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【2558字】2024.07.23(火)|すいません、寝落ちしました。

【しこたま飲んで寝落ちする幸せ】

オールスターを見ながら、日本酒を飲み、寿司を食べる。思わず、「我、酒池肉林を得たり…。」と呟きたくなるシチュエーションに、うつつを抜かしていたのだが、まるで、狸に化かされたかの如く、気が付けば、朝を迎えていた。

目覚めた当初は、本当に、「全ては夢の出来事だったんじゃないか?」「投高打低が叫ばれている中で『オールセントラル』が1イニング9点も取るなんて、おかしいと思ってたんだよ…。」などと考えたが、程なくして、「この満腹感、夢じゃない、僕は確かに寿司を腹の中に詰め込んだ…。」と気付き、現実に起きた出来事であることを再認識した。

幸いというべきか、僕が寝落ちした場所は、ベッドだった。確か、野球を見終えて、「シャワー浴びるわ~」と言い、リビングを出て、風呂場に移動する前に、自分の部屋に立ち寄り、就寝準備に取り掛かったのだが、そのタイミングで、意識を失ったらしい。

こういうことが、割とある。しこたま飲んだ時は特にそう。今回は「宅飲み」だったが、「外飲み」で起きやすい。家に帰るまでは元気なのだ。けれども、帰宅して、自室に入った途端に、意識を失う。このパターンは本当に多い。気を張ってる自覚も無いのだが、やはり、フッと気が抜けると同時に、意識も失うのだろう。そう考えると、日頃の僕はどれだけ気を張って生きているんだ、と物思いたくもなってくる。

予定では、今日は、オールスターを見た所感などを書き綴るつもりだったのだが、全くそんな気分ではなくなってしまったので、たった今、頭に浮かんで来たことを、徒然なるままに書き記そう。ジャーナリングの如く。


【退廃的な気分の時には太宰治を】

こういう時は、太宰治の作品に、触れたくなる。

「こういう時」とは、具体的に、どういう時かというと、「あ~・・・。酔った、メッチャ酔った、ウヘェ、気持ちわりい・・・。」といった感じの時である。漢字で表現するならば「退廃的」といったところか。

この頃は、「太宰治に触れたいなぁ…。」と思ったら、もっぱら、「読書」ではなく「朗読」を利用させていただいている。単純な作業の傍ら、耳で楽しむことも出来れば、今日のように、「ウヘェ・・・。」となりながら、目をつむって、ベッドで突っ伏した状態であっても、耳で楽しむことも出来る。なんて便利なのだろう。

「青空文庫」で、数え切れないほどの太宰治作品を読み耽っていた頃も、なんて便利なのだろう、と思っていたものだが、正直な話、朗読は、その上を行くかもしれない。あと、朗読を聞きながら、作品を目で追っていくというのも、これまた趣深いものがある。臨場感が出て来るというのか。つくづく、便利な世の中になったものだ。

そんな僕がオススメする、太宰治の朗読動画が、コチラ。

YouTubeで「太宰治 朗読」と検索をかければ、数え切れない量の朗読動画が出て来るわけだが、色々な朗読家の方の動画を視聴させていただいて、僕が一番しっくり来たのが、この方、西村俊彦さんだった。

「聞き専」の僕には、専門的なことは何も分からないけれど、聞いていて、とにかく落ち着く。スーッと入って来る。言葉が。コメントで「本物の太宰治が読んでいるような…。」などと書かれているのも拝見したことがあるが、「うむ、確かに…。」と頷いた記憶はある。卓越したスキルが有るという何よりもの証左であろう。


【シャッフル再生 → 太宰治『玩具』】

今日のように、「太宰治の作品であればなんでもいい…。」という気分の時は、再生リストのシャッフル再生を利用して、「何が出るかな♪何が出るかな♪」を楽しんでいる。

それまでは、ユーチューブチャンネル内の検索機能で「太宰治」と打ち込んで、「今の自分の気分に合う作品は…。」と探していた。だが、どれもこれも魅力的なモノばかりで決められない、僕の優柔不断な部分が顔を覗かせていたので、強制的に決めてもらうことにしたわけだ。

そんなわけで、今日は『玩具』に触れた。

う~ん。久々。最後の「(未完)」を聞いたら、70~80%の確率で、「あっ、蜜柑食べようっかなぁ…。」となる作品だ。どうでもいいわ~い。どうでもいいついでに、もう一つ。梶井基次郎『檸檬』も、レモン系のアルコール飲料を飲みたくなる。あと、唐揚げにレモンをかけて食べたくもなる。普段はスパイスかポン酢なんだけど。どうでもいいわ~い。

閑話休題。

一こと理窟を言いだしたら最後、あとからあとから、まだまだと前言を追いかけていって、とうとう千万言の註釈。そうして跡にのこるものは、頭痛と発熱と、ああ莫迦(ばか)なことを言ったという自責。つづいて糞甕(くそがめ)に落ちて溺死したいという発作。

この一文が、未だウトウトしていた僕の頭に、スーッと入り込んで来た。そうそう。『玩具』といえばこの一文だった。毎回反応してしまう。この一文。分かる。メッチャ分かるよ。治(おさむ)ちゃん。

僕は、人の名前が、「漢字1文字&平仮名3文字」だった時、気分が乗って来ると、名前に「ちゃん付け」をして呼びたくなる習性がある。なお、男性に限る。女性の場合、「一歩間違えたらセクハラになるのではないか?」という恐怖の念が拭えないからだ。

・・・えっ、「男性の場合はセクハラにならないんですか?」って?。・・・。確かにそうだ。今まで僕は、勝手に、そう思い込んでいた。このご時世、何かしらのハラスメントに抵触しても、おかしくない。それに、特定の人物にのみ、「名前&ちゃん付け」で呼ぶのも、よくよく考えてみれば、依怙贔屓と言われても仕方がない、愚劣な行為だ。

・・・とまぁ、このように、僕自身、自ら述べた言葉に対して、自ら物言いを付けるので、『玩具』に出て来るこの一文が、まるで自分のことを言われたような気がして、毎度毎度、心にグサリと刺さるわけなのだ。

物心が付いた頃から「自問自答」と「自縄自縛」を繰り返し続ける人生を送っている。おそらく、死ぬまで続くのだろう。ここまで来ると、もはや「生き甲斐」に近いね。

それでは、また。


【P.S.】酒池肉林の様子

酒だー!
寿司だー!
寿司だー!!!
寿司だー!!!!!

回転寿司チェーン店を利用する際は、店内飲食よりも、テイクアウト注文をして、家で、まったりと食べたいタイプ。

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