「流行り」と「俗っぽさ」 マーケティングと文化について
当たり前だが、予算あるいは時間に「採算が取れるかどうか」と言うことがビジネスにおける実行に際しての大きな前提である。
多くをかければかければかけるほど、そのプロジェクトは大きなリターンを得なければならず、そのため多くの人に受け入れてもらえるようにならなくてはならない。そのマーケティングの際に視野に入れられるのは自ずとマス層になる。
多くの場合リーチしやすい国内がターゲットになり、国内で「受け入れられるかどうか」が課題でである。「リサーチ」「選定」「大小なりの模倣」と言うのがよくある自然なリサーチとプロジェクトを選ぶ際の流れである。この思考の流れを作り手側の多くが行うと、受け取り側としては「最近こう言うの多いよね」という、その総体の現象として表出する。
もっと視点を引けば、これはある文化圏内(webを含め情報がリーチする範囲内)でガラパゴス化と統合を進めながら進むものでもあり、まさに文化によって総体的に作り出されたものでもある。さらに、マスメディアに表出しているものはそのマスマーケティングの結果でもあり「韓国っぽい」「アメリカっぽい」「日本っぽい」を形作る。そして同時に、マスマーケティングは逆の意味で言えば「俗っぽく」もなると言うことでもある。
行為に対して総体があり、不可逆的に連鎖する。その意味でマーケティングとは文化を形作っているそのもの行為であり、文化の中の生成の一単位でもある。
(その他諸要素についてメモ 個体の「力」の概念。力を持った個体、「スター」「一流ブランド」「メディア」「流行」「普遍的概念」などと、その逆の影響を及ぼしすらしないもの。強弱の概念。)
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