自己紹介
私の概要
●身長 176センチ
●体重 67キロ
●好きな食べ物 お寿司、グラタン、カオマンガイ、あんかけ焼きそば
→鉄火巻が好き。クリームソースとマカロニが好き。ナンプラーが好き。お酢も好き。
●好きなお酒 ラフロイグ、クライヌリッシュ、木挽きブルー
→ウィスキーが好き。ただすぐ酔う。基本は焼酎。
●好きな音楽 TECHNO、クラブミュージック、discoっぽい曲、ファンク
→いまだにクラブに音楽を聴き。でも起きてられないから1時過ぎには帰っちゃう。
●好きな映画 ビッグ・リボウスキ
→コーエン兄弟の映画は全部好き。
●好きな作家 谷崎潤一郎、西加奈子、中島らも
→谷崎の美しさと、西加奈子の面白さ、そして人格形成で最も影響されたのがらもさん。
●好きな場所 北海道、山梨県、渋谷、静かな場所、森、高いところ
→森があるところがとにかく好き。ただ、文化が豊かな渋谷も好き。
●好きなもの 温泉、サウナ、筋トレ、バイクで一人旅、美容
→サウナーです。バイクで全国のサウナをめぐるのがすき。
さんざんnoteに書いているが自己紹介をしたほいがいいという話を聞いたので書いてみる。
「自己紹介とかそういうの得意そうに見える」
そう言われるが、人前で自己紹介をすることが苦手だ。
瞬発的に気の利いたことはあまり言えないので、ちゃんと仕込んでから挑みたいと思っているし、現に仕込んで(考えて)から臨むとなんとかなる。
自分の立場が偉くなり、自己紹介する側ではなく自己紹介を促すことが多くなったが、すごくうまいひとというのはいて、歳の差に関係なく感心してしまうこともある。
うまい自己紹介。
やはりユーモアだろう。
ユーモアがありそうな雰囲気だけの私は自己紹介とかが得意そうに見えるが、実際にはそんなにユーモアがあるわけではないので瞬発的にうまくできない。
ユーモアってなんだろうか。
ずっと、将来の目標は
「おもしろい大人になる」
だった。
最近、森博嗣さんの書いた「面白いとは何か?面白く生きるには?」という本を読んだ。
その中で「面白い」のジャンル分けがされてあった。
『1、「可笑しい」→笑える、ギャグ、ユーモア、苦笑、ほのぼの、癒される
2、「興味深い」→考えさせられる、好きなもの、気づきがある、調べていたもの 3、「思いどおりになる」→考えたとおり、予測が当たる、繰返し、同感、共感 4、「手応えがある」→簡単ではない、やり甲斐、難しい、珍しい、達成感
5、「動きがある」→スリル、目が離せない、どきどきする、加速度
6、「意外性」→驚き、予想が裏切られる、例がない、新しい、変だ
7、「欲求を満たす」→美味しそう、格好良い、セクシィ、』
そして、「面白さ」は自由を目指している、という説の中の文章には以下のようなものが書かれていた。
『満足とは、求めていたものが得られることであり、自分が思い描いた状況に実際になることだ。人間の脳は、頭に思い描いたことが現実になることを欲している。 他書でも何度も書いていることだが、僕は、この状況を「自由」と定義している。自由とは、「思ったとおりになること」「希望したことが現実になること」なのだ。 人間が築き上げたものは、「こんなものがあったら良いな」と思ったものを、試行錯誤し、努力をし、あるいは協力し合って、完成させたものであり、「自由の象徴」ともいえるものである。芸術もそうだ。自分が思い描いたものを形にする行為であり、自由の獲得が目的だといっても良いだろう。 自由は、仕事がなくて、ごろごろと寝ている「暇」のことではないし、いつまでも起きなくても良い休日のことでもない。自由は、自分が計画したとおり、自分が予定したとおりに生きることであり、それが人間の満足の根源でもある。 したがって、「面白い」というのは、この自由へ向かう方向性を感じている状況であり、いうなれば、いずれ自分は満足するぞ、という予感が、その人を笑顔にさせるのである』
そして最終章へ向けてこんな文が出てくる。
『常に気をつけていることは、自分以外の人の「面白さ」を素直に受け取る感受性である。「面白いな」と思う積極的な気持ちが大切である。「面白くないな」と思うのは、はっきりいって損だ。 隅々まで探して、「面白さ」を見つける姿勢を、いつも持っていること。それが、「面白い」生き方の基本だ、と』
まさにこれなのだ。
この感受性を保ち続ける、研いでおくために常に心を開いておきたい、と節に願って生きているのが自分だと思う。
自分の世界が一番正しく豊かであるとは1ミリも思っていない。
心を開いておく、そういう人でありたいしそういう人がおもしろ生き方をできる人であるように思う。
昔読んだ中島らもさんのエッセイで、確か自殺した友人への言葉として、こんな言葉があった。
『ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。』
そうなのだ。
いかに心を開いておこうが、日常生活はクソみたいなことも多く、「ちぇっ」とポケットに手を突っ込んで小石でも蹴りたくなることも多いのだが、それでもやっぱり素敵で面白いことは落ちていてそれを拾い上げるために生きているんだとそんなことを思っている私は人間です。
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