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2023.07.08 土曜日


昨日「生活リズムを好転させられるかは今日の睡眠に懸かっている」といった旨のコメントを残して日記を書き終えたと記憶している。

結論から言うと、概ね、上手く言った。厳密に言えば、昨日に引き続き、アラーム前に起床してしまい、自分が想定していたよりも短い睡眠時間で1日を生活することになったため、今この瞬間も、どこか頭がボンヤリしている気もするが。

まあ、許容範囲内と言って良いだろう。そもそも、僕に限らず、体調が万全なまま、1年365日過ごせるわけはないのだから。そういう意味では「悪いなりに良かった」と形容するのが最も適した表現だと言えるのかもしれない。

ゆえに、今日をもって、睡眠に関する話題に言及するのは、一旦やめることとする。無論、また同じように、睡眠が上手く行かないと思い煩う周期が来れば「日記ネタ」として昇華させていただく腹積もりではあるのだが。

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こうやって、生活リズムを、少しずつ改善していく自分のことを、改めて思い返してみると、いわゆる「無事是名馬」と呼ばれる人が、いかに過小評価されているのかと、憂いの念も出て来る。だってそうじゃないか。いや、もっと言うと、過小評価を飛び越えて、マイナス評価を受けていることすらあると僕は思う。

話題が話題なだけに具体名を挙げるのは控えるが、例えば「いつ見ても同じことやってる…。」「全く進歩しねえよな」などと、子馬鹿にしたような視線を浴びせかけながら、ナチュラルに(本人は悪口だと自覚していないような口ぶりで)、非難批判を行なっているケースは、枚挙にいとまがない。

だけど、改めて、考えてみてほしい。

”いつ見ても同じことをやっている”
”全く進歩がない”

果たして、この状態を「小馬鹿に出来る客観的材料」と言い切れるのだろうか?

僕は、そうは思わない。その理由は、これまで前述してきた通りだ。「いつ見ても同じことをやっている」という点は「持続力・継続力に乏しい」僕と比べると、明らかにプラス評価の対象になると言える。また「全く進歩がない」という点は「行ったり来たり・右往左往を延々と繰り返す」僕と比べると、少なくとも「退歩」はしていないわけだから、やはりプラス評価の対象だ。

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今日の日記を書く過程で、太宰治『炎天汗談』の存在を思い出した。せっかくなので、一部分を引用して、締めの言葉に代えさせていただく。

【引用始まり】

▶修業という事は、天才に到る方法ではなくて、若い頃の天稟のものを、いつまでも持ち堪へる為にこそ、必要なのです。退歩しないというのは、これはよほどの努力です。ある程度の高さを、いつまでも変らずに持ちつづけている芸術家はよほどの奴です。たいていの人は年齢と共に退歩する。としをとると自然に芸術が立派になって来る、なんてのは嘘ですね。人一倍の修業をしなければ、どんな天才だって落ちてしまいます。いちど落ちたら、それっきりです。

▶変らないという事、その事だけでも、並たいていのものじゃないんだ。いわんや、芸の上の進歩とか、大飛躍とかいうものは、ほとんど製作者自身には考えられぬくらいのおそろしいもので、それこそ天意を待つより他に仕方のないものだ。紙一重のわずかな進歩だって、どうして、どうして。自分では絶えず工夫して進んでいるつもりでも、はたからはまず、現状維持くらいにしか見えないものです。製作の経験も何もない野次馬たちが、どうもあの作家には飛躍が無い、十年一日の如しだね、なんて生意気な事を言っていますが、その十年一日が、どれだけの修業に依って持ち堪えられているものかまるでご存じがないのです。権威ある批評をしようと思ったら、まず、ご自分でも或る程度まで製作の苦労をなめてみる事ですね。

【引用終わり】

それでは、また。

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