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キッコーマンの館2 :上花輪歴史館 高梨氏庭園【お宅訪問6】 千葉県野田市

醤油王キッコーマンを創業したのは、野田の茂木もぎ家(6家)と高梨家に流山ながれやまの堀切家の8家。ただし野田で最初に醤油醸造を始めたのは高梨家です(茂木本家の七左衛門は同じころ味噌醸造からスタート。後に高梨家と茂木家は縁戚関係になります)。
野田市の中心部やキッコーマンの歴史を見ていると茂木さんの名前はよく見かけますが、少ない情報を辿って行き着いたのが今回のスゴイお宅。


そのスゴイお宅のある上花輪歴史館は、野田市の観光情報にはピックアップされていますが、観光地としての知名度は不明。行ってみてビックリするほどお客さんは少ない印象(三度目)。
距離は市の中心部キッコーマン本社から歩いて10分ほどの近さです。
庭園の見学は随時可能(¥500)ですが、邸内見学は予約制(別途¥1,000)というのがややネックなのかも知れません。払う価値は充分ありますが。


高梨兵左衛門という人


スタッフさんの説明によると、高梨家のご先祖は1100年ごろに信濃の国から野田へやって来たそうです(当時の野田には何があったのでしょう?)。
時代は平安、義家よしいえ(八幡太郎:1039-1106)が東北での争いを鎮圧して、関東に足場を固めていたころ。その名前と出身地から何となく想像しましたが、北信濃の国人高梨氏と同族のようです。
ちなみに越後守護代だった長尾為景ながお ためかげ(上杉謙信の父:1486-1542)の母は高梨氏の娘なので、けっこうな勢力を持っていた血筋と思われます。

時代は下り1661年に19代当主高梨兵左衛門ひょうざえもんが野田で醤油醸造業を始めます。この時すでに19代目!で、上花輪村の名主なぬしとして徳川幕府の代官のもとで地域運営に携わっています。
ちなみに野田醤油の発祥は、戦国時代(1560~1570年ごろ)に飯田市郎兵衛が甲斐武田氏(武田信玄の時代)にたまり醤油を納めたコトから。

説明では、醤油業は装置産業なのでかなりの開業資金を必要とするそうです。設備投資分と原料を仕込んで製品化するまでの人件費等のランニングコスト、そうして完成した醤油が売れてようやく回収できる投資資金。それだけの財力を有していた家だったと。
その後に茂木家も参入しますが、幕府領という点をふまえると、かなり豊かな地域だったと想像できます(ただし相応の公儀負担もアリ)。


レンガ造りの古い工場

高梨邸の向かい(東側)にはキッコーマンの古い工場(たぶん現役ではない)が現存していますが、地図で確認すると高梨邸の裏側(西側)や南側にはさらに大きなキッコーマン系の現役工場が広がっています。市中心部と併せ企業城下町の風情です。


高梨邸宅

門長屋 1766年築

千葉県野田市上花輪507


パンフ 2024年版

庭園は名勝指定です。

数寄屋造棟 1931年築(昭和6年)

数寄屋造棟(主屋)の設計は大森茂(1894-1934)によるもの。他には細川侯爵邸(現和敬塾本館:東京都文京区)、興風会館(キッコーマン系の公益財団:千葉県野田市)、山形屋(鹿児島の老舗デパート:鹿児島県鹿児島市)の設計を手掛け現存しています。
上記の洋風建築とは違って、高梨邸は日本建築。

(参考)山形屋 @鹿児島県鹿児島市


では高梨邸へ

表玄関(公式用)
トビラがなんだかスゴイVIP用玄関
なんだー?
内玄関(ご主人と一般客用)
ペアなのかー?

玄関前にある現代アート風のオブジェを眺めていると、
「気になりますかー?」とスタッフさん。
先代15代楽吉左衛門らく きちざえもん直入じきにゅう:1949- )の息子さんの作品でした。
2019年に16代目を継いだ方ではなく、その弟さんの作品。
なんでも15代の奥さん(つまりママ)が熱烈に売り込まれたそうです。
見るからに歴史のあるモノではなかったので気になったのですが、築100年近い伝統的日本建築に溶け込んでいます(直入さんも東京芸術大学では彫刻を専攻)。ちなみに邸内にも作品が数点。


邸内は撮影不可。ただし室内からお庭の撮影は可能。
室内では専用の靴下が用意されています。そしてスタッフさんに詳しく説明していただけますが、アチコチ触れるのは当然不可(柱とか触りたくなります)。撮影ポイントでは窓を開閉してくれますが、スタッフの方々はかなり神経を使われていました。

玄関の裏あたりの窓から書院
左側は残月亭

向かいに見えるのは茶室のように見えますが、実はトイレ。位置的に仕方なかったようで、そう見えないようにカモフラージュ。
 

縁側?は手の込んだ作り。
天井にも船底天井や網代天井等の趣向が凝らされています。

ご当主の部屋 室内から

ひと通りの案内が終わると、お茶で一服。
邸内の案内は1人の方が通しで担当されますが、お庭には複数の方が。
それぞれ独自の解説ポイントをお持ちのようで、時間をかけてブラブラした方がいろいろな話が聞けます。

この邸宅には、地域の公共事業的な役割もあったそうです(山形酒田の豪商本間家でも似た話を聞いた記憶が)。
不況時や農閑期、また技術の伝承等、長い歴史を持つ富裕層ならではの活動です。名主に選ばれる家には必要とされる基本的資質なのでしょう。


高梨氏庭園

門の屋根の草や木賊とくさ張りとディテールは盛沢山
トビラも凝ってます
庭から望む玄関棟の裏側
書院 もっとも古い建物で宝暦頃の建築(1751~1764年)
1806年と明治期に改修
蔵でしょうか?
構堀 1835年築
湧水で江戸川まで出られたそうです
眺春庵 江戸末期築、1931年改築
稲荷神社 江戸期の建立
門の裏側はさらにスゴイ


主人室側のお庭へ

ズバリの木賊とくさ塀(by パンフ)
左の色が違う部分が年代は古いそうです
ご当主の部屋 庭側から

建物や庭園の手入れのために、京都から職人さんを呼ばれているそうです。
昔からのお付き合いもあるのでしょう。これだけのお屋敷を維持管理する手間とコストは、一般人には想像できない世界。

邸内は季節によってしつらえが変えられます。学芸員の方もいて、案内スタッフさんらと共に工夫して展示されるそうです。
オススメは夏の装いだそうで(簾とか見た目の涼しくなる演出)。
また日々のお掃除(窓ふき)も気を遣うポイント。古い住宅によくみられる貴重な少しゆがみを持つガラスあるある(おまけに枚数も多い)。

足を運んだのは5月だったので、ご当主さん幼少期の五月人形が飾られていました(30代目前後の方々の一式が数セット展示)。またキッコーマンが過去に制作した凝った販促物もいろいろと。


展示棟

展示棟 1994年築

展示棟には高梨家伝来の資料が並んでいますが、こちらも撮影不可。
配布資料には、上花輪村は必ずしも農業生産力が高かった訳ではなく、大豆や麦(畑作)や薪(燃料)は確保できたと記されています。

参考資料を野田市郷土博物館の展示品から

キッコーマン商標 @野田市郷土博物館

8家から統合された商標に選ばれたのは、ご存じ亀甲萬。

野田醤油醸造組合広告 1890年 @野田市郷土博物館

右から2番目が高梨兵左衛門家の商標「上十:ジョウジュウ」
最上さいじょう醤油を名乗る、幕府御用達ブランド。

1840年の商標番付 @野田市郷土博物館

醤油番付では東の大関(最上位)にランクされています。


上花輪歴史館は伝統的な日本家屋に名勝庭園、そして1,000年におよぶ歴史を持つ家系と個人的にはコンテンツ満載の場所。
スタッフさんのお話だと、インバウンドのお客さんはあまり来ていないそうです(市中心部ではチラホラ見たし、東京都心からの距離もそう遠くはない)。Webでの発信に積極的でないのが理由の1つかもしれません。

ただ町の雰囲気は現在のままの方が良いのかもしれません。
積み重ねてきた日常生活の結晶こそが、野田の魅力のような気がします。
維持していくパワー(経済力)もお持ちのようだし。



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