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徳川将軍家の鷹狩 諏訪流 浜離宮恩賜庭園 東京都中央区

お城や大名庭園でよく見られる鳥といえばすずめはとからすでしょうか。より自然が豊かな所であればトンビサギ、お堀や池の定番はカモや白鳥。
東京にはご存じ旧江戸城(皇居)、そしていくつかの旧大名庭園が残っています。江戸時代に徳川将軍家の別邸だった浜離宮の恒例行事でお正月に舞うのは?



入口はほぼお城

御殿から離宮、そして庭園


東京都中央区浜離宮庭園1-1

浜離宮の歴史は徳川将軍家の鷹狩場から始まります。甲府徳川家の別邸を経て将軍家のものとなり浜御殿と呼ばれました。明治維新後は皇室所有の浜離宮となり、太平洋戦争後に東京都へ下賜され現在に至ります。

最初に別邸を建てたのが甲府徳川家の祖、松平/徳川綱重つなしげ(1644-1678)。徳川を名乗った人はかなりいるので、「どの徳川だよ」となりがち。

徳川綱重とは

綱重は徳川幕府3代将軍 家光いえみつ(1604-1651)の子。兄は4代将軍 家綱いえつな(1641-1680)で、弟は5代将軍 綱吉つなよし(1646-1709)。6代将軍となったのは綱重の子で甲府徳川家を継いでいた家宣いえのぶ綱豊つなとよから改名:1662-1712)。
綱重が将軍になっていないのは、兄弟より早く亡くなってしまったから。とにかく情報の少ない人。一般の書籍で綱重に関するモノはほぼ見当たりません(ネットの情報も少ない)。かといって専門書に手を出すのも・・・そう思っていた時に山梨県立博物館はやってくれました。2017年の企画展です。


(参考)甲府徳川家 図録
編集・発行 山梨県立博物館
2017年 99ページ 絶版

図録のサブタイトルにもあるように「知られざる名門」。そんな甲府徳川家に目を付けた学芸員さんのマニアックさがイイ。
親や子に兄や弟、そして孫(家継)まで将軍という一家の真空地帯にいた人。何かを持ってなかった人。運や健康って大事。

浜離宮恩賜公園

そんな綱重から始まった庭園です。

庭園の周囲には高層ビルが屏風のように立ち並ぶ
中央は電通本社ビル:ジャン・ヌーヴェル(1945-)設計
上からの眺めはどんなカンジなのでしょう?

浜御殿には将軍の鷹狩場としての機能が残ります。

獲物をコッソリ見るための小覗が2つ見える
小覗このぞき 狩場に入ってきた鴨を覗く小さい穴が開いています
こちらは鴨場全体を覗く大覗
鷹狩という語感ほどワイルドなカンジはない
オトリ役のアヒルがカワイイけど実に非情なヤツ
明治以降は網で捕獲するコトに もはや鷹狩ではない
復元された鷹の御茶屋 茅葺屋根がスゴイ
将軍が休憩するだけでなく、鷹の休憩部屋も2室完備
横から見ると茅葺屋根が文金高島田的
潮入りの池に並ぶ4つの茶屋
左から、中島の御茶屋、燕の御茶屋、鷹の御茶屋、松の御茶屋

放鷹術とは

浜離宮庭園ではお正月に鷹を飛ばすイベントを行っています。2024年は1月3日の1日のみで、午前と午後の2回(2023年は1/2と1/3開催)。
織田信長や徳川家康も好んだ鷹狩り。軍事演習も兼ねていたといわれます。ただし鷹は野生なので調教する必要があります。普通に考えれば鷹を放てばバイバーイとどこかへ飛んでいってしまいます。そこをコントロールするための技術を伝承してきたのが諏訪流放鷹術の方々です。かつては各地の殿様がボスとなってそれぞれに伝えられていましたが、江戸幕府の消滅と共にその技術も歴史に埋もれつつあります。徳川将軍家の鷹匠たちは当時の宮内省お抱えとなり技術を伝承していましたが、戦後には中断されたそうです。
諏訪流は織田信長に仕えた小林家鷹が初代。信州は諏訪神社で鷹の捕えた獲物を神様に捧げる神事として、神官の諏訪氏一族(大名家とは別系統)に継承されていたそうです。諏訪流のパンフを読むと18代大塚紀子さんのあいさつの中に「鷹匠7割、鷹3割」が鷹狩成功の秘訣とあります。人と鷹の信頼関係がベースにあります。

2024年正月に配布されていた諏訪流パンフ


鷹匠の正装スタイルに身を包んだ諏訪流の方々
左端が18代宗家の大塚さんだったと思う(2023年)

こちらは最初のデモの様子。据え回しといって鷹を安定して拳に乗せ歩く技術が必要です。また鷹は神経質な上に目がいいので観客や周囲の環境に慣れさせる意味もあるそうです。浜離宮はカラスが多く、しかも数を頼みに威嚇してきたりします。当日も据え回しをはじめたら、縄張りを主張するためかカーカー鳴き始めました(ヤツラもよく見ている)。また運悪く箱根から駅伝してきた学生たちを追って、中継のヘリがブンブンと音を放ち飛んでる環境で、鷹たちにはアウェーな状況でした。ちなみに放鷹術では鷹だけでなくハヤブサなど他の猛禽類も使います。

見つけられます鷹?(2023年)
その2(2023年)
ご機嫌ナナメで脱走中 その3(2024年)

鷹匠Aから鷹匠Bへと飛び移らせる振替を行っていましたが、今年は1羽離脱してしまいました。鷹匠が懸命に呼び寄せましたが反応ナシ。自由なヤツです。しばし鷹の帰還をみんなで待ちましたが、一度戻る素振りを見せるも最後まで戻らず。仕方なく脱走者は放置してプログラムは進行。

(鷹匠)そろそろ飛んでくれます?(鷹)いやー 気が乗らないなー
互いの信頼とコミュニケーションが最も重要(2024年)


待機中 とても繊細らしい(2023年)
時々バッサバッサと羽ばたく
鷹匠は鷹の背をガードするように自分の立ち位置を微妙に変えます
鷹はどこ? 回答編
メインイベントはビルの上から(2023年)
以前は電通本社ビルからだったと記憶しているが
2023・2024年は右側のビルから舞い降りた
右端に鷹らしきモノが スマホの限界(2024年)
流体力学の極みデザイン(2023年)
正面からの空気抵抗が小さそう

ビルの上から飛び立ち降下してくる姿は目視できるのですが、スマホのカメラで捉えるのは素人レベルの技術では難しく運次第。2024年は見事撃沈。
まあ自分の目で確かめるのが一番でしょうか!
観客の中から3人ほど振替の体験コーナーもあります。生き物はシナリオ通りに動かないのでハプニングも起こります。あの爪を見てもビビらない人ならチャレンジしてみるのも一興。

浜御殿のピークは11代将軍 家斉いえなり(1773-1841)の頃。家斉の将軍在位は50年にも及びますが、浜御殿への御成りは248回。自らの鷹狩や休息だけでなく、京から来た公家を迎える迎賓館として、また家臣である旗本衆を招いての慰労会と自らの器量の大きさを見せつけたりしています。ご馳走でもてなし、帰りには豪華な手土産まで持たせ、庭の池で魚の釣り方のコツまで伝授するなど細かい気配りができる将軍だったそうです。家臣も感謝感激です。53人もの子をもうけた将軍の方が知られているかもしれませんが、贅沢をヨシとしながら気前も良く、家臣たちの受けも悪くないと徳川家の最も幸せな時代だったのかもしれません。

浜離宮での放鷹術は天候にも左右され正月だけというかなりのピンポイントなイベントです。パフォーマンスだけでなく歴史紹介の部分にも力を入れてもらえれば、外国人も含めて客層を広げられる可能性を感じます。ぶらぶら散歩するだけでも楽しめるトコロではありますが。



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