【日記】2024.08.23(金)|甲子園・決勝タイブレークを見ながら物思う
不眠
目覚ましアラームの2時間半前に起きた。にもかかわらず、不思議と、アクビばかり出て困ることはなかった。だが、頭の回転が鈍い気がした。当たり前と言えば、当たり前であるが。
ここのところ、「過眠」だとか「プチ過眠」だとか、そんな話ばかりしてきたが、今度は「不眠」と来た。生活リズムが狂いに狂っている。睡眠が上手く行かないと全てに支障を来たす。
言わずもがな、最近の体調は、すこぶる悪い。「夏バテ」をテイの良い言い訳にしているが、「睡眠障害」と言った方が、いっそう正しい。
ただ、そんな物騒なワードを持ち出してしまうと、「ええっ、どうしたの・・・?」と、周囲に心配をかけてしまいかねない。それを避けたい僕は、今日も「夏バテ」と言った。明日も「夏バテ」と言うのだろう。
ともかく、体調不良の理由を「夏バテ」と言いづらい、涼しい季節がやってくるまでには、この生活リズムを元通りに戻したいものだ。
「元通りに戻したい」と言って、元通りに戻るなら、何にも苦労はしない。森羅万象、「言うは易く、行うは難し」であると言っても、過言ではなかろう。
むしろ、「良い頃の状態に戻さないと!」という気持ちが、強ければ強いほど、ドツボにハマることもある。裏を返せば、現状の自分を直視して、ありのままを受け入れることが出来ていない、とも言えるからだ。
したり顔で講釈を垂れることは出来ても、より良い行動を実践に移すことは、どうにも苦手らしい。俗に言う「意識高い系」は、百害あって一利なしだと、つくづく思う。
「不眠・過眠」に共通する事象は「夢」である。それも、様々な夢を、ダイジェストシーンのみ切り取ったかの如く、パッパッパッと、断片的に見させられている気がする。
ゆえに、「夢の内容を語れ」と言われても、何にも話すことが出来ない。「話せないんだったら見ていないのと同じだ」と言われたら、何も言い返さずに、ただ、含み笑いを浮かべていることだろう。
そもそも、僕に「夢の内容を語れ」などと言ってくる輩が存在しないことに気付いて、無性に、切なくなった。
甲子園
【早実-駒大苫小牧】以来の決勝戦延長というフレーズを聞いて、当時の試合を懐かしく感じながら、初の決勝タイブレークを眺めていたのは、自分だけだろうか。いや、自分以外にも居たはずだ。(反語)
偉そうに反語表現を用いてみたが、何にも裏は取っていない。勝手に言ってみただけだ。でも、おそらく、僕以外にも、居るはずだ。その思いが強かったから、強調の意味合いを込めて、この書き方にしてみた。
この項で述べたい内容を、先に話しておくことにしよう。
「甲子園の決勝再試合、また見たいなぁ・・・。」
「また見たいなぁ」と書いたが、現行の高校野球のルールでは、100%、再試合は行われない決まりとなっている。つまり、ルール改正でも無い限り、今後一生、お目に掛かれないわけだが、「9回制を7回制に削減するべきではないか?」などの議論が活発に行われているのを見ても、時代と逆行するような改正は、まず起きないと断言して良さそうだ。イチ野球ファンとしては悲しい限りである。
僕は、1994年生まれ世代だ。野球に寄せて言えば「大谷翔平世代」である。世代のトップが「大谷翔平」である。メジャーリーガーが「オオタニサン!」とリスペクトしてやまない、あの「大谷翔平」である。これほどまでに「逆立ちしても勝てっこない」という表現がピッタリと当てはまるシーンは他に有るだろうか。いや、無い。(反語)
この思いは、僕に限らず、1994年に生まれて来た者は、みな、持ち合わせているものだと、僕は勝手に思っている。「俺は大谷翔平よりビッグな人間になるぜ!」だとか「俺は大谷翔平より稼いでやるんだ!」などと、底知れぬ野心を抱いている人が居れば、是非会いたいものだ。”戦う前から既に負けている”と言われても仕方ない、情けない僕に、喝を入れてもらえないだろうか?
そんなことは、まあ、良い。(閑話休題)
1994年生まれの人は、2006年の甲子園、「ハンカチ王子vsマー君」に、熱視線を送っていた、ド真ん中世代だと、これまた勝手に思っている僕としては、「甲子園の決勝の舞台でタイブレークだなんて!白熱したバトルだ~!」と盛り上がるよりも、「このままずっと『0-0』のまま、イニングが進んで行けば良いのに・・・。」と思ってしまったわけだ。
そんな願いは虚しく、タイブレークは、高野連の狙い通り(?)、試合が動く契機となって、10回で、決着が付いた。スコアを見れば、時短に一役買ったのは、一目瞭然である。「一役」どころか「二役」か「三役」ぐらい買っていそうだ。
この論調だと批判的な物言いにうつっているかもしれないので、ココで、自己保身のために、フォローを入れておきたい。
甲子園の決勝タイブレーク、メチャクチャ、白熱した展開だった。バントで送って来ると見せかけて、相手の守備のシフトを見て、強攻策に打って出た。それがハマった。こういうシーンは、何回見ても、胸アツだ。
この話はそれで終わらない。試合終了後、秘話が語られた記事も、大変、興味深かった。なんとあの場面、監督が強攻策にサインを切り替えたのではなく、選手が独断で、送るのではなく、打ちに行ったのだとか。
この記事を読んだ瞬間、僕は、鳥肌が立った。なんなら、今こうして、読み返しても、鳥肌が立ってくる。甲子園の決勝タイブレーク。掛け値無しに、これ以上、プレッシャーの掛かる場面は無いと断言出来る、あの場面で、独断で、バントからバスターに切り替えたわけだ。
ちょっともう、上手い言葉が出て来ない。「ぐうの音も出ない」とは、こういう心境を指すのだろう。強心臓、視野の広さ、アイデア力・・・、何を言っても月並みな表現になってしまうが、とにかく、凄い。恐れ入った。
付け加えておくと、西村くん(西村一毅)は、3年生の選手ではない。2年生の選手だ。尚更、凄みが増してくる心持ちになる。
京都国際、次の代も、楽しみでしかない。
・・・というわけで、「それはそれ、これはこれ」として、今回の話を受け取ってもらえれば、幸いである。「是か非か」ではなく「みんな違ってみんな良い」と、まとめたい次第である。
こんな性格だから「あなたは綺麗事ばかり」などと言われたりするのかなぁ・・・。
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