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運命のデザイン:真の自分を見つけるヒント【龍青三の占いエッセイ】

占いというものは、その歴史を遡ると非常に多岐にわたる方法が存在します。現代のエンターテインメントとしての占いから、古代中国で亀の甲や牛の肩甲骨を火で炙ってひび割れの模様から天意を読み取るような厳粛なものまで、幅広いのです。

占い好きの人々は、占いの結果に過度な期待を抱くことがあります。例えば、望んでいた結果が出なかったとき、「この占いの結果は何なのよ!」と激怒する人もいます。これは滑稽な反応に見えるかもしれませんが、実はその人たちが占いに対して真剣に向き合っている証拠です。

世間一般の人々は占いを遊びやアヤしげなものと捉えているため、占いの結果に真剣に反応する人を見て笑ってしまうこともあるでしょう。しかし、占いを真剣に楽しむことができない人々がいることも事実です。彼らは占い結果に一喜一憂し、期待外れの結果に対して不満をぶつけるのです。

特にインターネット上の占いサイトはエンターテインメントとして提供されているものが多いです。したがって、結果に対して過剰に反応するのではなく、あくまで遊び感覚で楽しむべきです。霊感商法のように高額な費用を請求されるわけではないのですから、おみくじやスピードくじと同じような感覚で、外れた結果を軽く受け流すのが良いでしょう。

ちなみに、私は古代の占い、つまり亀の甲や牛の肩甲骨を炙ってひび割れを読むようなものこそ本物の占いだと思っています。占いに対する認識を変えない限り、巷の占いに振り回されてストレスをためるだけです。

占いに依存せず、信頼できる占い師を見つけるか、もしくは自分で占術を学んで自分のことを占うのが賢明です。そうすれば、巷の占い師に騙されて「ちっとも当たってないわ!」と叫ぶこともなくなります。現代の省エネの時代に、無駄なエネルギーを使うのは避けたいものです。

占いの知識はあっても、自分の運命を見通せない人もいます。これは、その知識が理屈に囚われすぎているためです。例えば、四柱推命は生年月日と時間だけで個性を判断しますが、これで全てを語れるものではありません。知識に対して自分が納得していない場合、当たっているようで何か違うと感じるのです。

本来、自分自身のことは深いところで理解しているものです。しかし、教育や習慣、風土、固定観念などによって視野が狭くなり、本質を見失ってしまうことがあります。そこで、占いや易を活用することは目覚めのトリガーとして有効ですが、それに依存してはいけません。自分の運命は自分でデザインできるものであり、命運にコントロールされるわけではないのですから。

四柱推命の命式は、運命の原図のようなものであり、予言のためのものではありません。星の配置を見て「こんな運命を辿る」と決めつけるのではなく、自分自身で運命を創り上げる力があることを理解することが重要です。

[占いは活用してナンボ:2007年06月09日/リライト]


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