【エッセー】「いつもより1.5倍増量のピザ」は「いつもより1.5倍幸せ」なのか?
【はじめに】
【巨人-DeNA】のプロ野球中継を見ようと思い、テレビ放送欄をチェックしていると、「日本テレビ」の解説者が「上原浩治・鳥谷敬」と書かれてあったので、じゃあ今日は「BS・CS」じゃなくて、地上波で観戦しようか、という運びになった。(日テレジータスで解説されていた篠塚和典さん、ごめんなさい。言い方合ってるか分かりませんが、良し悪しではなく、世代の問題かと思われます/筆者は1994年生まれ)
楽しく観戦していたのだが、途中、こんなCMが流れて来た。
ちょうど、内容を要約しているツイートが、公式アカウントで投稿されていたので、説明代わりとして、リンクを貼っておく。
要するに、「いつもより1.5倍増量たっぷりシリーズ」を食べると、「いつもより1.5倍幸せな気分になれる」と謳っているわけだが、このキャッチフレーズに触れて、僕は「本当に、”いつもより1.5倍増量のピザ”を食べたら、”いつもより1.5倍幸せ”になれるのかなぁ・・・。」と、疑問を覚えたのだった。
【チャチャ入れ】
モヤモヤを抱えながら思案していると、「限界効用逓減の法則」という言葉を思い出した。
以下、分かりやすく説明されているリンク記事を引用する。
元々は経済学の用語であるが(僕自身、大学の経済学の講義で知った)、日常生活の至る所に潜んでいるのもあり、割とポピュラーな言葉な気もしている。一度は聞いたことがある人も多いのではなかろうか。
僕は、経済学を担当していた教授の方に、「例えば、お腹が空いた状態で、ステーキを食べたとする。美味しくて、あっという間に1枚平らげることだろう。で、そのままの勢いで、2枚目をおかわりしたとしよう。するとどうだ、1枚目を食べた時と比べて、あんまり美味しさを感じないわけなんだな、これが」と、例え話を展開しながら解説してくれたのを聞きながら、「なるほど、一理ある・・・。」と、深く首肯したことを、ハッキリと記憶している。
この話を、今回の「ドミノ・ピザ」のCMに当てはめて考えると、必ずしも、「”いつもの1.5倍”を食べたら、”いつもより1.5倍幸せ”になれる」とは言えない気がしたのだ。
例えば、「ドミノ・ピザが大好き!でも、チーズやトッピングが、もっとたっぷり盛られていれば、もっと、も~っと美味しくなって、幸せを感じられるのになぁ~!」という人が居たとしよう。もしも、この人が「1.5倍増量たっぷりシリーズ」を食べたら、1.5倍以上の幸せを感じられるのではないかしら。その数値が具体的にどれぐらいなのかは「人による」としか言えないので、何とも言えないが。
例えば、「ドミノ・ピザが大好き!チーズやトッピングの量もちょうど良い感じ!いうことなし!」という人が居たとしよう。この人が「1.5倍増量たっぷりシリーズ」を食べたならば、1.5倍未満の幸せを感じるのにとどまるか、もしくは、「こんなに盛り付けられるとバランス悪くなるなぁ・・・。」と、1倍未満の幸せ(つまりマイナス)に転じる可能性すらある。
このように、同じ「ドミノ・ピザ愛好家」だったとしても、「通常のボリュームで十分満足している」という人と「通常のボリュームでは正直物足りない」という人、2パターンが居る、と仮定した場合、このCMの謳い文句は、厳密に言えば、誤っていることになる。
その上で、敢えて正しさを追求して、言語化するのであれば、
こんな形で表記されていれば、僕は「んっ?」と思うことは無かったと思う。
おそらく、「チーズは1.5倍」の数字に掛け合わせる形で、「いつもより1.5倍幸せ」と銘打ったのであろうが、やはり、「幸せ」は、主観で決まるものなので、数字を用いて説明されてしまうと、「んっ?」と感じてしまう人も、一定数おられるのではなかろうか。(幸福度ランキングとかもモヤモヤを覚えるタチなのだけど、話し出すと長くなるので、ココでは割愛する)
【余談】
「チャチャ入れ」の項を執筆していたら、又吉直樹のユーチューブチャンネルの名物企画「百の三」で、「限界効用逓減の法則」と関連していそうな(?)テーマに言及するシーンがあったよなぁ、と思い出した。
軽く検索をかけてみたら、運良く動画がポンと出て来てくれたので、リンクと、該当部分のスクショを貼っておく。なお、スクショだけでは説明が不十分と思われるので、適宜、僕が補足説明を加えることとする。
千鳥の大悟と、居酒屋で食べた「とうもろこしのかき揚げ」が、メチャクチャ美味かったらしい。それで、又吉直樹は、「色んなもんを頼んだ方がええんやろうけど・・・。」と悩みつつも、あまりの美味さに、思わず、「コレ美味いっすね~。もう一個頼んでいいですか?」と、千鳥の大悟に尋ねたら、「おお、頼み~」と言ってくれた、とのこと。
千鳥の大悟と同じシチュエーションになった又吉直樹は、インパルスの板倉も、とうもろこしのかき揚げを、「美味いなぁ、コレ」と言っていたのを見て、同じように、「美味いでしょ~。もう一個食べましょうか?」と、OKが貰える前提で尋ねてみたら、「待て。俺達は今、冷静さを欠いている」と制止された後、「今、俺達は、追加で食いたくなっているが、数分後、変わってるからな。腹の状態」と説明された、とのこと。
千鳥の大悟とインパルスの板倉、両者のリアクションに対して、又吉直樹はのまとめ方が、コレだ。初めて動画を視聴していた頃の僕は、このまとめ方に、感服した。「あぁ、自分も、こうでありたい・・・。」と思った。
人間観察を行なっていると、「自分が求めている答えと反する回答=間違っている」と考える人が、一定数居られる気がしてならない。いや、そんなことを書いている僕自身、良くないと思いながらも、無意識的に、そんな言動を取っているのかもしれないので、人様のことを、とやかく言う筋合いは無いのだけれども。
又吉直樹は「二人の芸風みたいなのが返しの一文に出ている」と評している。これは、僕が良く用いる表現に言い換えれば、「〇〇らしい」ということになる。確かにソレはある。同じ主張だったとしても、Aさんが言うのかBさんが言うのかで、受け取り方が180度異なる、みたいな現象は起き得る。その視点は常に忘れたくないものだと、改めて感じた。
「・・・・・」(キーボードを打つ手が止まる)
そうじゃなくて。今回は、そういう話がしたいわけじゃなくて。「限界効用逓減の法則」の観点で、一連のエピソードを見た時に、インパルスの板倉の返し方は、
「1つ目のとうもろこしのかき揚げを食べた時は、幸福感に満ちた思いだったかもしれないが、2つ目のとうもろこしのかき揚げを食べた時は、結構お腹も張って来て、揚げ物よりもサッパリとしたものを食べたくなってきているかもしれない。そうなると、”残すと勿体無い”の精神で、義務的に食べることとなって、幸福感はおろか、食べれば食べるほど不幸な状態に陥る可能性すらある。そのリスクを負った上で、とうもろこしのかき揚げを追加注文するか否か、俺達は決める必要があるんだぞ。分かっているのか?」
・・・と、言っているように思われて、「さすが板倉。面白い返しするよなぁ〜(笑)」って、一人、クスクス笑ってしまったのだけど、僕の笑いのツボ、大丈夫そう?(数え切れないぐらい「どこで笑ってんねん」と言われ続けてきた人生/現在進行形)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?