見出し画像

非英語圏/非西洋の音楽のオールタイム・フェイバリット・アルバム30について その1

 ここでは、タイトルにあるとおり、わたしの「非英語圏/非西洋の音楽のオールタイム・フェイバリット・アルバム30」について書きたいと思います。

 そもそも、わたしは、noteというか、ブログですらきちんと続けたり、使いこなしたりできたことがないわけですが、最近のあれやこれやで、noteをつかうのが早くもいやになってきました(そう思っているひとも多いのでは)。とはいえ、代替のプラットフォームも思いつかないので、とりあえずnoteで……。

 ここで紹介するのは、Peterさんというかたが主催しているTwitterの企画、「非英語圏オールタイムベストアルバム」に、わたしが票を投じた作品です。

 「非英語圏オールタイムベストアルバム」は、Peterさんが設定した選盤基準を満たす作品を30選んで順位をつけ、リスト化して主催者に送ればだれでも参加できるもので、最終的に集計され、結果がランキングとして発表されます。

 もともと、同様の催しは、「邦楽」とか、「洋楽」とか、「○年代」とか、あるいは「邦画」とか、さまざまな区切りでおこなわれていました。Peterさんは、「邦楽」や「洋楽」の投票結果を見て、「それ(つまり、ニッポンと、後者でもほとんどがアメリカとイギリス)以外の地域の音楽についてはどうなの?」という疑問を感じて、これを企画したそうです(そもそも、「洋楽」とは、すなわち米英のロックやポップではなく、もともとはクラシックを指すものだったそうですし、この国の外、つまり西洋古典音楽から非西洋の音楽まで、幅広い領域に広がっているものであるはず、ですよね)。

 わたしは、「邦楽」や「洋楽」についての投票にはあまり興味をもてなかったのですが(結果の偏りかたが、なんとなく想像できてしまうからです)、「非英語圏」という区切りかたには、かなりひかれるものがありました(語用の問題は、もちろん感じています)。というのも、想定される領域があまりにも、無謀といってもいいくらいに広くて、どんな結果になるかがわからなかったからです(たとえば、そこには、ヨーロッパ各地のメタルやジャズから、ジャーマン・ロック、フレンチ・ポップ、ブラジル音楽、ラテン音楽、そして、ありとあらゆる地域の民族/民俗音楽の作品までが含まれるわけです)。それで、わざわざPeterさんにDMをして、選盤基準をたしかめてまで、投票をしてみました。

 じぶんのリスナーとしての遍歴を振り返ってみると、10代の頃のわたしは、ロックやポップ・ミュージックの教科書的な、大文字の名盤をひととおり聞いたあと、『ミュージック・マガジン』や、音楽を特集した号の『スタジオ・ボイス』などを読んで、いわゆる「ワールド・ミュージック」(この言葉はかなり問題含みで、最近、英語圏では「グローバル・ミュージック(global music)」と呼ばれることが多いと注記しておきます。その言い換えにどれほどの意味があるかは、ここではおきます)や、「グローカル」な音楽に興味をもち、雑誌やインターネットの情報、レコード店のガイドを頼りに、米英以外の音楽を積極的に聞くようになりました。ただ、いわゆる「ワールド・ミュージック」(いちいちこう書くの、めんどくさい……)への興味は、その後――おそらく、2010年代中頃だったと思います――薄れてしまい、『ミュージック・マガジン』の毎号のレビューや年間ベストをちら見する程度になっていきました。

 しかし、2018年頃のこと、プエルトリコのレゲトンとラテン・トラップがアメリカのメインストリームを席巻し、ナイジェリアのアフロビーツ(UKではafroswing / afrobashmentとして発展しています)も主流化してきたことに気づきました。これまでの、いわゆる「ワールド・ミュージック」とはまたちがったレベルで、欧米のシーンのど真ん中で受容されつつある各地のポップ・ミュージックが身近に、しかも力強く感じられるようになり、再び米英以外の地域の音楽への興味が強まったのです(世界の情勢としては、各地域で移民へのネガティブな感情が強まっていった時期と重なります)。それと並行して、国内では、mitokonさんを中心に南アフリカのダンス・ミュージックであるgqomを盛り上げるひとびとが積極的にTwitterで発信していて、それがその後「TYO GQOM」というパーティーへと発展したのに、おもしろさを感じていました。さらに、タンザニアのsingeli、南アフリカのamapianoなどが日本語で紹介されるようになったことも印象的です。また、Popcaanの活躍は、現行のダンスホールへの関心を深めてくれました。そして、2018年後半に突如としてフラメンコを更新したサウンドで話題になり、2019年からレゲトンにアプローチしてヒット・シングルを連発しスターになった、汎ラテン的なスペインのシンガー、Rosalíaの存在もかなり大きいです(彼女の音楽から、スペインのフラメンコ・ポップがレゲトン化していることも知りました)。2020年は、Nyege Nyege TapesからアルバムをリリースしたケニアのDumaがロック・リスナーの心を捉えたことも、記憶に新しいですね(さらにさかのぼると、その前段階として、クドゥロやムンバートン、ズークベースといったダンス・ミュージックのスタイルに興味をもった時期があるのですが、長くなるので、ここではおきます)。

 先日、imdkmさんがTwitterに再投稿していた『エクリヲ』の“Uproot: Travels in 21st-Century Music and Digital Culture”の書評では、同書から「ワールド・ミュージック2.0」という言葉が引かれて強調されていました。上に書いたことをふまえると、今、わたしの実感では、「ワールド・ミュージック」というものを取り巻く状況がまさに「2.0」のフェイズにあり、それは、実際には、もしかしたら「2.5」くらいに進んでいるのかもしれません(“Uproot”、ぜひ読んでみたいですね)。

 と、長々と書いてきましたが、つまり、わたしの中で、2010年代後半から再び米英以外の地域のポップ・ミュージック(主に、レゲトン/ラテン・トラップ、アフロビーツ、ダンスホールなど)の重要度が増してきて、それらは以前聞いていた過去の、いわゆる「ワールド・ミュージック」とは別のレイヤーではない、けっして無関係ではない音楽なんだ、と考えるようになってきわけです。それから、また過去の、そして現在の、いわゆる「ワールド・ミュージック」について考えることも増えました。なので、Peterさんの企画に俄然興味が湧いたのです。

 というわけで、まず、ここでは、わたしが選んだ1〜10位までのアルバムを紹介してみます(できれば、今後11位以下の作品も紹介したいところです)。見出しは、「アーティスト|アルバムタイトル|国や地域|リリースされた年」の順で表しています。順位づけは、とても恣意的です。なので、それほどたいした基準ではありません。

 また、「非英語圏」という言いかたは誤解を招きやすいので、タイトルには「非西洋」という言葉も加えてみました。でも、厳密にはヨーロッパの作品も入っているので、まちがっています。つまるところは、米英、そしてニッポンのロックやポップ・ミュージック以外、ということです(あと、「ベスト」という言葉があまり好きではないので、「フェイバリット」にしています)。

 なお、ぜったいに選びたいと思っていたニューヨーク・サルサの作品は、Peterさんに確認して選盤基準と照合した結果、選外としました。ニューヨーク・サルサはプエルトリカン(ニューヨリカン)たちの独自の音楽文化なので(もちろん、「非英語」でもあります)、こういった領域の音楽について語る時には外せないのですが……。ただ、選盤基準は後から見直されたようなので、サルサのアルバムを選んでもよかったかもしれません(基準を気にしすぎて、ルールの投票期間のところをちゃんと見ていなかったので、わたしはフライングしてPeterさんにリストを送りつけてしまったのです)。

 さて。長くなりましたが、本題の、わたしの非英語圏/非西洋の音楽のオールタイム・フェイバリット・アルバムの1〜10位です。

1. 鄧麗君 | 淡淡幽情 | 台湾, 中国 | 1983

 トップは、鄧麗君の『淡淡幽情』。

 最初に断っておきますが、このあたりの序列は、かつての『ミュージック・マガジン』や中村とうようの価値観が、わたしに、権威主義的に強く刷り込まれていることからの影響が大きいです。

 鄧麗君(デン・リージュン)は、日本ではテレサ・テンとして知られている台湾出身のシンガーです。彼女の『淡淡幽情』は屈指の名盤として知られていて、「宋詞」という韻文に台湾や香港の作曲家が曲をつけた作品です。台湾、ひいては中国の伝統的な要素と、外来の西洋的な要素とが、緊張感を保って同居しているアルバムだと言えます。

 それにしても、鄧麗君の歌声は、ほんとうに見事ですね。浮世離れした、幽玄で、幻想的で、華麗な歌の響きには、この世のものとは思えない瞬間があります。あまりにも陳腐ですが、天上の音楽、と形容したくなるものです。「歌謡」の、ひとつの到達点だと思います。

 こうやって、非英語圏/非西洋の音楽について、あらためて考えてみた時に、意外にもわたしは、じぶんが「歌謡」を好きであることを発見しました(ちなみに、「歌謡」の語義には、「韻文形式の文学作品で、特に音楽性をともなうもの」というものもあります。漢字をじっと見て、すこし考えてみるとわかりますね)。各地域の歌謡には、そこでの生きた文化が、人間の営みが、生々しく、力強く刻みつけられているように思います。だからこそ、わたしは歌謡というカルチャーのありかたが好きなのかもしれません。

 ちなみに、『淡淡幽情』の前年、1982年に発表されたポップ路線の『初次嘗到寂寞』も、とてもいいアルバムです。

2. Nusrat Fateh Ali Khan‎ | En Concert à Paris, Vol. 1 | Pakistan | 1988

 イスラム神秘主義=スーフィズムの宗教音楽、カッワーリー。その歌い手である、パキスタンを代表する大歌手が、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンです。

 彼は無数の録音を残していて、名作と呼ばれるものもいくつかあります。たとえば、ピーター・ガブリエルのレーベル「リアル・ワールド・レコーズ」からリリースした『Mustt Mustt』(1990年)など(ただ、わたしは、かなり西洋化された音楽性のあのアルバムを、あまり好きではありません)。ヌスラットは、映画音楽の制作などにも積極的に参加していて、カッワーリーの世界的な認知の向上に大いに貢献にしました。そんな彼の作品の中でも、もっとも有名なもののひとつが、このパリでのコンサートの実況録音でしょう。

 カッワーリーを聞いたひとは、「ナチュラルにトリップする!」とか、そういった感想を多く綴っています。もちろん、たしかに、時に陶酔的であり、時にアッパーであるカッワーリーには、そういった魅力を強く感じますが、その一方で、半狂乱にトランスするような音楽とは、またちがうように思います。

 わたしは、まず、ヌスラットのカッワーリーを聞いた時に、そのあまりにも力強く、変幻自在の歌声に圧倒されました。人間って、こんなふうに歌えるんだ、と。そして、長大な歌いの中で次第にビルドアップしていく展開と構成、伸び縮みするヌスラットの歌にぴったりとくっついていく他のボーカリストたちのパフォーマンス、手拍子、ハルモニウム、ドーラクやタブラなどの緻密な演奏も、ほんとうに見事です。

 ヌスラットについては、アメリカン・レコーディングズからリリースされた遺作『The Final Recordings』(2001年)も気に入っています。ヌスラットの没後、息子のラーハット・ファテ・アリ・ハーンが吹き込んだ、同じくアメリカン・レコーディングズの『Rahat』(2001年)というアルバムもあって、それもとても好きな作品です。

 こうやって並べてみると、1位と2位はアジアの作品でしたね。

3. Astor Piazzolla | Tango: Zero Hour | Argentina | 1986

 アストラ・ピアソラの『Tango: Zero Hour』は、おそろしいほどに張り詰めていて、緊張感に満ちた、とても切れ味の鋭い作品です。1曲め、“Tanguedia III”のバイオリンの音などは、何度聞いても戦慄してしまいます。これほどまでに見事に構築され、透徹した、なにか高みに達しているように感じる芸術作品は、なかなかないのではないでしょうか。いわゆる「ワールド・ミュージック」のリストでは、真っ先に挙げられる金字塔でしょう。

 バンドネオン奏者のピアソラは、アルゼンチン・タンゴにクラシックやジャズなどのエッセンスを取り入れて、同地の音楽をたった一人でネクスト・レベルへと引き上げしまった芸術家です。いまだに「アストラ・ピアソラ」というひとつのジャンルとして扱われている、おそるべき、特異な音楽家だと言えます。ピアソラの複雑なアートに挑戦する音楽家は今も数多くいるのですが、その一方で、ここ日本も含めて、ラテン音楽圏では、とても大衆的な人気のあるミュージシャンです。

 『Tango: Zero Hour』は、キップ・ハンラハンというニューヨークの鬼才がプロデュースした作品です。彼のプロデュース・ワークなくして、この作品は成り立たなかったことでしょう。ハンラハンのレーベルである「アメリカン・クラーヴェ」からリリースされたピアソラの3作品――『Tango: Zero Hour』、『The Rough Dancer And The Cyclical Night (Tango Apasionado)』(1988年)、『La Camorra』(1989年)――はいずれもクラシックで、同時代のハンラハンのソロ・アルバムとあわせて聞きたいものです。ピアソラは、いくつもの名演、名録音、名作をのこしていますが、アメリカン・クラーヴェの3作品は、とても異様な、特別な空気感をもっています。

4. Manu Chao | Radio Bemba Sound System | France / Spain | 2002

 移民の国、フランス出身で、スペインのミュージシャン。バスクとガリシアというマージナルなルーツをもつ、生粋のレフティスト。バンド、マノ・ネグラを率いていたマヌ・チャオは、わたしがとても好きな音楽家です。ザ・クラッシュのジョー・ストラマーと魂の深いところで共振しているのは、世界中でただ彼一人ではないでしょうか。

 マナ・チャオは、ファースト・ソロ・アルバムの『Clandestino』(1998年)も、セカンド・ソロ・アルバムの『Próxima Estación: Esperanza』(2001年)も、どちらも名盤。でも、わたしが最高傑作だと思うのは、この『Radio Bemba Sound System』という、みずからのバンド/チームの名前を冠したライブ・アルバムです。DJがクイック・ミックスでつないでいるかのような構成と、あふれんばかりのパッション、突き抜けたポジティビティ、猛烈な演奏の勢いは、他に類を見ないものです。このアルバム、これまでに何度聞いたことかわかりません。

 ロック、レゲエ、クンビア、そして、ありとあらゆるラテン・ミュージックが一緒くたになった彼の音楽を聞いていると、なにか色とりどりの野菜やら果物やらがぎゅうぎゅうに詰め込まれたフード・プロセッサーの中をのぞいているかのように感じます。さまざまなルーツを猥雑に、自由自在に混交させながらも、最高のダンス・ミュージックであり、最上のパーティー・ミュージックである『Radio Bemba Sound System』は、マヌ・チャオの到達点のひとつだと思います。

 なお、マヌ・チャオはマリのAmadou & Mariamの名作『Dimanche à Bamako』(2005年)をプロデュースするなど、ソロ・ワークス以外でも重要な仕事をしています。日本では、「マヌ・チャオの世界」というファン・サイトが彼の動向を情熱的に追っているので、ぜひ一度のぞいてみましょう。

5. Lô Borges | A Via-Láctea | Brazil | 1979

 ブラジルの作品が初登場です。

 正直に言って、30作しか選べないリストの中にブラジル音楽の作品を位置づけるのは、あまりにも難題です。ブラジルの作品は除外してしまおうか、とすら考えました。それでも、やっぱり外せないと思って、いくつか選んでいます。

 ロー・ボルジェスは、ブラジル音楽の歴史やシーンの中でも特殊な存在で、日本で言うところのいわゆる「ミナス派」、南東部のミナス・ジェライスのミュージシャンです。ミルトン・ナシメントとの言わずと知れた名盤『Clube da Esquina』(1972年)でよく知られていますが、わたしは『Clube da Esquina』よりも、ボルジェスのソロ・アルバムであるこの『A Via-Láctea』の方が好きです。

 その理由は、まず表題曲。なんとも形容しがたい切なげなメロディと、優雅なフルートやストリングスにうっとりしてしまいます。

 そして、最大のファクターは、その次の“Clube da Esquina No. 2”にあります。めまいがするような不思議なコード・ワークと、あまりにも美しく、なめらかに上下するメロディ。こんなに美しいメロディを、わたしはほかに知りません。誇張ではなくて、聞くたびに涙を流してしまいます。

 “Clube da Esquina No. 2”は、もともとはナシメントとのアルバムに収録されていた曲ですが、『Clube da Esquina』では、かなりアブストラクトな録音でした。ここでは、完全にリアレンジされています。もちろん全編すばらしく、とても完成された作品なのですが、この曲なくしては語れないアルバムです。

 ボルジェスの『A Via-Láctea』を好きになったきっかけのひとつに、Lampの染谷大陽さんのブログを読んだことがあります。Lampのファンになり、そこから染谷さんが影響を受けたボルジェスの作品を再発見した、という経緯も、じぶんにとってはとても重要なことです。

6. Cartola | Cartola | Brazil | 1976

 ブラジルの作品が続きます。

 カルトーラは、誰もが知っているサンバ歌手ですが、とはいえ、彼のサンバは、ミナスのミュージシャンたちの音楽とは、趣がまったく異なりますね。

 1920年代から作曲家として活躍し、エスコーラ・ヂ・サンバ「マンゲイラ」の設立者の一人であるカルトーラは、レジェンドというか、サンバの世界の古老です。その一方で、生活するのに苦労したり、録音の機会に恵まれなかったりと、その功績が認められていたとは言いがたかったのですが、1972年に、65歳で初めてアルバム『Cartola』を吹き込む機会を得ます。

 この『Cartola』は、その次作のセカンド・アルバムです(タイトルが同じだからややこしい)。「人生は風車」の邦題で知られる“O mundo é um moinho”、「沈黙のバラ」として有名な“As rosas não falam”という、とても有名な2曲(いずれも、当時の彼にとっての新曲)が収められています。

 わたしは、カルトーラの音楽を初めて聞いた時に、その枯れ具合いというか、ドライなブルーズとでもいうべき、なにか土埃が舞っているかのような歌とギターの調べ、そしてリズムに驚いて、夢中になりました。じぶんがなんとなく知っていたカーニバルのサンバとは180度異なる音楽でしたし、それまでに聞いたことがないものでした。こういったサンバの作品は、かなり古い録音も含めてそれなりの数を聞きましたが、いまだにわたしにとっては、サンバとはすなわちカルトーラのことです。人生の悲哀とよろこびとが共に滲んだ、渋くて、でも澄んだ彼の歌とギターの世界からは、一生逃れられそうにありません。

7. Youssou N’Dour | Set | Senegal | 1990

 ようやく、アフリカの作品が登場しました。

 ユッスー・ンドゥールの『Set』。これも、初めて聞いた時に、ほんとうに驚いたアルバムでした。なににかと言えば、そのリズムにです。今聞いても、そして何度聞いても、この自由で複雑なリズムには、とても驚かされます。

 西アフリカ、セネガルの音楽家であるユッスー・ンドゥールは、「ンバラ」という伝統音楽と西洋音楽を組み合わせたスタイルの立役者です。この『Set』は、前作に続いてヴァージンからリリースされて、彼の世界的なブレイクスルーになったアルバムです。ンドゥールは、それ以前にも『Nelson Mandela』(1986年)、『Immigrés』(1988年)、『The Lion』(1989年)と優れた作品を発表していて、その後のディスコグラフィも、ちょっと浮き沈みはありますが、とてもすばらしいものです(アメリカン・ポップに寄りすぎてしまうのが残念ではあるのですが)。

 ンドゥールは、まさに現代のアフリカ音楽を代表する、偉大なアーティストだと言えます。2020年、彼がBurna Boyの『Twice As Tall』に参加していたのは、とても意義深いことのように思いました。

 『Set』の音には、すこし時代性を感じます。それでも、低音が抑えめの音づくり、すっと澄みきったデジタル・シンセサイザーの音の質感は、ンドゥールのンバラに洗練とポジティビティをもたらしていて、これ以前の作品にはないパワーが宿っています。そんな音像でとらえられた、高速のテンポの複雑なビートの上で歌い、演奏するンドゥールとエトワール・ド・ダカールの音楽は、あまりにも強烈です(“Sinebar”におけるボーカルとホーンズとのユニゾンといったら!)。

8. Franco et le T.P. O.K. Jazz | Live en Hollande | Congo | 1987

 コンゴ、旧ザイールの大音楽家、フランコ・ルアンボ。コンゴレーズ・ルンバやスークースを代表するフランコは、O.K.・ジャズ(のちにT.P. O.K.・ジャズ)というバンドを率いて、1950年代から活躍していました。

 フランコのディスコグラフィは複雑かつ膨大で、とうていカバーしきれませんし、わたしもよくわかっていません。1960年代、のちにオルケストル・ヴェヴェを結成するテナー・サクソフォニストのヴェルキスがいた頃の録音がいいんだ、という意見も耳にします。初期は、キューバなどラテン・アメリカの音楽からの影響が濃厚で、時代によって音楽性、その色あいは、だいぶ異なっています。

 『Live en Hollande』は、フランコの晩年のライブ・アルバムです(英語圏の題は『Live in Europe』)。1970年代後半に確立されたフランコとT.P. O.K.・ジャズの後期のスタイルは、ここで円熟の域に達しています。ただ、「晩年」や「円熟」とはいっても、その演奏はとにかくみずみずしく、熱を帯びていて、特にドラムのフィルインがどばん、ずばんとキマる瞬間は圧巻。2曲めの“Papa yeye”から、螺旋状にどんどん上昇していくかのようなグルーヴは、ほんとうに強烈です。

 こうやって考えてみると、いわゆる「ワールド・ミュージック」の世界においては、ライブ・アルバムというのは、とても重要なんですよね。

9. Rosalía | El Mal Querer | Spain | 2018

 ここまでのリストでは、もっとも若い作品です。

 わたしにとってのRosalíaの重要性は、先に書きました。『El Mal Querer』で彼女と出会った時は、ほんとうに驚きました。フラメンコでこんなに現代的で革新的な音楽をやれるんだ、と。しかも、いわゆるスパニッシュ・ポップみたいな音楽とは、まったく異なっているサウンドなわけです。

 Rosalíaは伝統的なフランメンコを習得していて、その上でこのアルバムにおいてアバンギャルドなフラメンコをやっている、というのも頼もしいところです(伝統と革新、ルーツと外来の音楽との緊張関係というのは、ことこういった領域の音楽については、とても重要なファクターですよね)。また、この作品では、フェミニズム的な物語が力強く表現されています。あらゆる点でとても重要な作品ですし、2021年現在の状況を考えると、記念碑的というか、時代の分水嶺になったアルバムだと感じます。

 ビッグ・ヒットになったJ Balvinとの“Con Altura”をはじめとして、2019年にポップ・ヒットを連発した彼女の活躍には、胸のすく思いがしました。上で「汎ラテン」と書きましたが、こんなふうにヨーロッパと南米をつないでいるアーティストを、わたしはほかに知りません。

 なお、『El Mal Querer』については、フラメンコ音楽についてのサイト、「フラメンコ・シティオ」の記事がとても詳しいです。

 Rosalíaには、そろそろニュー・アルバムをリリースして、また世界を驚かせてほしいものです。

10. Gnawa Diffusion | Bab el Oued Kingston | France / Algeria | 1999

 ひとまず、10位の作品で終わります。

 グナワ・ディフュージョンは、アルジェリアから亡命してフランスへとわたったベルベル人、アマジーグ・カテブを中心にしたバンドです。彼らは、アルジェリアやモロッコ、つまりマグレブの音楽であるグナワにレゲエやロックなどをミックスして、とてもアツい音楽を奏でています。

 アクティビストとしての姿、レフティなメッセージ、折衷的な音楽性などから、グナワ・ディフュージョンとアマジーグの姿には、マノ・ネグラとマヌ・チャオのそれをそのまま重ねてしまいます。万国共通の音楽と言ったらそれまでですが、レゲエから強い影響を受けていることも彼らの共通点です。一方で、グナワ・ディフュージョンとアマジーグは、グナワというルーツや参照点をもっていて、その点は、強烈にミクスチャー的なマヌ・チャオとちょっとちがうところかもしれません。また、グナワ・ディフュージョンは、さらにアラブの大衆音楽であるシャアビも取り入れています。

 セカンド・アルバム『Bab el Oued Kingston』は、そんな彼らのアートが見事に実を結んでいると感じる作品です。特に、冒頭のレゲエ/ラガマフィン調の2曲、“Madanga”と“Ouvrez les stores”が、とても朗らかかつ伸びやかですばらしい(“Madanga”には、カリプソのようなカリブ海の音楽の要素も感じます)。アラビアから北アフリカへ、ジブラルタル海峡をわたってイベリア半島、そしてヨーロッパへ、さらにドーバー海峡からイギリスを経由してカリブ海、ジャマイカへ……。グナワ・ディフュージョンの音楽には、そんな音の旅を感じることができます。

 グナワ・ディフュージョンは、2006年に一度解散しましたが、その後再結成。現在も活動を続けているようです。ちなみに、バンドが解散していた時期のアマジーグのソロ・アルバム『Marchez Noir』(2009年)も、とてもすばらしい作品です。


 以上、10作品の紹介でした。第2弾も、なるべく近いうちに書きたいところです。

 それにしても、ここで紹介した10の作品のうち、実に4つが、日本のSpotifyなどのストリーミング・サービスで聞けません。とても残念ですね(『Nusrat Fateh Ali Khan en Concert à Paris, Vol. 1』は、Spotifyでは聞けませんが、Apple Musicで聞くことができました。なぜか『Vol. 2』以降はありません)。

 ただ、その一方で、フランコや鄧麗君の膨大な作品群が気軽に聞けるのは、とてもありがたく、すばらしいことだと感じました。YouTubeやストリーミング・サービスのおかげで、CDの時代よりも圧倒的にグローバルな音楽を聞きやすい現在の環境は、米英のロックやポップだけを聞くには惜しいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?