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きみは車にはねられた

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この投稿は交通事故について述べたものです。
僕自身の経験とその思いについて書いており、嘘いつわりは一切ありませんが、お読みになる方によっては、事故の描写が苦しいものになり得るかもしれません。
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きみは車にはねられた。3月の上旬のことだった。

きみは自転車に乗っていた。何もない田舎道を走っていた。
きみをはねた車は、民家に隠れていて見えなかった。車の方も、君のことは見えていなかった。
どちらにも悪意はなかった。

きみはその瞬間のことをあまりよく憶えていない。
きみが記憶しているのは、一人暮らしの小さな部屋を出たところと、血まみれで道路に横たわり集まった人々を眺めていたところだけだ。
きみは救急車の天井を憶えている。キャスター付きのベッドに乗って運ばれる感覚も憶えている。

きみは首と背骨を二か所ずつ折った。
きみは運ばれた病院で首の痛みを訴えた。きみの痛みを裏付けるように、きみの骨は折れていた。
きみの首と背骨には小さな亀裂があった。
きみの目はそれをとらえられなかった。ただの骨の写真のように見えていた。
きみの首はちゃんと痛かった。きみは長期間入院することになった。

きみは頭のてっぺんと耳を縫った。
縫ったときは全く痛くなかった。麻酔がちゃんと効いていた。糸を抜くときがとても痛かった。
頭のてっぺんは、それ以来、少し毛が薄くなった。きみは少しそれを気にしている。きみは頭が割れなかっただけ良かったと思い込もうとしている。
きみは今でも気にしている。

きみは運が良かった。
きみは車にはねられるまで、首を折ると人は死ぬものだと思っていた。きみは死ななかった。きみの体は問題なく動いてくれた。
きみのお母さんも、きみの姿にほっとしていた。きみは口が動いて喋れることがとても幸福だった。

きみは警察に訊かれた。
きみは、運転手を恨んでいるだろうか、と訊かれた。きみは悩んだ。少しも恨んでいなかったから悩んだ。質問の意図が怖かった。
きみは分かっていた。
たまたまきみが自転車に乗っていて、たまたま相手が自動車に乗っていただけに過ぎなかった。どちらも事故を起こすつもりは少しもなかった。きみたちは、たまたま、ぶつかったのだ。
たまたまきみが自動車に乗っていて、たまたま相手が自転車に乗っていたら、きみは相手の首を折っていた。それだけの違いだ。きみは誰のことも恨みようがなかった。

きみは一週間動けなかった。
きみは意識がしっかりとあった。それが余計に辛かった。
きみはトイレに行くことすら許されなかった。ベッドの上でぼうっと本を読む他なかった。
きみは味噌汁をストローで飲んだ。
きみは透明のストローの中を、小さくなった大豆が走るのを見ていた。
きみは泣かなかった。きみはとても辛かった。

きみは何かの意味を信じていた。
きみのお母さんも、何かの意味を信じていた。首の骨を折ったのに、何もないきみの体が信じられなかった。
きみのお母さんは奇跡だと信じたがっていた。死んでいてもおかしくなかったきみが生きていることを奇跡だと信じ、その有難さに喜びを感じようとしていた。
きみも悪い気はしていなかった。きみも奇跡のように感じていた。

きみは退院した。五月の上旬だった。
きみは首に固定具を付けたまま、きみのお母さんの車に乗った。とても暖かい日だった。車にはねられて二か月後だった。

きみは大学に復学した。きみは首を固定したまま、大学に戻った。少なくとも五月の間は、首の固定具を取ってはならなかった。
きみはとても嫌だった。首の固定具がださかったことと、まだ不安定な首のまま大学に行くことが怖かった。

きみは実家から大学に通うことにした。
片道一時間半だった。大した距離ではないと思っていた。
きみは不安だった。電車に乗るのが怖かった。
きみは信じていた。優先席を誰かが譲ってくれるだろうと信じていた。
首に不格好な固定具をはめているきみは、優先席に座る権利があると信じていた。

きみは首の固定具が外れるまで、およそ三週間、電車に乗り続けた。
きみは一度も座れなかった。席を譲ってくれる人は一人もいなかった。きみは三週間、不安定な首のまま、立って電車に揺られ続けた。

きみは固定観念をぶち壊した。
この国の人は親切だ、という固定観念をぶち壊した。
きみはどうみても、明らかに怪我人であった。きみは洋服の下、胴体にもかたいコルセットを隠していた。きみの動きはぎこちなかった。痛々しかった。
きみはずっと立ったままだった。一度も席を譲られなかった。

きみは何かがおかしいと思った。
この国が、この国自身に抱いている幻想は嘘ではないかと思った。
優しくなんかない、親切でもない。寝たふりをしてきみの姿を見ないようにしている人ばかりの国なのだ。きみはとても悲しくなった。きみは立っているのが辛かった。きみは席を譲ってほしいと言えるはずもなく、首のことをずっと気にしながら、立ち続けていた。

きみは共感してくれる友達を見つけられなかった。
気付いていないだけかもよ、固定具があるから大丈夫だと思われているのかもよ。そう言葉を返されるだけだった。
きみは不思議だった。きみの首にはとても大きな固定具があった。どうして見えないのだろう、どうして大丈夫だと思うのだろう。そして、遂には、きみ自身の不手際のせいなのだろうか、とまできみは思った。

きみは事故の意味を考えるようになった。
きみは車にはねられた。きみは特別なことだと思っていた。
きみは首と背骨を折っても生きていた。きみは何かの意味を感じてしまいたくなった。きみは事故に意味を求めようとした。

きみは事故が特別なものではないと分かり始めた。
きみは確かにとてつもない経験をしていた。首と背骨を折って、一週間動けなくて、トイレも自由に行けなくて、シャワーも椅子に座ったまま浴びた。何か意味があると信じなければ、とても耐えられないような日々があった。

きみは事故に意味がないことを知った。
信じたかったが、何もなかった。ほんとうに、たまたまに過ぎなかった。
きみは確かに車にはねられたが、車にはねられる必要などどこにもなかった。
きみはたまたまはねられただけに過ぎず、その後の入院生活も、電車の中の不信感も、たまたま得たものに過ぎなかった。
きみがそれを感じる必要はどこにもなかった。きみは事故に遭ったからといって、特別な存在になることもなかった。
きみは特別な存在だったからといって、事故に遭ったわけでもなかった。きみは何でもない人だった。きみはたまたま首と背骨を折っただけの人だった。きみは何かを語る資格も、特になかった。きみの経験が誰かのためになることもなかった。
きみはただ、車にはねられた大学生に過ぎなかった。

きみはよく分からなくなった。
たまたまぶつかって、たまたま死ななかった事故を経験したことで、たまたま生きていることとか、たまたま産まれたこととか、きみ自身のことが何も分からなくなった。
はねられた瞬間に死んでも良かったはずだった。そもそも産まれなくても良かったはずだった。そう考えると、何で生きているのかが本当に分からなくなった。
今も分からない。悲壮なものでもなく、絶望感のようなちゃっちなものでもなく、本当に、心から、分からない。
すべてはたまたまで、意味のある事物など何もないと信じたくなる。ちょっとだけ、そう信じている。仕事をしていても、生きていても、何をしているんだろう、ときみを俯瞰するきみがいる。
きみは悩み続けた。

きみは、事故を通して、事物の意味はないと知った。
きみは、同時に、言葉の意味を知った。
きみはきみに起こったことで偉くなるのではなく、また、経験したことで他人に威張れるのではないと知った。
きみに起こったあらゆることは、たまたまに過ぎなくて、決してきみの努力や素質が呼び寄せたものではない。
だから、きみは事故っても、留学をしても、それらの経験自体で誰かの上に立てるわけではない。
経験それ自体で力を示そうとするのは間違っている。

きみは言葉で表すべきだ。
きみの経験自体には意味はないが、確かにきみの経験はちょっと特殊である。
きみのように、首と背骨を折って、その数年後にイタリアに留学した人は、多分、あんまりいない。
でも、きみは経験自体を語ってはいけない。経験はたまたま得られたものに過ぎない。
きみが示すべきなのは、経験自体ではなく、そのとき何を考え、何を得て、どう生きるように心がけたか、のはずだ。
きみの首と背骨が折れたことは、きみが真剣に生きることでやっと報われる。折れたこと自体に意味を求めてはならない。

きみは車にはねられた。

きみはきっと今もはねられ続けている。

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