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【夢日記】噛み合わない会話

僕は外国人の男性と一緒にワイキキビーチに居た。人混みはそれほどでもなく、二人の時間を十分満喫出来る状況だった。男性は、会話のやり取りの感じからして、かなり親しい仲らしい。大学時代に知り合った友人のようだ。年齢も同世代といったところか。白色人種で碧眼がよく似合うイケメンの男性だった。日本語と英語のバイリンガルで、僕と話す際は日本語でやり取りするのだけれども、日本人と遜色ないぐらい、流暢に発音していた。当然、母国語である英語も堪能。二カ国語を完全にマスターしている彼を、僕は友達ながらに誇らしく思っていた。

時刻は夕方。ワイキキビーチに夕日が差し込んでくる。辺りは一気にロマンチックな雰囲気に包まれた。周りの人も、家族や友達でワイワイしている感じとは一変して、カップルが各々の時間をしっぽりと語り明かす感じになっていた。僕は、そんな光景をチラチラと見やりながら、男二人でココに居るのは場違いではないかと思い、ソワソワし始めた。そろそろ場所を移った方が良いんじゃないかと考えていた。

彼は、そんなことは全く気にも留めない様子で、僕に色々な話を聞かせてくれた。日本での生活、海外での生活、外国人から見た日本人、イメージと実際の違い、日本の文化に驚いたこと、感動したこと・・・。日本人の僕から見た日本とは全く異なる切り口で語られる言葉の数々に、僕は興味を示しながらも、やはりどこか、居心地悪さを覚えてしまっているために、話を聞き入ることが出来ず、相槌の打ち方も、なおざりになっていた感が否めなかった。

「どうかしたの?」

僕の異変に気が付いたのか、彼が質問してきた。僕は苦笑混じりに「うん、ちょっとね、ココに居ちゃいけない気がしてね・・・」と言いながら、辺りをキョロキョロと見回した。「こういう状況(恋仲と思われる二人が寄り添い合っている)で男二人で居ると同性愛者と間違えられるかもしれないよ?」というニュアンスを孕んでいる言い方だった。

彼は、そんなことは全く意に介さない様子で「それがどうかしたの?」と言った。おそらく、僕が言いたいことは相手にも伝わっているらしかった。その上で「それがどうかしたの?」と言っているように僕には聞こえた。「別に何の問題もないじゃないか。各々が各々の時間を楽しんでいるのならば、それで良いじゃないか。」と言っているようだった。

僕は、自分の気にし過ぎる性格と、彼の全く気にしない性格、足して割れば丁度良い感じになるのかもしれない、などと思いながら、彼の話を聞いていた。別に、彼に対して嫌味が言いたいわけではない。彼の言い分は一理あると思うし、また、彼らしいとも思えた。けれど、僕の感覚とは明らかに異なっていた。その点に関しては折り合いがつかなさそうだな、などと考えていた。

「自意識過剰」「被害妄想」と言われたら、まあそうなのかもしれない。けれど、気になるものは気になる。「誰もお前のこと見てないよ」と言われても、逆の立場だと、目ざとく見ているような僕だからこそ、気になってしまうのだ。相手からすると「考え過ぎ・気にし過ぎ」かもしれないが、僕にとっては「いつものこと」だったりもする。こればかりは、もうどうしようもない。

僕は彼に「ちょっと場違いな気がするからさ、ココから出ない?」と伝えた。先ほどよりもストレートに伝えるよう心がけた。日本人特有の「察して欲しい」という、婉曲的な表現ではなく、ハッキリと自己主張したつもりだった。その割には、オブラートに包んでいる感も否めないが、これでも僕なりに、頑張った方だ。

彼は「ココに居ても楽しくないの?」と問い返してきた。この質問は、僕にとって答え難いものだった。「夕方のワイキキビーチ」というロケーションは、とにかく格別で、いつまでも居られる気がする。つまり、メチャクチャ楽しい。彼と話をしているのも、当然楽しい。けれども「周辺の人々の様子」が、どうしたって気になる。その度合いは、前述した二つの「楽しい」を凌駕するぐらいであった。

なので、敢えて言語化するならば「楽しいのだけど、心置きなく楽しめる環境とは言い難い」になってしまう。これをどう伝えれば良いものか、僕は苦慮した。言葉選びを誤ると「ワイキキビーチに居ても楽しくない」「アナタと話をしていても楽しくない」と受け取られる恐れがある。それだけは、避けたかった。

そうなるぐらいならば、居心地悪さを感じているのを押し殺して「ううん、楽しいよ!ごめんごめん、何か考え事しちゃってさ(笑)」と、誤魔化してしまった方が良いとさえ思えた。けれども、僕と彼の付き合いの長さから察するに、適当に誤魔化したところで「ホントのこと言いなよ?何か隠しているんだろう?」と言われるのは目に見えていた。

ゆえに、僕は二の句が継げずにいた。僕と彼の間に沈黙がおとずれる。時間にすれば数秒、長くとも10秒はかかっていなかったはずだが、二人の間で居心地の悪さを感じるには、十分過ぎるぐらいの時間が経過したように思われた。彼は、僕が何も言わないのを「ホントは楽しくない。でも面と向かって言う勇気が出ない」とでも受け取ったのか「じゃあそろそろ帰ろっか」とだけ言うと、テキパキと帰り支度を始めた。僕もそれに合わせて動いた。

機嫌を悪くしている素振りはなかった。けれども、そっけない言い方ではあった。それが僕には苦しかった。そっけない物言いに対してではない。彼にそんなセリフを言わせてしまったということが、僕にとっては苦しかったのだ。「違う、そういう意味じゃない」と、すぐさま言えば良かったのかもしれない。でも、心のどこかで、カップルが集う夕方のワイキキビーチから離れられることに、内心ホッとしている自分も居る。これもまた確かなのだ。ただ、その代償として、彼と僕の間で、気まずい空気が流れることにはなったのだけれども・・・。

▷「君は人間らしいのだ。あるいは人間らし過ぎるかも知れないのだ。けれども口の先だけでは人間らしくないような事をいうのだ。また人間らしくないように振舞おうとするのだ」

僕は、彼とスタスタと家路に向かう途中で、夏目漱石『こころ』の一文を思い出していた。何か上手くいかないことがあると、そのたびに思い出してしまう自分が居る。人間らし過ぎるのに人間らしくないように振る舞おうとする。ゆえに上手くいかない。僕の心を見透かされているような気になる一文。さすが『こころ』というタイトルを冠しているだけのことはあると、一人、しみじみと感心していた。

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