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【ショートショート】ちょっとした話

昼の食堂は嫌いだ。死体にアリが群がったかのように、人ごみでごった返している。
なぜこんなに狭く作ったんだろう。毎年3000人程が入学するということは分かっていながら、300人も入らないような食堂をたった一つしか作らないとあっては、その浅はかさに空いた口が塞がらない。
政治家の木偶の坊を呼び講演会をやるくらいなら、そのお金を食堂やトイレの改修に回した方がよっぽど有益だと思う。
人が多いというだけでも、吐き気を催すくらいだが、一番の原因はまた別にある。
とにかく、昼の食堂は地獄だった。

しかし、なぜか今俺は女と二人でその地獄にいる。
目の前にいるこの女は、名を甲斐雅と言い、同じサークルの同期である。いつも、本を読んでばかりで、こいつが喋ったところをほとんど見たことがない。
今日は、そんな無口な甲斐が「ちょっとした話がある」と誘ってきたというので、物珍しさから誘いに乗ったのであった。
一体なんの話があるというのか。というのも、出会ってからはや10分ほどが経ったが、甲斐は本を読むばかりで一言も話さないのである。かくいう、俺もあまり話す方ではないし、それに甲斐自身に対して別段興味もない。
これといって会話の糸口も掴めぬまま、沈黙が続く。

はたから見れば、男女二人、一つ食卓を囲んでいる様子は、カップルにでも見えるのだろうか。付近を通りかかる人々の数人がこちらを一瞥してニヤつく。向かいの席では、チェックシャツを着た眼鏡の男がチラチラとこちらを覗いては中指を立ててくる。

実にくだらないと思う。大学生にもなって、その程度で興奮したり、怒ったりできるなんて、幸せにも程がある。どうして、みんなこんなに色恋沙汰に執着するのだろう。恋愛なんて実にくだらないものに、どうしてそんなにエネルギーを注ぐのか。
大体、運命の相手だなんて言葉自体薄気味悪い。しょうもない男女が二人で、あたかも自分たちがマンガの主人公であるかののように錯覚し、やれ運命だの奇跡だの抜かす。男が女をおだてると、女が男を褒め返し、最後には世界で一番幸せだと言わんばかりにキスをする。
ほんとうにしょうもない。
昼の食堂にはそんな気持ち悪いやつらがのさばっている。これが、この地獄に近づきたくない一番の理由だった。

そんなことを思っていると、隣でカップルがいちゃつき始めた。黒髪で眼鏡をかけたボーダーの男と、ツインテールにマスクをした、フリフリの女だった。女は好きなアニメの話を延々と繰り返す。男は女が「凄くない?」というたびに、下心にまみれた意志のない相槌を打つ。女は承認さえあればいいのだろう。更に興奮して、マスクを外す。女のつばが巻き散るが、男は嬉しそうに顔を近づけた。
最も嫌いなタイプのカップルだった。
こいつらの姿を視界に入れたくないし、もう声ですら耳に入れたくなかった。

そうした負の感情が、ふと口から漏れた。

「どいつもこいつも色恋にうつつを抜かしてばかりで、気持ちが悪いな。」
「なんだ。嫉妬か。」
甲斐は、顔も上げずに呟いた。間髪入れない煽りに少し面を食らう。
「嫉妬?俺は閉じた世界で主人公を気取る精神が嫌いなだけだ。恋愛なんてくだらない。」
「ほう。なら、君は人間じゃないな。」
いつもは無口なくせに、やけに突っかかってくる。人を呼び出しといて、それはないだろう。
「ようやく口を開いたと思ったら、随分な言い草だな。」
「事実を言ったまでだよ。」
とことん煽り尽くすらしい。面白い乗ってやろうじゃないか。
「何が事実だって?酷い偏見だな。薬でもやってるのか?」
「つまらん煽りだ。頭の悪い君に説明してあげよう。いいか、人間は生殖活動をするから生物だ。」
「待てよ。じゃあ、生殖活動をしなければ生物じゃないとでも言うのか。知ってるか?アメーバだって生物だ。」
「細かい奴だな。よく考えてみろ。雌雄が番になって交尾しないと生殖活動じゃないのか?違う。細胞分裂だって、そいつらん中じゃあ、十分生殖活動だ。」
なるほど。言い方は気にくわないが一理ある。どうやら、自分でも気づかないうちに、人間本位の考え方をしていたらしい。
「悪かったよ。じゃあ、俺はこの先誰ともSEXできないって言いたいのか?それで、人間じゃないと?童貞にだって人権はある。」
「君はもう少し頭を使ったほうがいい。」
余計なお世話だ。俺はそこそこ頭を使って生きている方だと思う。少なくとも、人を地獄に呼び出しといて、話を切り出すわけでもなく、ようやく話したと思ったら、本から目も離さず煽り倒すようなやつに言われたくはない。
甲斐は、不機嫌な俺に構わず、話を続ける。
「生殖活動が生物を定義づけるなら、人間を定義づけるのはなんだ。他の哺乳類だって、交尾をする。人間と何が違う?」
俺はもう甲斐が何を言おうとしているか分かっていた。しかし、ちっぽけなプライドが俺の口からそれを言うのを拒んだ。
「人間は恋愛をするから人間なんだ。他の種には真似できない。恋愛こそが人間の本質だ。恋愛の欠けた生殖活動は、SEXではなく、交尾に過ぎない。恋愛を拒む行為は、人間をやめるに等しい。」
キザなやつだ。これだから、俺は女が嫌いなんだ。ここまでコケにされては、俺も反撃せずにはいられない。
「なら、お前は人間なのかよ。」
「答える義理はないな。」
「お前なあ。いいか、人間は倫理があるから人間なんだ。法律なんてのは後々整理された行動規範に過ぎない。倫理はそれ以前から、人間の行動規範になっていた。なぜか分かるか?種の保存に繋がるからだ。なぜ人間はここまで繁栄した?なぜこんなに個体数が多い?それは同種殺しが種の保存を妨げるとして、倫理の自制が働くからだ。倫理があるからこそヒトは人間なんだ。勝手に呼び出しといて、悪口を言いたい放題。挙句、揚げ足を取られたら逃げるようなやつは人間とは言えないよなあ。」
まずい、まくし立てすぎたか。一通り言い終え、我に返って甲斐を見る。甲斐は未だに本を読み続けていた。心なしか、頬が赤く染まっている気がした。謝ろうかと思ったその時、甲斐が口を開いた。
「戦争は、、、戦争はどうなる。あそこで人を殺した者は人間ではないというのか。」
「ああ。この理論で言えば、そうなるな。そもそも人間を人間たらしめているのは理性だ。人間は理性を持って物事を考えられるが故に、人間だ。恋愛や倫理も所詮、理性の延長上にしかない。じゃあ、人が倫理を超越するのはどんな時か分かるか?理性が本能に負けた時だ。怒り・恐怖・不安・空腹、、、。こうした本能に身体が支配された時、人間はヒトになる。人間を殺すってのはそういうことだ。」
もう甲斐は本を閉じていた。まっすぐ俺の方を見ている。甲斐の顔をこんな近距離からしっかりと見るのは初めてだった。色白の肌に整った鼻筋、艶やかな唇、そして透き通った目。甲斐は美人だ。こうして見ると、その事実がまざまざと分かる。俺は何かから逃げるように目を逸らした。
「そうか。そうか。面白い考えだな。もっと君の見解を聞かせてくれないか。」
甲斐はさっきとは別人のように、目を輝かせて話す。その純粋さに惑わされそうになるが、毅然と話を戻す。
「ちょっと待て。俺の話はいいんだよ。お前の論理からして、お前は人間なのかって話だ。どうなんだよ?」
言ってから、自分がとんでもない質問をしていることに気づく。これじゃ、甲斐に恋愛しているかと聞いてるも同然じゃないか。
「いや、待て。それはどうでもいい。忘れてくれ。それより、そもそもお前はなんで今日俺を呼んだんだ?」
甲斐は少し下を向いて、クスリと笑った。頬が熱くなるのを感じた。そうして、甲斐は席を立った。
「最初の質問だが、私は人間だよ。紛れもなく、今この瞬間も。いや、この瞬間こそ最も人間かもしれないな。二つ目の質問だが、ここは少し騒がしい。君が良ければ、場所を変えよう。どこか、物静かで、二人でいても怪しまれず、人間らしくいられるところに行かないか?」
甲斐は平然を装っていたが、身体は正直だった。
「そんなに暑いか?顔、真っ赤だぞ。」
「うるさい。早く準備をしろ。先に行くぞ。」
足早に人混みを抜ける甲斐の背中を見ながら、俺は自分が人間になっていくのを感じた。

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