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本当は全部無理だよ〜っていう話

noteには、極力明るいことを書きたいと思っている。悲しいことを書いても、最終的には明るくもっていきたい。なぜなら、悲しみが形になって残ってしまう感じがこわいから。


特にフィルム日記ではそういうふうに努めている。基本フィルムを撮った日はすてきな日ばかりだから当たり前なのだけれど、そういうすてきな日を暗い言葉で覆いたくないなあと思うので、そのとき感じたやわらかくて温かい思いを残すようにしている。


だから、もしかしたらそれを読んでくれている人たちは、この人は超絶日向人間なんだな、と思っているのかしらん、とふと感じたのです。
事実、わたしはありがたいことにすてきな友人や尊敬できる先輩、たくさんの趣味など、恵まれた環境をいくつかもっていて、明るく生きているのは間違いないのだけれど。
でも根底ではなんだかずっと、どうしたもんかなという思いが顔を覗かせている。


わたしは自分のことを晴れ女だと思っている。それを姉に話したとき「自分のことを晴れ女っていう人はポジティブなんだって」と言われたことがある。理由は、この世に晴れ女なんて本当はおらず、晴れた日のことをよく覚えているだけだからだそう。
「わたし晴れ女なんだよね」という言葉は基本的にポジティブな文脈で用いられることが多いので、この場合の晴れはイコールポジティブと捉えることができるらしい。
つまりそれに則ると、わたしはポジティブらしい。


しかし、わたし自身は正直自分がどっちなのか、最近はわからない。もう、全然無理なのです、全部が。

言霊って本当にあると思っている、スピリチュアル的にというよりもっと科学的に。無理だ、つらい、嫌だ、と暗いことを言い続けたら脳みそはそういう言葉を生み出すようになってしまい、いろんなことを悲観的に捉えやすくなってしまうと思う。だからあんまりそういうことは言いたくない。
どれだけ嫌なことがあっても、それには何か意味があると思いたいし、悲しい出来事も人生の糧になると信じている。そして実際そうだったことが多いから、全てに意味があり、つらいときも今強く凛々しくなっている途中なのだと思っている。
この考えは、結構ポジティブな方なんじゃないかと思う。ポジティブ、というか、前向き、という感じ。


でも、そう思おうと努力しているだけで、本当はもう無理なのだ。泣きたいし、助かりたい。何に対してなのかはわからない、でもとにかく、誰か、何か助けてくれとずっと思っている。
どれだけ背筋を伸ばして歩いても、身なりを整えても、睫毛を青く塗っても、楽しい街に出ても、どこかずっと助かりたいのだ。


最近はちょっと、めげる環境に身を置かなければならない状況にあるのでなおさら。そんな環境に絶対くじけるもんかと、自分なりの一番強くてかっこいいわたしを纏う。そうやって心身を保つ。でもその環境から逃れた瞬間全然座り込んでしまう。それでもそんなのしょうもないから、馬鹿らしいからと、スタバに行ってあまいあまい飲み物とスコーンを食べたりする。それでプラマイちょっとマイ。


過去に言われた言葉がぐるぐる回る、もう何年も何年も回る。何度もふと思い出す。その言葉があったから今のわたしがあって、それはいい、きちんと糧になった。でももうぐるぐる回ってほしくないのだ。疲れた、本当に全然もう面倒くさいのだ。


それでもとにかく歩くしかない。多分、そういう人って案外多いのだと思う。へとへとだけどとにかく歩き続けるしかない、止まったら動けなくなってしまうかもしれないという人。ささやかだけれど、そういう人がほんとちょっとでも安心してほしいなと思って、こんなnoteを書いている。
何にも楽しいことなんて書いてないし、自分も明日読み返したら嫌になって消してしまうかもしれないけれど、たまにはこういうのを書いてもいいのかもしれないね。

全部無理だよ〜って、たまにはじたばたしましょう。きっと味方はたくさんいるから。

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