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#8【夢日記】N.Y氏(恩師)が教員生活を終えられました

・K.Y(旧友)と共に職員室に駆け付ける
・(職員室はガラガラでお祝いムードは皆無)
・N.Y氏(恩師)、テニスウェアで室内の冷房が寒そう
・N.Y(恩師)「効き過ぎや。ストーブも付けてなぁ」
・僕「ホント。暑いのか寒いのか(着込みながら)」
・N.Y(恩師)「着込んでるなら寒いんやろ(笑)」
・僕「それもそうですね・・・(苦笑)」
・K.Y(旧友)「それはそうとしてお疲れ様でした」
・N.Y(恩師)「おう。相変わらずちっこいなお前は」
・K.Y(旧友)「ちょっと〜。最後にそれですか?」

内容

「祐or佑問題」について語ったからアナタ出て来たの?

ちょっとこれだけだと何を言ってるのか良くわかんないっすね・・・。

えっと、昨晩、「祐」と「佑」について話してたんですよ。書き間違い・打ち間違いが多いよねって。こういうの僕は気になるんだよなって。

1番の有名どころは斎藤佑樹でしょうか。「佑」。斎藤祐樹じゃないわけですよ。彼ぐらい有名になるとサジェスト変換でフルネームが出るから打ち間違いは少ないかもしれないけれど。書き間違いのケースは考えられそう。

特に彼は「斎」も入ってますからね。「斉・斎・齊・齋」と4パターンありますからね。書き間違い・打ち間違いが多発する代表例とも言えますよ。

うん。僕は気を付けたい。名前間違いっていうのは。大袈裟なことを言うようだけど、名前を間違えるのって「私はあなたに興味がありませんよ〜」と言ってるようなもんだと、僕は感じるから。

もちろん人間だから100%間違えません、とは言えない。やっぱり間違える時はある。それはもう仕方ない。だけど、間違いそのものよりも、間違えた後が大事だ。

「いやあこれは間違っちゃいますよねぇ」って自分の間違いを正当化しようとする人はやはり信用が置けない。真摯に「すみませんでした」と謝罪する人は、やっぱり信用が置ける。

当たり前のことを言っているようだけど、これが意外と出来ないのが人間だと僕は思う。中には「そんなややこしい名前を付けた方が悪い」などと責任転嫁する人もたまに居る。いくら冗談でもそれはないだろと、僕は声を大にして言いたい。

Y君、アナタ、僕と比べてやけに落ち着いてるね

「それはそうとして」って、サラリと言いのけたよね。凄いわ。確かに当時から大人しいイメージがあったけど。そのまんま大人になっていったんですね。周りの空気に流されない感じっていうのか、なんなのか。

僕はダメだなぁ・・・。せかせかしてる、いや、端から見てそう感じさせてるかどうかは分からないけれど、気が急く感じは、凄くある。どっしり感がないんだな。

こういう話をする時、良くパワプロの特殊能力で例えたりする。「ポーカーフェイス」と「打たれ弱さ」の両方が付いたピッチャーを想像してくれると分かりやすいのかな、みたいな話を。

周りの人には動じていないように振る舞っているかもしれないが、内心、ビクビクしていたりする。僕はそういうところがある。長所なのか短所なのか、良くわかんないんだけど。

ただ、YouTubeなどでプロ野球選手のトークを聞いていると、堂々と投げたり打ったりしている一流選手が、「いやあ内心ドキドキですよ」などと言っていて、驚かされることもしばしばある。

そういう意味では、長所と捉えても良いのかなあ・・・と思いつつも、でもやっぱり、自分の弱みを見せられる存在も、片手で数えられる程度には居て欲しいよね、とも思ったりもする。

今の自分はどうだろう。うん。恋人には全てをさらけ出せるかな。となると、数の上では1人という計算になるのか。少ないようにも思えるが、1人居ればそれで良いとも思う。うんそうだ。数じゃない。人間関係っていうやつは。

・N.Y氏の言動が岡田彰布監督のソレにしか見えない件

岡田彰布氏が阪神タイガースの監督に就任して始まった2023年シーズン、各スポーツ紙が、あの個性的な「どん語」を「原文ママ」で書き起こししている。それを毎日と言って良いぐらいの頻度で読んでいる自分が居る。

だからだろうか、僕が当時お世話になった先生が、岡田監督のようになってしまった。うーん。別にそんなことないんだけどな。

そうだなあ、プロ野球の監督で例えるなら、誰になるだろう・・・。しばし考えて思い当たったのは、ホークスで監督を務められた秋山さん。うん。なんかそんなイメージがある先生だった。

部活動の顧問(ソフトテニス部)でもお世話になった先生なのだけれど、現役選手顔負けの身体能力の高さが凄く印象に残っている。

練習時に自らラケットを持ってプレーするだけでなく、試合形式でもコートに立って選手とラリーを打ち合うのだけど、確か、当時のキャプテンと試合をしても、勝てなかったんじゃないか・・・。

まあ、中学生の時分だから、勝てないのも当たり前・・・なのか?ちょっとそこらへんが良くわからない。だけどとにかく強かった。その記憶は凄く残っている。

「教える」ということを経験すると痛感するけれど「身振り手振りを交えて実演する」ことが出来るか出来ないかで、相手への伝わり方が全く変わってくる。「言葉の限界」みたいなものだろうか。

そういう意味では、自らのプレーで手本を示されたのは、何よりもの指導だったんだなぁと、いざ振り返って感じる。

その教えを胸に、自分も「口だけの人」ではなく「言葉でも行動でも模範になる人」を目指して、これからの人生を邁進して行きたいなと、心新たに思うことが出来た。

先生っていうのは、いつまで経っても、やっぱり先生なんだなぁと、しみじみとした気持ちにさせてくれる、良い夢でした。

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