよね。

まだまだ、少年心があるのかもです。



と「純度を高める修行」と思ってやっていると、

同じパターンでの繰り返しから、
はみ出る動きが自然と出てきますし、

途中で「もうこれ以上、やり続ける意義を感じない」
となって挫折することなく続けられると思っています。

やる意義を見出せると思っています。

まぁ、目指す純度の高さ次第ではありますが。

「純度なんて、ライターの火ぐらいでも別にいいよ」
とかだったら、
「もう十分」と満足してやめちゃうと思います。


目指す純度は、

もしその火を他人に見せるとしたら、
どれくらいの純度になっていたいだろう?

という前提だと思うと、
「もっと高めたい!」になると思っています。


これに限った話ではないですが、
「どうせ誰も見ない」と思っているものは、
おざなりになりますが、

「この後誰かが見る」と思っていると、
美しくしたくなる心理が働きますよね。

この心理を活かします。


なので、自分がいっっちばん尊敬する人、
漫画のキャラクターでもいいです、
神様でも、閻魔様でも。

そういういっちばん畏敬の念がある存在に、
一切恥じることなく、
堂々とその火を見せれるぐらいの純度に育てるのがいい

と思っています。

聖火とか、
煉獄さんの炎とか。


こう思っていると、
現実世界の誰であっても、恥じることなく見せれると思います。

「あの人に見せれるぐらいなんだから、
 へっちゃら」みたいに。


そして、しょぼい状態だと「見せれないよ!」となって、
背中を押されるように動けたりしますよ。



というわけで、
最後まとめますと、

「もう同じことの繰り返しだし、これ以上はよくない?」
と思ったら、

自分の純度をより高めていく修行
と思うこと。


のススメでした。

もしみなさんが何かで、
やる意義を見出せなくなりそうなら、使ってみてください!

それでやる気が復活すればうれしいです。


それでは今日はこの辺で。

お読みくださり、ありがとうございました。


少し変えることで、日々がととのいますように。
ととのった状態で、出会いを迎えられますように。


しいま



PS.
3日前に「新シリーズ始めます!」と言いましたが、
あれは撤回させてください。

「手書きイラストを描けるようになる習慣」を
公開していこうと思っていましたが、

つい昨日「1000時間以上はすること」と教わり、
「何を終わった気になっているんだ」と触発されたので、
まずはライティング1本に注力しようと思います。




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