見出し画像

溢れんばかりの「好き」たち

好きなものがたくさんある、何気に。

どちらかと言えば悪いところに目が行きがちで、悲しい性格してるな〜と思っていたけれど、どうやら様々なものに胸がどきどきするようなので、多分私はたくさんのものが好きなのだと思う。


そして好きだ...となるといてもたってもいられなくなって、お布団の中でジタバタ、ワーー叫びたい!といった気持ちになることが多々あるので、せっかくなら好きなものの好きなところをひたすら話したいと思う〜〜〜!!


米津玄師

高校までの人に「うみってどういう人?」と聞いたら多分、多くの人が「米津玄師が好きな子ね」と言うと思います。あの頃私の米津玄師の話聞いてくれた人、多分めんどくさかったと思います、ごめんね、そしてありがとう...。


小6か中1くらいのとき、友だちから「アイネクライネ」を教えてもらってから、どっぷり米津玄師のことが大好きです。中2のときわざわざ東京まで行って観た初米津玄師のライブで大号泣をして、帰りの新幹線で友だちと死にかけていたこと、本当に良い思い出。


大切なライブだったので今でもチケットを持っている。私が持っている大切な紙切れのうちの一つ。
高校受験が個人的に本当に苦しくて毎日澱んだ心で生きていたとき、そばにいてくれたのは米津玄師の音楽だったから、彼は私にとって冗談抜きで命を支えてくれた人で、心から信じている人なのです。


個人的に大好きな曲は、
・アイネクライネ
・ミラージュソング
・心像放映
・乾涸びたバスひとつ
です。去年サブスク解禁したから、ぜひ聴いてほしいな。


星野源

アーティスト繋がりで、星野源。大学になって出会った人に「うみってどういう人?」と聞いたら「星野源が好きな人ね」と答える人もちらっといるのかもしれない、それぐらい最近、急激に好きです、本当に好き。

実は、全然星野源の曲に詳しいわけじゃないんだけれど、なんかもう、何故かとにかく好き。あの、まずね、見た目が好きです。笑顔が本当に綺麗。高校時代から笑顔が素敵だなあと思っていて、考査期間とかで辛いとき「星野源 笑顔」で検索しては一緒ににこにこしてたくらい好き、ぜひ検索してほしい。


そして、彼は書くエッセイがめーちゃくちゃおもしろい!
私、この俳優が好きだ!みたいなのがあんまりないし、エッセイって「私はこんな素敵な日常を送って、素晴らしいことを考えてます!すごいでしょ!」みたいなことが書かれてんだろうな、というド偏見をもっていたのでなかなかエッセイに手を出せなかったんだけれど、ちょっと星野源に関しては気になりすぎて読んだ。ら、本当によかった。なんか、ああこんな素晴らしい音楽を作り演技をする人間でも、頭の中は普通なんだなあと思って嬉しくなっちゃった。

「そして生活はつづく」というエッセイの中に「ビシャビシャはつづく」という章があって、水回りがビシャビシャになるという話だったんだけれど、「わかる〜!!!!」となったし、「いのちの車窓から」で「未来の自分にメッセージを送る」という話があって、それもよくやってたことだから「わかる〜!!!」となった。星野源と一緒のこと考えてる!ってなって脳内お花畑になってた。

それくらいわかる〜となるのに、やっぱり大病を患ったことがあるだけあって、いろんな考え方に重みもあって。とにかく彼には一生幸せであってほしい、とても好き。


昔から手が好きです。
理由はちゃんとあって、私は昔から自分の手が嫌いです。なんか、ださい。つまらん手をしてるなと思う。手が嫌いなので人に字を書くところとか見られるのがずっと苦手でした。

だから綺麗な手に憧れていた。私、絵が苦手なんだけれど、手だけはずっと練習していて、「理想の手」をずっと自由帳に描いていました。こんな爪だったらなあ、こんな指だったらなあという理想を詰め込み、気づいたら手が好きになっていました。

手ってすごい。手からさまざまなものが作り出されている。音楽だって手から作られている。手には生命力があるなあと思います。

この前星野源のオンラインライブ「Gratitude」を家で観たのですが、そこに収録されている曲に「桜の森」ってのがあって、後半ギターを弾いている手がアップで映るんですけど、それがあまりにも綺麗で(星野源は手が綺麗なのです)、しかも、ただ綺麗なんじゃなくて、そこからあんなかっこいいギターが奏でられているってところが、本当に素敵だ、力強いなあと思って感動した。

中村佳穂が「手は生き物」とTwitterのプロフィールに書いているけれど、まさしく、手は生命を宿した一つの生き物だと感じます。


フィルムカメラ

フィルム写真が大好きです。写真自体好きなのだけれど、最近は特にフィルム写真が好き。

高校生のとき、部活の友だちがカメラを教えてくれて、最初は「いい写真=いい画質」みたいな方程式があったから画質の粗いフィルム写真の良さなんて全然わからなかった。フィルム代と現像代がかかってコスパ悪いし。


でも、フィルムってなんか「エモい」から、当時「エモい」に憧れていた私は何となく写ルンですを買ってみた。そしたら、現像に出すまでどう写っているかわからない、という状態にすごくワクワクしてしまって。タイムカプセルのような気持ちになるのが嬉しくって、こりゃ良いぞ、と思った。
そこから本格的にフィルムカメラを買い始めてからは、もう沼です。



フィルム写真のいいところは、不完全なところにあると思う。不完全で曖昧だからこそ、あたたかいなあと思ったり懐かしいなあと思ったりする。なぜならそれは、頭の中にある「思い出の映像」に近いからです。


頭の中にある思い出の映像は、時が経てば経つほど粗くなっていく。あの日みた音楽準備室とか、夕日に照らされたあの子の髪の毛がすごく綺麗だったこととか、思い返してもどこか曖昧。でも、私たちはそういう思い出と共に生きていると思う。

フィルムの写真は、そういう思い出の映像に一番近いから、心にじんわりと沁みます。私はそう思っています。だからフィルム写真が愛おしくて大好きです。



まだ好きなものはあるけれど、さすがに書きすぎちゃうのでこんな感じです。ここまで読んでくれてありがとう...。



好きなものに目を向けると、世界ってけっこう素敵だ、と思える。悲しいこともあるけれど、まだまだ大丈夫、定期的にこういうこと思い出して生きていきたいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?