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週末読書メモ78. 『海の都の物語 ヴェネツィア共和国の一千年』

(北海道十勝の農家6代目による週次の読書メモ)

1千年もの年月を生き抜いた大国が紡ぎ出す一大叙事詩。


盛者必衰は、歴史の断りである。現代に至るまで、一例も例外を見なかった、歴史の理である。
それを防ぐ道はない。人智によって可能なのは、ただ、衰退の速度をなるべくゆるやかにし、なるべく先にのばすだけである。ヴェネツィア共和国は、この難事業を、まずは及第点を与えてもよい程度にやりとげることができた国である。

ヴェネツィア。日本人からすると、イタリアの一観光地としての印象が大きい場所ですが、歴史上では「地中海の女王」と呼ばれるほどの繁栄したことがありました。

そして特筆すべきことは、冒頭にあるように、国家が生き抜いた年数。

5世紀から18世紀までの1千年以上。日本史だと、古墳時代から江戸の徳川吉宗の時代までと考えると、その凄さが際立ちます。


本書の筆者は、『ローマ人の物語』で有名な塩野七生さん。

古代ローマや古代ギリシアをはじめ、様々な国家を描いた塩野さんですが、本作のヴェネツィア共和国の歴史も、読者に多くの示唆を与えてくれます。

ヴェネツィア共和国の歴史は、それとはまったくちがって、複雑で多様で、おそろしいくらいの動きに満ち溢れているのだ。
(中略)私は、ただ単に水の上に町をつくった人々を書くのではなく、海に出ていくことによって生きた人々を書こうとしている。

塩と魚しかなく、土台固めの木材さえも輸入しなければなからったヴェネツィア人には、自給自足の概念は、はじめからなかったにちがいない。だが、この自給自足の概念の欠如こそ、ヴェネツィアが海洋国家として大を為す最大の原因であった。
(中略)自給自足の概念のない国家は、それを持続する限り、侵略型にはなり得ないはずである。彼らには、必要なものは交換で手に入れるということは自明の理となっているから、領土を拡張してみたところで、余計なエネルギーを費やすのに役立つだけであろう。

上記のように、ヴェネツィアは、土地も人も資源も貧しい国家でした。

古代ローマやオスマン帝国、江戸幕府のように、他を圧倒するような力をもって、長い年月生き残った国家は、歴史上複数見ることができます。

しかし、圧倒的に不利な環境、それに加えて、群雄割拠、他国の侵略も絶えない地にあって、1千年もの長きに欧州を席巻し、自由と独立を守り続けたヴェネツィア共和国のほかにあるのだろうか。

自給自足が不可能なうえに人口も少なく、国民の頭脳と意志を主要な資源とし、ありとあらゆる試練への対処し続けたその歴史は、零細中小事業者として、ハッとさせられることが多いです。


塩野さんの著書の特徴である、一つの物語の中に様々な観点を織り込む描写は、本作でも健在しています。

政治、経済から人々の暮らし、リーダー層から庶民のことまで取り上げられた内容は、読む人ごとに面白さのあると思われます。その上で、個人的に印象深かったのは、国家最後の衰亡に至ることに関する内容です。

盛者必衰は、平家にかぎらず、歴史の理である。そして、それが、
遠く異朝をとぶらうに、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の禄山、これらは皆旧先皇の政にも従わず、楽しみを極め、諌めをも思い入れず、天下の乱れんことをも悟らずして、民間の憂うるところを知らざりしかば、久しからずして亡じにし者どもなり。
であったのならば、彼らの末路も当然の結果であって、われわれとしても納得するしかない。
だが、私には、少なくともヴェネツィア史に関するかぎり、このような単に精神の衰微や堕落のみに立脚した論に、どうしても賛同することができない。なぜなら、ヴェネツィア人は、旧主先皇の政に従い、楽しみも節度を保ち、諌めは思い入れ、天下の乱れんことを悟り、民間の憂うところを知りながら、盛者必衰の理の例外になりえなかったからである。ならば、これには、別の理由がなければならないのではないか。
ヴェネツィア人の特徴は、自分たちの持てる力を、周囲の情勢とかみ合わせながら、いかに効率良く運用できるかを追求し続けた点にあった。これが、ヴェネツィアが大をなした根本的な要因であったが、同時に、衰退の要因ともなったのである。

この部分を読んだ時の感情を、いったいどう表現したらよいのだろうか…

平家物語にもあるように「驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し」であれば、塩野さんの言うように、納得するしかありません。しかし、現実には、驕らずベストを尽くし続けた、けれども滅亡した。そんな事例が枚挙にいとまがありません(それは歴史上の国家だけでなく、企業においても)。

破壊的イノベーションにより、ある時代においては繁栄しても、時と場所の変化により、衰退への道へ落ちていくという真理。盛者必衰が歴史上の理であることから分かるように、それに抗うことが、いかに何事業であるかを改めて再認識します。

それを踏まえると、1千年ものときを、何度も何度も訪れる変化・困難、苦難に満ち溢れた歴史の中で、ヴェネツィア共和国には感服せざるを得ません。それも、頭脳と意志だけを武器にして。


本作は、塩野さんによるルネサンス著作集の中の一編となります。
『ルネサンスとは何であったのか』から始まり、主人公級の英雄『チューザレ・ボルジア』や『マキャヴェリ』、副主人公となる『女たち』、成熟した大人たち(ローマ法皇)を取り上げた『神の代理人』、そして、一大国家『ヴェネツィア共和国』。

その膨大な範囲の調査・考察・執筆に感嘆の意を持つとともに、様々な観点から、ルネサンスという時代を捉えることができたことは、貴重な知を得ることができました。

ルイ・トルストイが『戦争と平和』で描いたように、歴史というものは、本当に様々な事象・人が折り重なり形作られることだと痛感します。

過去の歴史から浮かび上がる原理原則・事例を心に刻み、今この時代の歴史を紡いでいこう。


【本の抜粋】
ヴェネツィア共和国の歴史は、それとはまったくちがって、複雑で多様で、おそろしいくらいの動きに満ち溢れているのだ。
(中略)私は、ただ単に水の上に町をつくった人々を書くのではなく、海に出ていくことによって生きた人々を書こうとしている。

塩と魚しかなく、土台固めの木材さえも輸入しなければなからったヴェネツィア人には、自給自足の概念は、はじめからなかったにちがいない。だが、この自給自足の概念の欠如こそ、ヴェネツィアが海洋国家として大を為す最大の原因であった。
(中略)自給自足の概念のない国家は、それを持続する限り、侵略型にはなり得ないはずである。彼らには、必要なものは交換で手に入れるということは自明の理となっているから、領土を拡張してみたところで、余計なエネルギーを費やすのに役立つだけであろう。

現実主義が憎まれるのは、彼らが口に出さなくても、彼ら自身がそのように行動することによって、理想主義が、実際には実にこっけいな存在であり、この人々の考え行うことが、この人々の理想を実現するには、最も不適当であるという事実を白日のもとにさらしてしまうからなのです。
理想主義と認じている人々は、自らの方法上の誤りを悟るほどは賢くないけれど、彼ら自身がこっけいな存在にされたことや、彼らの最善とした方法が少しも効果を産まなかったことを感じないほどは愚かではないので、それをした現実主義者を憎むようになるのです。だから、現実主義者者が憎まれるのは、宿命とでも言うしかありません。理想主義者は、しばしば、味方の現実主義者よりも、敵の理想主義者を愛するものです。

ジェノヴァとの戦いは、それがいかに激烈であっても、所詮、二国の持っていた条件は同じであった。そして、条件に基づく価値観も同じだった。これらが同じならば、勝負を決するのは、それらの活用能力である。
(中略)ところが、トルコはまったくちがう。彼らとの間の勝負を決するのは、能力ではない。量なのである。大砲に着眼したマホメッド二世は天才だが、戦いを決したのは、トルコの兵の数であった。一声でヴェネツィアの総男子人口に匹敵する兵を集められる国に、どうやったら対抗できるであろう。ヴェネツィア人は、戦争の規模が一変したことを認めるしかなかった。

自給自足が不可能なうえに人口も少なく、国民の頭脳と意志だけが資源のようなヴェネツィア共和国の歴史は、まったく、ありとあらゆる試練への対処の仕方の歴史のようである。
(中略)日本人と似ているのかどうかは知らないが、ヴェネツィア人は大騒ぎをしても、しばらくすると、なんとなくうまく行くように変わるのだからおかしい。人間、なにが得になるかはわからない。要は、運がめぐってくるのをじっと待つことだが、待つには、待てるだけの体力が必要だ。ヴェネツィアがスペインやポルトガルの挑戦に耐えられたのは、彼らの”多角化経営”のおかげである。

相対的に見れば、十六世紀のヴェネツィアの共和政体は、その効率の良い運用によって、当時の君主国にも立派に対処できていたのである。ガスパル・コンタリー二が理論的根拠を与えたように、アリストテレス以来の課題である理想的な政体、つまり、民主制と貴族制をミックスした政体に、ヴェネツィアのそれは、より近づいた政体であったと言われても、あえて反対を唱える理由も見いだせないほどである。

盛者必衰は、平家にかぎらず、歴史の理である。そして、それが、
遠く異朝をとぶらうに、秦の趙高、漢の王莽、梁の朱异、唐の禄山、これらは皆旧先皇の政にも従わず、楽しみを極め、諌めをも思い入れず、天下の乱れんことをも悟らずして、民間の憂うるところを知らざりしかば、久しからずして亡じにし者どもなり。
であったのならば、彼らの末路も当然の結果であって、われわれとしても納得するしかない。
だが、私には、少なくともヴェネツィア史に関するかぎり、このような単に精神の衰微や堕落のみに立脚した論に、どうしても賛同することができない。なぜなら、ヴェネツィア人は、旧主先皇の政に従い、楽しみも節度を保ち、諌めは思い入れ、天下の乱れんことを悟り、民間の憂うところを知りながら、盛者必衰の理の例外になりえなかったからである。ならば、これには、別の理由がなければならないのではないか。
ヴェネツィア人の特徴は、自分たちの持てる力を、周囲の情勢とかみ合わせながら、いかに効率良く運用できるかを追求し続けた点にあった。これが、ヴェネツィアが大をなした根本的な要因であったが、同時に、衰退の要因ともなったのである。

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