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【ショートショート】バイオ前線

六月、一年の中で一番嫌いな月が今年もやってきた。

何のイベントもない。連休もない。それどころか、祝日すらない。

「六月の楽しみは?」って聞かれて答えられるのはせいぜいジューンブライドくらいなもんだけど、この三十年相手すらいない俺には関係のない話だ。むしろこの手の話題を耳にするだけで、イライラする。

まあ、でも、こんなものは些細なことだ。今あげたやつ以外にこれといった特徴がないこの六月だが、唯一六月しか持ち得ない特徴を持っている。そして、この特徴が一番ウザいんだから、もうどうしようもない。

それは、梅雨である。こんな改まって言うことでもないが、六月には梅雨がある。いや、むしろ梅雨しかない。

しかし、梅雨があってなんになるんだ。あんなのジメジメさせてただ蒸し暑いだけで、不快以外の何ものでもない。大体、水無月はどうした。むちゃくちゃあるじゃないか、水。流石に嘘がすぎる。これもう詐欺だろ。

とにかく、俺は六月が嫌いだ。だから、この二週間ずっとイライラしている。

母はもう二週間も過ぎたと言うが、俺にとってはまだ半分しか経っていないと言った方が正しかった。それに、山場は残っている。

まだ梅雨入りしていないのだ。俺は梅雨入りのニュースが流れないか、毎日テレビを見ながらビクビクしている。

そりゃ梅雨が早く終わってくれた方が嬉しいわけだが、かといって始まったら始まったで嫌なのである。俺の心は梅雨明けを待ち望む気持ちと、梅雨入りを拒む気持ちとが常にせめぎあっていた。

そんな中、遂に今日、あのニュースが流れるらしかった。「次のニュース 遂に前線到来」というタイトルが、画面右上に出たのである。くそっ、こんな日が来るなんて。

俺は絶望しながらも、目を背けることはできなかった。固唾を飲んで、CMを見る。CMでは清純派女優が、照りつける太陽の下海水浴をしていた。日焼け止めのCMだ。最後に女優の声で商品名が爽やかに読み上げられる。

気が早いんだよ!俺にはまだ長い長い梅雨が待ってるんだよ!そんな時にこんな爽やかなの見せつけんじゃねえよ!耐えらんなくなっちゃうよ!

心の叫びが喉まで出かかって危うく声を上げそうになったが、必死に心に留めておいた。怒りでその後のCMをぼーっと眺めてたら、突然ニュース画面に戻った。

まずい、心の準備ができていない。俺は深呼吸をして、心を落ち着かせてアナウンサーの言葉を聞いた。

「速報です。本日未明、梅雨前線が到来したと、先程気象庁が発表しました。繰り返します。本日未明、梅雨前線が到来しました。屋外にいる方は一刻も早く、屋内に避難してください。」

一刻も早く避難?いや、まあ、俺は梅雨が嫌いだが、そんなに焦るものだろうか。早く屋内に逃げろだなんて、いくらなんでも大げさ過ぎる気がする。

すると、ADらしき人が急いでアナウンサーに原稿を渡した。アナウンサーは取りなおしてその原稿を読み上げた。

「えー、お伝えした情報に誤りがございました。先程、梅雨前線と報じましたが正しくはバイオ前線でした。訂正してお詫び申し上げます。申し訳ございませんでした。」

「バイオ前線?」

思わず声が出てしまった。聞き間違いか?混乱していると、番組は報道フロアからスタジオに戻っていた。速報を受けて、司会のフリーアナウンサーが偉そうに専門家風のコメンテーターに話を振る。

「えー、風見さん。ちょっとすみません、私はこのバイオ前線?とかいうの初めて聞いたんですが、これって梅雨前線と何が違うんですかね?」

「バイオ前線は一見梅雨前線と見分けがつかないんですね。どちらも長い間雨が降ります。しかし、その雨の性質が異なります」

「といいますと?」

「梅雨前線はですね、まあ、皆さんご存知の通り普通の雨ですが、バイオ前線はですね非常に栄養価が高いんですね。それだけではなく、どういうわけかそれはすぐに生体に作用してしまうんです。その名の通りですね、バイオつまり生命に関わるというわけですね。どういうことかといいますと、まあ、簡単に言ってしまえば、その雨を浴びたものは生命力が強くなり、その、何と言いますか、いわゆるですね生殖活動を活発化させるんですね」

「ほおー、そんなことが。ちょっと、これ地上波で流していいのかな(笑)ギリギリの内容ですけど」

「あ、いえ、別にそんな過激な話ではなく、単純に植物とかがですね、えー、急速に繁殖してしまうというか」

「あーはいはい、なるほどなるほど。これはちょっと紛らわしかったですね(笑)となると、人間に影響はないということでよろしいですか?」

「いえ、そういうわけではないんですが......」

「言えないと(笑)」

「まあ、はい。とにかく、一般のみなさんはなるべくですね、前線が通過するまで、おうちにいるということを徹底していただきたい。雨に当たらずとも、植物等の急な成長はそれだけで街を覆うほどで、非常に危険ですから」

「はい、なるほど。ありがとうございます。それでは、今からですね、このバイオ前線というものの歴史から振り返ってみたいと思うんですが、風見さん、解説お願いしてもいいですか?」

「ええ、バイオ前線の到来は世界的に見てもかなり珍しくですね、実に500年ぶりに......」

俺はテレビを消した。それは司会者が面白気取りにふんぞり返っているのが気に食わなかったからでもあるが、何よりよく意味が分からなかったからだった。

バイオ前線?そんなダジャレみたいなものがあってたまるか。で、急に植物が成長するだの、そんな馬鹿な話あるはずない。遂にテレビはデマを流すようになったのか?

俺は報道内容を一切信じていなかった。今どき、テレビも嘘をつく時代だろ。これもどうせフェイクニュースさ。明日になったら訂正が入るに違いないや。下らない。

湿っぽい低気圧も手伝い、イライラがピークに達したため、俺はもう寝ることにした。こういう時は寝るのが一番だ。リモコンで電気を消し、カーテンを閉めて俺は眠りについた。

(*)

どれくらい寝ただろうか。起き上がろうとしたが、身体が軋んでいる。この痛みは恐らく寝過ぎだろう。もう昼かもしれない。

俺は背伸びをしてようやく目を開いた。部屋の中は真っ暗だった。おかしい、まだ夜なのか?

手探りで電気をつけ、リモコンを探し仕方なくテレビをつけてみた。テレビでは寝る前に見たはずのワイドショーがやっている。

しかし、コメンテーターは違うので、どうやら次の日であることは間違いない。番組は変わらず「バイオ前線」の話題で持ちきりだった。

内容は昨日と大して変わらず、どうでもいいことをぐちぐちと反復しているだけである。真新しい情報もないまま、アシスタントの女子アナが繰り返し繰り返し「外はとても危険な状況になっております。不要不急の外出は控えるようにお願いします。」と言うだけだった。

俺はスタジオのやりとりを五分くらい見たところで電源を切った。そんなに外が危ないならしばらくは出ないことにするか。といっても、まあ、ここ五年は外に出ていないようか俺には関係ないんだが。

俺はもう一眠りしようとまたベッドに寝っ転がったが、その時急に不安というような好奇心というようなそわそわした感じが襲ってきた。

一体、外はどうなってるんだろう。

唐突にそんな疑問が湧いてくる。一回気になってしまうとどうしようもなかった。かといって、もちろん外に出るなんてそんな勇気はないから、俺は恐る恐るカーテンを開けてみることにした。

そっとカーテンを開けて覗いてみる。しかし、何かおかしい。昼のはずなのに真っ暗なのだ。俺は理解に困り、訳もわからず、好奇心のままにカーテンを勢いよく開けた。

外は確かに昼だった。でも、日光は部屋には届かなかった。窓はびっしりと苔や蔦に覆い尽くされていたのだ。

俺は思わずのけぞってしまった。そんな馬鹿な。ジャングルかここは。もう一度窓に顔を近づけ、辛うじて空いている隙間から外をのぞいてみる。

そこにもう街はなかった。あるのは生い茂る木ばっかり。おお、ジャングルじゃないか。

ただ、よく見ると植物だけじゃない。動物もいっぱいいる。全体的に視界が霞んでいるなと思ったら、全部虫だし、犬とか猫もなんかもうすごいことになってる。まあ、何よりすごいのは人間だったけど。いや、もうあれは人間なんかじゃなかった気がする。理性なんてまるで感じられない。男も女も、みんな、獣みたいだった。

あまりの光景に、俺の脳では処理が出来なくなったのか、途端に眠気が強くなってきた。ああ、そうだ、これはきっと夢だな。うん、そうだ。よし、寝よう。寝たら明日にはきっと元に戻ってるはず。

俺は電気を消して、カーテンも閉めて、枕に顔を埋めて、布団を頭までかぶって、ベッドに寝転んだ。そこまでやらないとうるさくてならなかった。

雨風の音は確かに大きめだが、そんなに気にならない。問題は外から聞こえる数多の鳴き声だ。特にあの叫び声のような、呻き声のような甲高い鳴き声が耳に入ると、俺の心が張り裂けそうになる。

俺は自然と獣たちの奏でる不協和音から逃げるように、耳を塞いでうずくまった。耳に残る鳴き声はいつまでも頭の中で反響しノイローゼになるかと思ったが、限界が来たのか、はたまた防衛本能が働いたのかいつの間にか脳はシャットダウンし、遂に眠りに落ちることができた。

(*)

それから二週間が経っただろうか。俺はあの日以来怖くて外を見ていない。でも、テレビは欠かさず見るようにした。毎日毎日バイオ前線は取り上げられたが、いっつもコーナーはスタジオだけで、不自然なまでに中継はされなかった。まあ、だから見ることができたんだが。あの惨状なんか公共の電波で流されたときには溜まったもんじゃない。

バイオ前線は昨日ようやく去ったようだった。テレビは一転お気楽ムードに戻り、中継が再開されていた。もう既に街には人が溢れているようだった。あれだけ荒れていたはずの街はどういうわけか綺麗さっぱり元に戻っている。

俺も思い切ってカーテンを開けてみたが、やっぱり綺麗だ。どういう仕組みなんだろう。まあ、俺なんかが考えても仕方ないか。きっとどっかの頭のいいやつがうまいことやってるんだ。

カーテンを閉めてもう一度テレビに向かうと、もうエンタメのコーナーになっていた。今朝の朝刊を垂れ流すだけの創造性の欠けたしょうもないコーナーだが、見る分には暇つぶしになるから嫌いではなかった。

若いスタッフが新聞の貼られたセットを運んでくる。アシスタントの女子アナがそれを受け止め、解説をしはじめた。

「本日は、おめでたいニュースがたくさん入っています。『相次ぐ結婚・妊娠ラッシュ 芸能人も多くスピード婚』とありますが、現在、全国的に結婚が爆増しているそうです。芸能人の方だけでも、なんと20組もご結婚されたということですが、すごいですよね、宮田さん」

「いやあ、みんなやることやってんなあ。ほとんどできちゃった婚なんでしょ?元気だなあ」

「みなさん、ご懐妊されていて非常におめでたいですよね。さらに、みなさん本日6/30の入籍なので、『滑り込みジューンブライド』ということになりそうですね。以上、幸せなニュースでした。続いては、少し悲しいニュースです。『おしどり夫婦破局ラッシュ 原因は不倫か』芸能界を代表するおしどり夫婦のスキャンダル多発が話題に———」

なんだか腹が立ってきて、そこまで聞いて俺はテレビを消した。目の前にあの日見た映像が浮かび上がってきて、気分が落ち込む。きっと来年の今頃はベビーブームだろう。

俺もあの時外に出たらよかったのかな、と後悔したことがないかと言われると嘘になる。というか、あの時外に出る勇気もなかったから、こんなことになってるんだと思う。ああ、やっぱりジューンブライドなんて縁がない。

それでも何とかあいつらを軽蔑して自分を正当化しようとしてみるけれど、その度にあの無神経な司会者の言葉が頭にこだまする。

『みんなやることやってんなあ』

そう、みんなやることやってるのだ。俺のいないところで、みんな。街が知らない間に綺麗になっていたように、俺より優れたやつがうまいことやってるんだ。

俺はあの日と同じようにベッドにうずくまった。でも、目的は全然違った。あんなに拒絶した鳴き声を、今は必死に思い出してそれにすがろうとしている。記憶の中の声を手繰る度に、胸が締め付けられるような思いがした。昂る思いはどれだけ鎮めても、決しておさまらなかった。

あーあ、俺も外に出とけばよかったなあ。

くそっ、これだから六月は嫌いなんだ。

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