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チームを観察するスクラムマスターのその次

何事に置いても「リーダである」ということに、上下や階級の意図は含まれてないはずなのに、なんだかリーダーって上の人な気がするんですよね。メンバーの気持ちからすると。

特権的な何かを持ってそうだからでしょうか?

何かを決定していい人みたいな気がするから?

Scrum Guideで語られている「真のリーダー」だとか「スクラムマスター」みたいなのって余計に怪しいし、成果物責任も負わないのかよ!
ってちょっと嫌な存在にすら思えてきますよねー。

まずはそんな理解から本題に入っていきます。

スクラムマスターは「観察」する

スクラムガイドやスクラムの本の中に「スクラムマスターとはなんぞや?」みたいなのがあると、書いてあることがあります。

スクラムマスターは観察をする

私はCSMからCSPーSMを持っていますが、CSMにおいては「観察」を強く語られたように感じます。

スクラムチームを、開発者をプロダクトオーナーを観察するのだ!といった内容だと思います。

しかし思うのですが・・・「観察」とかもう偉そう!!
マスターに観察される・・・みたいな・・・。
評価されて・・・怒られて・・・みたいな。

もう何だか観察されて息苦しそうですね。

「観察する」を紐解く

●辞書的な意味ってなんだろう?

かん‐さつ〔クワン‐〕【観察】
読み方:かんさつ
[名](スル)
1 物事の状態や変化を客観的に注意深く見ること。「動物の生態を—する」「—力」
2 《「かんざつ」とも》仏語。智慧によって対象を正しく見極めること。
Weblio

https://www.weblio.jp/content/観察

●言葉から受ける印象を紐解く

あくまでも私の印象ですが・・・。という前置きの上で。

すごく客観的に、対象の生態を無機質に見ている状態に感じます。
研究材料として、生態を興味というよりデータ的に取得している印象があります。

スクラムマスターの活動としての観察。
ここに否定の余地はないような気がします。
観察をすることで動きを客観的にデータとして取得していくことができます。

事実を集めていく必要があります。

”観察”のその先へ

●観察を否定はしない

スクラムマスターは”WHO”に責任を持つ。
「人」に対して責任を持っていかなければいけません。

“観察”は責任を持つための1つの大事な方法です。

しかし、客観的に観測・観察しているだけでは知りうることができない情報が多々あると感じています。

●知るために充分だろうか?

「客観的な事実」に対してはある一定の成果が得られると思います。

しかし、行動主体の主観的な事実を観察で把握できるでしょうか?

行動主体がなぜその行動を取ってしまったのか、何を感じて行動を起こしたのか。
行動を見ていた/聞いた見たメンバーは何を感じたのか。

これは個々の主観でしか知る由がありません。

●その先に進むために何をすべきか

聴くしかない、問うしかないと思うのです。

そこから、共感し理解していくしかありません。

傾聴することで、相手を理解していきます。
メンバーを個人として組織として傾聴し、理解します。
起きた事象というのは氷山の一角でしかないのです。

表面的事実だけでなく、その内面で起きているものを感じる必要があります。

まとめ

スクラムマスターは「観察」をする。
これは1つの正しい振る舞いです。
しかし、それだけでは理解できないことが多くあります。

人を扱うということは、それだけで不確実性を多くはらんでいます。
事実以上に抽象度の高い、個人の感情やその場の空気を感じていくことで
さらに深い組織というシステムの理解につながっていくはずです。