【feat.藤田ニコル】気持ちが冷める瞬間/「NO」を伝える時に心がけていること
過去の恋愛を振り返ると、付き合う前の段階でも、付き合った後の段階でも、手を繋ぐ際は、相手に確認を取った上で、手を繋ぐようにしていたことを思い出した。この行為は、藤田ニコルにとっては、恋の気持ちを冷めさせることになっていたわけだ。そんなこと、考えたことも無かった。
もしも、確認を取らず手を繋ぐことがプラスに働いて、恋愛成就に繋がったケースもあったのかな、などと思いを巡らせてみると、尚更、気が滅入ってくる。これだから「タラレバ」は嫌いだ。どうせ考えたところで現状が好転するわけでもないのに、ついつい、考えてしまう自分が居る。そんな自分も嫌いになってくる。
なぜ僕は、毎回、手を繋ぐ際に、確認を取っていたのだろう。理由を探ってみると、付き合う前の段階においては、確認をせずに手を繋ぐことで、相手から嫌われてしまわないだろうか、という不安から、ワンクッション挟むように心掛けていたのではないか、と思われた。
考えてみれば、手を繋ぐ行為だけに限らず、今回のテーマである「性的同意」の全てにおいて、「キスしていい?」などと、相手に確認を取る癖が、僕にはあるのかもしれない。そうなると、藤田ニコルにとっては、気持ちを冷めさせ続けていた、ということになる。その事実に気付き、僕の気持ちも冷め続けている。なんならお腹の辺りがズキズキと痛んで来た。(本当の話だから参る)
藤田ニコルは「確認すること自体は『優しいな』とは思う」と、フォローを入れているが、僕の場合、「なぜ確認するのか?」を考えて、導き出された答えは、「優しさ」ではなく、「自己保身」とでもいうのか、”相手から嫌われたくない”という心理が働いて、いちいち確認しているのだから、世話が無い。「そんな純潔な思いで確認してるわけじゃないんです・・・。」と、平身低頭の思いに駆られた。
そもそも僕は、恋人関係の相手に対して、何事に対しても、性的同意を求めるタイプな気がして来た。付き合う前だとか後だとか、手を繋ぐだとか、そういう、限定的なシーンにおいて、ではなく、何から何まで、だ。藤田ニコルのことを密かに好いている僕としては、この事実は、到底、受け入れがたいのだが、事実なのだから、仕方あるまい。(またお腹が痛んで来た)
先ほど、僕は、「自己保身」と形容したが、確かに、その気持ちも、ある。ただ、それは、付き合う前の段階に限った話な気がして来た。であるならば、付き合った後の段階だと、どう変容するのか?
言うならば、「性的関心」といったところか。付き合った後の段階であれば、「嫌われないかな?」とか「断られないかな?」などといった不安は、おそらく、無い。にもかかわらず、相手に確認を取るのは、「相手はどんな反応を示すのだろう?」とか「どんな表現でOKサインを出してくれるのだろう?」などといった好奇心から、尋ねているように思われた。
こんな僕の振る舞いは、藤田ニコルからしたら、反吐(ヘド)が出る思い、とでも言うべき感情を覚えるのであろうか。もしそうだとしたら、ただただ、悲しい。
なお、壁ドンに関しては、『ヒロイン失格』という映画を見に行って、”連続壁ドン”と呼ばれるシーンを目の当たりにした時に、「さすがにコレは無いだろう。相手にトキメキを与えるどころか、恐怖心を与えるようにしか思えない」と、ドン引きした過去があるので、僕は、人生で一度も、試したことがない。その点は、藤田ニコルと、恋愛観が一致するかもしれない。(そっと胸を撫で下ろす)
【※】参考記事
制作に携わった皆様、ドン引きした、などと言って、ごめんなさい。
僕自身、当時の恋人と同棲していた経験があるので、その日々を思い出しているが、確かに、毎日毎日、セックスに勤しんでいるか、と言われれば、実は、そんなことも無かったりするのが、実情だ。
僕が同棲していた時期が、ちょうど、学生~院生の頃だったのもあってか、周りの知り合いからは、「さぞかしお盛んで・・・。」と、からかわれたものだが、おそらく、想像以上に、お盛んではない。だからといって、ドライ、というわけでもないんだけどね。
藤田ニコルが、「今日はハグだったらできるから、ハグして寝よう」と述べているが、コレに近い関係だったのかもしれない。というのも、「毎日セックスしていましたか?」と聞かれたら、答えは「NO」になるが、「毎日ハグして寝ていましたか?」と聞かれたら、答えは「YES」になるからだ。
同棲していた頃、当時の恋人と、同じベッドで眠っていた。就寝時刻は、なるべく同じタイミングで、とは思っていたが、ズレ込むこともあった。僕の方が遅くなることが多かったと思う。その場合は、そうっと忍び込んで、そうっと身体に手を回して、起こすことのないように、ハグをしながら眠っていたものだ。
思い返してみると、僕が後からベッドに入るシチュエーションで、当時の恋人を起こしてしまうケースは、早々無かったものの、やはり、至近距離でゴソゴソされると、無意識的に反応するのか、寝がえりを打つなどのアクションを起こすケースは、多々あった。その際に、僕の身体を、ぎゅーって抱き締めて来ることも、結構あった。ソレをされると、正直、寝苦しいと言えば寝苦しいのだけど、本能的に求められているような気がして、寝苦しさを補って余りある幸福感を覚えたものだ。
それと同時に、今となっては、全てを手放してしまったのだな、と思うと、途端に、尋常じゃない虚無感に襲われてしまった。「あの頃は良かった・・・。」と、過去を懐かしく感じることは、「それに引き換え今は・・・。」と、現在を物憂く感じることとセットなのだなと、つくづく、思い知らされる。
「懐古趣味」を自称している僕にとっては、こんなこと、日常茶飯事レベルで起きている。とりわけ、同棲していた頃を思い返すと、行き着く先は、大抵、虚無感だ。当時、近い将来の結婚を約束した彼女は、もう居ない。風の噂で、別の男性と結婚して、子宝にも恵まれて・・・、そんな話を、耳にしたことがある。僕は、あの頃から、「思い出時計」の針は、ちっとも進んでいない、というのに。
なお、藤田ニコルが、性的なテーマを公の場で語ることをタブー視する風潮に異議を唱えているが、文中の彼女の言葉、「性行為を断る際には『無理』って言えるタイプ」、「今日はハグだったらできるから、ハグして寝よう」この二つを契機に、実際に、性的関係にある男性と、ベッドシーンで会話している絵を妄想して、勃起した状態で、記事執筆を行なっている僕としては、何とも言えない、否、何も言える立場に無い、とコメントする他は無いだろう。
【P.S.】
この際だから、白状する。
僕は、この記事をUPした後、同棲していた当時の恋人か、藤田ニコルか、どっちをオカズにしてオナニーしようか、頭の片隅で思案しながら、執筆作業をおこなっていた。
「正直者は救われる」のか。「正直者が馬鹿を見る」のか。悲しいかな、僕の経験則からいけば、この社会は、後者のケースが、圧倒的多数に思われてならない。
それでも僕は、正直に生きたい。