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人生を変えた瞬間!うつ病・パニック障害を乗り越え、出版業界から『知の越境家』と呼ばれる企業人ライター正木伸城さんの話 議事録

▶︎まえがき

Nobushiroさんは累計15,000冊以上を読破してきた読書家です。その趣味の読書を生かして、企業で広報PRをしつつ、副業ライターとして活躍しています。さらに、学問のジャンル同士で交流が少ないといわれるアカデミックな世界で、ジャンルを越境し、異なる学問をつなぎ、議論を発展させるファシリテーターとしても活動されています。

そんなNobushiroさんは、かつてはうつ病で苦しんだそうですが、今はその経験を活かし、メンタルヘルス相談室などの社会貢献活動にも従事しています。

ところが、Nobushiroさんは、なんと21歳までは本を1冊も読み切ったことがない状態でした。それが現在クラブハウスでは「本ソムリエ」「歩く図書館」、また業界・出版社からは「知の越境家」という肩書きをいただいています。

今回はNobushiroさんのインタビュー記事の議事録をお送りします。

▶︎うつ病やパニック障害はどうやって改善しましたか?

▶︎病気との闘い

新聞社新卒から年明けてからうつ病になってしまったので、Nobushiroさんの社会人は36歳からだそうです。
複数の人との名刺交換もそこからスタートしました。
それまでは病との戦いでした。

血中酸素が減っていないけど呼吸困難に陥り、うつ病併発という診断から会社を休職しました。
仕事を休んだのはトータルで3年で、精神病棟に入院したこともあります。
その時に何冊か本を持ち込んでいました。

「監獄と精神病棟は似ている」
●鉄格子で飛び降りられないようにしてある
●部屋の中は簡素なロッカーとベッドだけ
●シーツも固定
●監視穴がある
●20分に一度ノックも無しに「元気ですか」の確認が入る
今思い出すと、その方がストレスが溜まる

入院自体は100日、その後引きこもり生活でした。
光、音にストレスを感じてしまいます。
光が当たっているだけでプレッシャーを感じ、胸がドキドキします。
音がなると怖いです。
窓にカーテンを広げ、隙間にガムテープをとめ、一切の光が入らないようにベッドで寝ていました。
自ら孤立していくというか、孤立したくなる衝動で、吸い込まれるように孤独になってしまいました。
友達と連絡を取ることも、助けてとも言えませんでした。
携帯は持っていて、mixiでなんとか社会とのつながりを保っていました。
心のどこかにライトなつながりを求めていたと思います。
クラブハウスは神ツールです。

▶︎最初にできるようになったのは、読書ではなかった

引きこもりの状態で最初にできるようになったことは、TVを見ることでした。
TVなどの映像メディアを見ることは、受動的なため、流れてきているものを受け取ることができます。
読書は読むことに体力がいるため、引きこもりを終える3年間見ることができませんでした。

▶︎自分毎のように聞いている人も多いと思います。なぜ回復できたのでしょうか?

引きこもっていても食事の時間は訪れます。
Nobushiroさんは自身の食事を取らず、食事を貧しい子供や子供食堂に渡した方がよく、社会的役に立てるので、100万回死にたいと言ってしまったそうです。

音楽も受動的なので、違和感なく聴けました。
耳に残っている曲が2つあります。
尾崎豊さん
「僕が僕であるために」

Nobushiroさん自身に当てはまるそうで、答えはわからないけれど戦い続けないといけなく、それがわからないことに惹かれたそうです。

山崎まさよしさん
「僕はここにいる」

「僕はここにいる」というメッセージを誰かに伝えたかったです。

現在はNPOに参画して、ペンネームで苦しんでいるアーティスト支援も無償支援しています。
死ぬ一線を越えなかったのは音楽のおかげでもあります。
それでも、復活まではまだまだ長いです。

▶︎久々に読書をしたくなった

音楽を聞いて、夜中散歩できるようになり、昼間太陽の光を浴びられるようになった時に、久々に本を読もうと思いました。
何度も挫折していたので怖かったが、1秒だけ読めました。
2行目まではしんどかったのですが、ただただ、1行読めたことが嬉しく、ここから出発できるかも…と希望の光が差しました。
一行・二行・一章・一冊と、薄紙を1枚1枚剥がしながら読み、わずかな自信の紙を積み重ねていきました。
ただただ今自分が読書ができる喜びを噛み締めることで、自信をつけていきました。

▶︎自分を認めてみよう

ほんのちょっとのことでいいです。
そう考えないと自分が潰れてしまいます。
わずかなことでも進歩・前進しています。
自分自身の褒められるところの積み重ねが大切です。

うつ病になって変わったのは、他人の目を気にしなくなりました。
それまでは誰かと比べていました。
「誰よりも優れていたい」
「知識をたくさん得ていることがすごい」
と錯覚していました。
その考え方を続けていけば、苦しくなってしまますので、その思考をやめました。
必死にもがきながら、他人と比べないように心がけました。
今でも野心があり、成長したい思いはありますが、自分自身の自信が揺らぐ感覚は無くなり、自信がある、ないを意識しなくなりました。

▶︎職場復帰した時は、どんな感じでしたか?

うつ病のどん底と変わらないくらい、辛かったです。
以前働いていたようにできなく、同期の立ち位置が上になっていたり、社内環境が変わっています。
体調も万全でないので、「途中で帰っていいよ」と言ってもらえるのですが、その途中で、自分の存在意義を見失ってしまいます。

ここで倒れてしまったら、また苦しい時間がゾッとする
もう1回隔離病棟に入るところまで堕ちてはいけない
復活のワンチャンスを逃すな

その思いで仕事も復帰でき、信頼を得ることができました。

▶︎人生が一番変わった瞬間はいつですか?

病気になった瞬間です
人生がガラッと変わったのが、最大の転機でした。

▶︎復帰後のエピソードを教えてください。

元妻から企業人でいてほしいと言われたものの、長くうつ病を患っていたため、社会経験がほぼない状態からのスタートでした。
そのため基本的には門前払いで、エントリーしても、お祈りメールばかりが届いていました。
メンタルヘルスの相談室をしていた時のエピソードです。
当時12人来てくれていて、そのうちの一人に「実は転職したい」と言うことを伝えたところ、「叔父が社長やっているので、きます?」との返事がきました。
副業もOKなところで、たまたま製品の事例を書く書き手を探していたため、人づたえで転職を決めることができました。
その方に人生を思いっきり救ってもらいました。

その企業はIT企業のマーケティングでしたが、会議の半分が、何を言っているのかわからない状態でした。
最初は事例を書くために入社したはずが、いつの間にか広報になり、その中で失敗を犯してしまい、1年間社長から無視し続けられることになってしまいました。
その時は新聞社辞めなければよかったとさえ、思ってしまうこともありました。

無視される社長と月1ミーティングで、早く帰りたい毎日の日々で、相当のストレスがありましたが、「ここ以外は働けない」となんとか2年踏ん張って、「我が社最大の武器」と呼ばれるようになりました。

その後1社IT系を挟み、現職にいたりますが、起業も視野に入れています。

企業人ライターはNobushiroさんがつけたそうですね

企業人ライターは造語です。
企業に所属しながらライターもしたいのですが、そもそも実績もないので、どこも書かせてもらえません。
売り込みに行っても、実績を出してと言われます。
実績を御社で作らせてというと、じゃあいらないと言われます。
飛び込み営業は厳しい世界ですが、その中で、新しく創刊される雑誌、メディアはコラムニストを探しているのでハードルが低いことに目をつけました。
過去のポートフォリオは見られないため、そこでだんだんと実績を積み重ねました。
マイナーすぎてYahooニュースに掲載されないのですが、とある記事が650いいねついたことから、いろんな出版社やメディアから声がかかるようになりました。

▶︎広報として、教祖と呼ばれていたそうですね。

目標の立て方は色々あります。
先ほど話した前職の広報マネージャーとして4倍の成果を伸ばしました。
喋るのが得意なので、いろんなところで講演で祈、会社の顔のようになれました。
行く先々で、講演の満足度の指標が社内更新を次々突破し、記録がNobushiroさんだらけになりました。
喋り手としても才能を発揮しました。
Nobushiroさんのファンが多く、独自のアンケートの内容になり、「教祖」というあだ名をつけられました。
講演自体が面白いという評価をもらうことができました。

哲学・思想を織り交ぜて、深い話をしたのが新鮮で、名刺交換の列ができることで、人気の実感が湧きました。
もともと喋り好きで明るい性格の、のぶしろさんがうつ病になってしまったので、周りは困惑していたそうです。

▶︎質疑応答

▶︎精神疾患になり、光と音がストレスになったのに、音楽が救いになったのは何故ですか?

音楽がドレミファソラシドの自然な音で入ってきます。
当時、音楽を聴きながら、多摩川沿いを歩いていると、風に味わいが出てきました。
音楽を聴きながら、風に揺られて歩いたことで癒され、音楽の不思議な力に助けられました。

▶︎過去を改善したい思いはありますか?

過去には関心はありません。
今この瞬間を丁寧に生きることだと考えています。
イチローさんも次々ワールドレコードを乗り越えていて、「次の目標はなんですか?」と聞かれた時に、「ヒットを打つことです」と答えています。
僕も今やれることを全力で取り組んでいます。

▶︎同じような思いを抱えている人に、Nobushiroさんができることはありますか?

今は、言葉はかけなくても、その人の隣で、同じ姿勢で、寄り添う「隣人愛」でいたいと思います。
「他人を自分のことに愛す」よりも、「苦しんでいる人の隣にいてあげる」ことが大切だと感じています。
隣に座ってもらえるだけで、「いてもいい、この世に、」と感じることができたので、これからは、幸せになる前の話もしていこうと思っています。

▶︎最も印象に残っている本を1冊あげてください。

本田哲郎氏の本です。
炊き出しに並ぶ路上生活者の列ができています。
炊き出しもボランティアが行っています。
温かいご飯を配っている人でなく、路上生活者で同じ目線に立っている人の中にイエスだといると書かれています。
「相手の目線を合わせていこう」
「お互い様で支え合おう」
と心に刻んでいます。

あとがき

Nobushiroさんの話は、クラブハウスのルームで聞くのですが、なんだか本当に温かい方です。
気持ちが心に入っているといいますか、悩みを話せる雰囲気がある一方で、会話を盛り上げることもできます。
今回の話を聞いて、いっそうNobushiroさんのファンになりました。

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