見出し画像

リボフラビン・シンドローム

チョコレートみたいにドロドロの、深い沼にいるように、彼女の言葉はいつも甘くて辛辣だ。


えー本当ですか?うれしいー。って言ってなんでも叶えてきた子を僕は知ってる。
そういう子はこの世に一定数居て、上手に甘える事で周りを幸福にするのと同時に、支配している。
彼女たちの周りの人間は、いつだって彼女の掌の上にいて、意外と支配されることを喜んでいたりする。


「タクミさんて、」
目の前の女の子が唐突に口を開く。
彼女もまた、支配する側の人間だ。
右耳と左耳の下で若干長さの違うショートボブを傾げながら彼女は言う。
「チョコレートケーキとチーズケーキどちらがお好きですか?」
そうきたか。有無を言わさない、彼女は手段を選ばない。
こちらが甘いものを好きか嫌いかとかどうでもよくて、2つを手に入れる為に彼女は尋ねる。
「チョコレートケーキかな。」
「じゃあ私はチーズケーキ頼むので半分こしましょ。すいませーん。」
彼女は朗らかに店員を呼ぶ、嬉々として注文している姿は無垢の結晶だなあと思う。
「あ。」
彼女が何かに気づく。
「ごめんなさい。甘いものお好きでしたか?」
計算尽くされたラリーでも、それがたとえ嘘でも、僕らが返せる答えはイエスしかないのだ。
「大好きですよ。」
「良かった。」と彼女は鈴のように笑う。
よく女性は花に例えられるけれど、それってやっぱりフェロモンなんだろうか。そんなことを考えた。


「えー。この女の子凄いねー。」
そこまで考えた時に思考が止まる。また鈴の声。
まさしくこのコラムのモデルの女が、感嘆の声を上げる。
目をキラキラさせて、感想を述べている。
ぼんやりとした頭の中で、してあげてきた ことを考える。幼い頃からありとあらゆるワガママを聞いてきた。裏山の柿が食べたいだとか、手作りの可愛いネックレスが欲しいと言われれば、隣町まで自転車を飛ばした。卒業式で使うドレスを徹夜して縫ってあげたこともあったし、飲み会今終わったと言われれば何時でも迎えに行った。


中学の時は男子を全滅させたし、当時はまあ思春期だから一部の カワイクナイ 女子にはやっかまれていた。
大学でも就職先の農協でも蝶よ花よと持て囃され、彼女は二個上の イチバン いい男と付き合った。
超絶エリートでも絶世のイケメンでもないけれど、優しくて笑顔が爽やかな、「ああいう人と結婚したい」と結婚適齢期の女子に言われるがその頃にはもう売り切れてる、そんなタイプの男だ。
彼女は明日結婚する。使い古された円の中に僕はもう、いないのだ。

「私ね、こうちゃんのこと、好きだったんだよ。」
アイスティーのレモンを突きながら伏し目がちに彼女は笑う。
知ってた。ずっと好きだ好きだと言われて来たから、まさかこんな日が来るとは思いもしなかった。
いつもより少し長い睫毛も、久しぶりに肩より下に伸ばした髪も、桜貝みたいな小さな爪も、明日のためだって知ってる。
彼女は一度も僕のものにならないまま、明日誰かのものになるのだ。
「あ、そろそろブライダルエステの時間。じゃあまた明日。」
彼女はヒラリと伝票を抜き取り颯爽と出口へと向かう。
よくあるラブストーリーならここで引き止めて、告白する流れだけど、僕はダスティン・ホフマンにはなれない。
永遠に来なければ良い明日を思って、深くため息をついた。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?