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【夢日記】オネショ事件の舞台裏

眠りから覚めた僕は尿意をもよおしていた。ハッと思って、尿漏れをしていないか確認する。どうやら大丈夫のようだ。ホッとする。

僕はオネショがなかなかなおらない子どもだったのもあってか、尿に関する夢を見て起きた時などは、反射的に、ベッドの股間付近をチェックする癖が付いている。それは大人になった今でも変わらない。幸い、小学校中学年以降は、アウトだった経験は無いのだが、油断は禁物だ。逆に言えば、小学校中学年まではアウトを経験している、とも言える。アレは本当に恥ずかしかった。隠し通せるはずもないので親に告げるしかない。特に何か言われた記憶は無いが、僕は、僕自身の至らなさを恥じ入りながら、干していた布団をボンヤリと眺めていたことを、今でもハッキリと記憶している。

いつまでも安堵しているわけにもいかない。さっさと尿意をしずめるためにトイレに行こうと思った。ベッドから出ようとする。その時になってようやく、僕は違和感を覚えた。

(あれっ、ココ、いったい、どこだ・・・?)

てっきり、自分の部屋で寝起きしていたつもりだったのだが、見慣れないホテルの一室で眠っていたらしい。ベッドのサイズといい、部屋の造りといい、普段利用することの多いビジネスホテルではなく、もっと高品質なホテルの部屋と思われた。下世話な表現で申し訳ないが、素泊まりでも1万円オーバーはまず間違いないと思われるぐらいには豪勢だった。絵画も飾られてある。オシャレな電灯もある。全体的な造りとしては、和風ではなく西洋風といったところか。そしてモダン風でもあった。まぁあくまでも、素人目線の見立てではあるのだが。

(そうしている場合じゃない・・・!)

僕は緊急の用件を思い出した。まずはトイレだ。一刻も早く尿を体外に排出しなければならない。思い出すと、途端に尿意が襲ってきた。見慣れない部屋に驚いている内はそれほど感じていなかったはずなのに。人間という生き物は「身体的反応」よりも「精神的反応」の方がエネルギーがまさるのかもしれない。それとも個人差があるのかしら?

言われてみれば、僕は「消費期限切れてるけど1日やしまぁ大丈夫やろ」と言われながら出されたものを食べざるを得ない状況に身を置いた時、心の中で「(ホンマに大丈夫なんかいな・・・)」と思いながらも「おぉ、いけるいける。全然ウマいで。大丈夫や」などと口で言って、翌日、腹痛や下痢の症状に悩まされる、という経験を何度かしてきた。この話の何が問題かというと、「まぁ大丈夫やろ」と言った人はピンピンしているということだ。この例を踏まえても、僕は「精神的反応」が顕著に出るタイプと言えそうだ。こういうことも「(悪い意味で)思考は現実化する」と呼ぶのだろうか?

(違う、今はそんなことどうだっていい・・・!)

僕は我にかえって、ホテルの部屋をくまなく探索して、どこかにトイレは無いか探し回った。なのに、なぜだか、無い。何にも、無い。部屋は豪勢であるにもかかわらず、部屋の中は、ベッド、テレビデッキ、クローゼットしか無い。部屋の中に風呂が無いのは、(大浴場が別に用意されている等で)まぁ分かるにせよ、トイレが無いのは、どう考えてもおかしい。

(代替出来るもんも何にもねぇ・・・!)

そろそろ僕の心の声にも狼狽の念が色濃くなってきた。尿意がすぐそこまで近付いている証拠だ。僕は、風呂もトイレも無いということで、洗面台でもあれば、水を流しながら、しれっと、ジョロジョロと放尿してしまいたいと思っていた。倫理的にも衛生的にも良くないのは分かり切っている。しかし、背に腹は代えられない。緊急を要するのだ。ホテル側からしても、部屋のド真ん中で盛大に尿をぶちまけられるよりも、幾分マシだろうとさえ思っていた。しかし、無いのだ。本当に、何にも、無い。というか、何にもないから、探すことすら出来ない。360度を眺め回すだけで「(あぁ、どこにもなんにもないよ・・・)」となって、尿意と共に絶望も襲ってくる、そんな部屋に僕は隔離されていたのである。

(南無三・・・!)

僕は、一切合切を、諦めた。もう、僕には、どうすることも出来ぬ。やれるだけのことはやった。それでダメだったのなら、もう仕方あるまいて。

僕は、尿意をしずめることなく、ベッドに入り直した。普段であれば、オネショのことが気になって、とても寝付けるような状況ではないのだが、不思議なぐらい寝付きが良く、スッと眠りにつくことが出来た。

それはなぜか。
オネショすることを覚悟していたからだ。

僕は再び目覚めた。何だか湿った感じがする。それでも不思議と落ち着いていた。「落ち着き払っていた」ではない。「落ち着いていた」のである。ゆっくりとベッドをチェックする。グッショリと濡れている。もちろんズボンもグッショリと濡れている。溜まりに溜まった尿意を全てベッドに染み込ませたらしい。そろそろ三十路を迎えるいい大人が派手にやらかしたものだ。

それでも僕は落ち着いた態度を崩すことはなかった。まるでこうなることが事前に分かっていたかのようだった。事実、そうなのかもしれない。ベッドに入り直す前から、自分はオネショをすることになる運命にあるのだ、と覚悟していたのであろう。

僕はむしろオネショ出来たことに安堵しているようでもあった。その心は「ベッドの中であれば過失、ベッドの外であれば故意」とみなされる可能性が高い、という判断から来ていた。

つまり、オネショであれば、成人男性がやらかすのは到底看過出来るものではないにせよ、平身低頭して謝れば、「まぁそういうこともありますよね・・・」と、情状酌量の余地が生まれる。一方、尿を四方八方にぶちまけでもしたら、故意による犯行、それこそ「愉快犯」と見なされたりして、警察に突き出される恐れがある。であるならば、意図的にオネショをしてしまった方が、罪は軽くなるはずだ・・・!

かくして僕は、権謀術数によるオネショを完遂させた。恥じ入るなどあろうはずがない。むしろ、己の策略が計算通りに運んだことから、誇ってすらもいたのである。

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