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旧財閥系の豪邸にお邪魔します 旧岩崎邸庭園【お宅訪問7】 東京都台東区

お宅訪問というカテゴリーで各地の邸宅をまとめています。いわゆる住宅ですが、対象にしているのは必ずしも豪邸というワケではありません。
重要視しているのは建物の持つ歴史。そしてレイアウトやティテールデザインに素材のチョイスでしょうか。
古い邸宅の維持・メンテナンスにはお金も必要です。突き詰めるとオーナーのこだわりと情熱なしには成立しない世界。
と言いつつ今回のお宅訪問も、財力と情熱?が尋常ではない財閥系創業者一族によるお宅(豪邸)で、日本建築史の転換点にも位置しています。


明治初期に勃興して財を成した実業家系の邸宅で現存しているモノは、印象としてそう多くはありません。比較的残っているのは江戸時代の支配階層(大名や庄屋)か、江戸時代を生き残った豪商の邸宅。そして明治期から昭和初期にかけて建てられた邸宅には洋館と和館のペアが見られます。生活様式の西洋化(あこがれ?)が浸透しつつあった時代です、


岩崎邸

東京都台東区池之端1-3-45

門を入っても邸宅は見えません(豪邸あるある)。ただし当時の正門はこの位置ではありません。

岩崎家の家紋三階菱が彫刻されています。岩崎家の出身地・土佐国主だった山内家の三ツ柏と三階菱が融合して三菱のスリーダイヤに。

岩崎家かや町(湯島)本邸(以下、岩崎邸)は、1896年(明治29年)に完成。設計はジョサイア・コンドル。三菱の創業者岩崎彌太郎いわさき やたろう(1835-1885)の長男久彌ひさや(三菱3代社長:1865-1955)の本邸として建てられています。
15,000坪オーバーの敷地に20棟以上の建物があったそうですが、和館の一部、洋館、撞球室のみが現存。
敷地は江戸期の越後高田藩邸(榊原氏:祖の康政は徳川四天王の1人)で、江戸開府最初期の拝領地。庭園は大名庭園の形式を一部踏襲し、埋められた池部分には広大な芝生が張られています。
戦後GHQに接収され1952年に国有財産となり、2001年に東京都の管理へ。
洋館、和館、撞球室に袖塀等が重要文化財です。
館内の案内パネルで確認すると、当時の門は現在の春日通りに面していたようで、現在は通りに沿って衝立のようにマンションが建っています。

ちなみに岩崎さんは他にもお屋敷をお持ちで、駒込(染井)別邸は徳川綱吉つなよしの右腕柳沢吉保やなぎさわ よしやす邸だった六義園が、深川別邸(現清澄庭園)は関宿藩主久世くぜ家の下屋敷がベースになっています。
後に久彌さんが東京市(当時)へ寄贈し現在の庭園に。
また高輪邸は三菱開東閣として三菱グループの迎賓館になっています。

パンフ 2005年版
パンフ 2022年版

パンフの表紙はイラストから写真へ。構図は同じ。

館内展示パネル


設計者ジョサイア・コンドル

ジョサイア・コンドル(1852-1920)はイギリスの人。
1877年に日本政府に招かれ来日。若いながらも、現在の東京大学工学部建築学科の初代教授に就任。日本近代建築の父。教え子の1期生には辰野金吾たつの きんご(1854-1919)、片山東熊かたやま とうくま(1854-1917)らの同年代。
日本画は河鍋暁斎かわなべ ぎょうさい(1831-1889)に師事しています。日本で亡くなっていて、妻と共に護国寺にお墓があります。
旧トーハク本館や多くの富裕層邸宅を設計。旧静嘉堂文庫美術館にある彌之助・小彌太親子(久彌の叔父と従兄弟)のお墓も手掛けています。

コンドルさん@三菱一号館美術館
コンドルさん@東京大学

東京都内のコンドル作品3選

旧島津家本邸(清泉女子大学:東京都品川区)
旧古河邸(古河庭園:東京都北区)
岩崎家廟堂(旧静嘉堂文庫美術館:東京都世田谷区)
岩崎家廟堂
(参考)コンドル博士と岩崎家四代 図録
発行:2022年 40ページ
文京ふるさと歴史館

図録は都内に残るコンドルゆかりの建物や庭園を網羅しています。
貴重な古写真も多数あり、しかも500円とお手頃。


洋館

洋館は木造2階建、地下室付き。装飾には17世紀のジャコビアン様式を基調にと解説されていますがよく分かりません。イギリス・ルネサンスやイスラム風のモチーフも採用され、南側のベランダ1階列柱はトスカーナ式、2階列柱はイオニア式。また久彌さんの留学先だったアメリカペンシルバニアのカントリーハウスのイメージもと。パンフを読んでもピンときません。
なんだか世界一周的な多様性は、要約するとズバリ欲張りな西洋風。

ちなみに写真撮影は、館内外と曜日でルールが変わります。
度を越えた撮影者が多かったための措置のようです。観光地で増えつつある撮影ルールですが、ココは平日の一択か。くわしくはHPで要確認。

壁紙は西洋のモノ(革製)を和紙で再現した金唐革紙きんから かわしという特殊な壁紙。一度絶えていた技術が職人の手により復活されています。
たぶん全てを撮影できていませんが、手持ちの写真では壁紙は5種。
コンプリートには注意と忍耐が必要。

撞球室

ビリヤード場は、スイスの山小屋風の造り。地下道で洋館と繋がっているそうです(見学不可)。

和館

完成当時は建坪550坪と洋館をしのぐ規模だったそうですが、現在は大広間の1棟のみ残っています(それでも結構デカい)。
大工棟梁は大河喜十郎と伝わっています。

豪邸の廊下は、畳敷きが基本フォーマット。

邸内の障壁画は橋本雅邦はしもと がほう(1835-1908)の手によるモノと伝えられています。雅邦さんは江戸狩野門下生で、岡倉天心とともに日本美術院を設立し横山大観や下村観山をはじめとする黎明期の近代日本画家を育成した人。

小下絵

現存の壁絵とは完全に一致しないので下書きと考えられている絵。展示品は24mもの巻物に描かれた下絵を模写したモノ。

和館を見学していると、年配の女性軍団が建物にしきりに感心しつつおしゃべりを弾ませていました。その中の1人が過去に見た豪邸を思い出して、みんなに説明しようとしていましたが、なかなか名前が出てこない。
「あのー〇〇さんには及ばないけど殿様にはなんとかって言ってたトコロ」
ウーンとけっこう唸っていましたが、しばらくして本間さんの名前を自力で思い出すコトに成功。その方は岩崎邸の方が豪邸だとジャッジ。
比較の着眼点が面白い人だなと思いつつ、時代や歴史を考えると個人的には庭も建物も本間邸&美術館(山形県酒田市)の方が印象的かなと。
ただし岩崎邸和館は図面で見る限り、ほんの一部しか現存していないので甲乙はつけがたしとココは無難なジャッジにしておきます。

その和館の大部分があった岩崎邸の裏側には現在は湯島合同庁舎があって、ひっそりと国立現代建築資料館があります(岩崎邸にも案内あり)。
日本近代建築黎明期の岩崎邸とあわせて見学すると、情報量的に脳みそがパンパンになりますが、世界はどんどん広がっていきます。

右に見えるマンションあたりにかつての正門が



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