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現役精神科医が『ミス・サイゴン』を観て考察した『私が生まれて来た意味』を問うてはいけない理由

9月に高畑充希さん、伊礼彼方さんキャストのミス・サイゴンを観ました。以前には25周年記念公演inロンドンのDVDも観ていました。舞台の芸術性は誰もが認めるところなのでしょうが、観たもの同士で話をすると、ストーリーや設定はあくまで『アメリカ人目線でのベトナム戦争』だよねと言う話になり私もそう思います。

正直、『おいおい…』というエピソードが満載。ベトナム戦争の悲惨さは横に置いて、設定として『は?』と思うこと多数。

しかし高畑充希さんの歌はあまりに素晴らしかったです。
気になる方はまた再演されるでしょうから、実際に観てください。

本題。何が『私が生まれて来た理由』を問うてはいけないワケ、なんでしょう。

『私って何のために生まれて来たの?』というのは、思春期に誰もが一度は抱く疑問でしょう。そして通常であればいろいろ経験して、自分の道を見つけ、やがてそのようなことは思わなくなるのですが、精神科の外来ではいい大人になってもこの疑問を繰り返す人が少なくありません。

アドラーの教えにもあります。『一般的な人生の意味はない』と。

ミス・サイゴンはベトナム戦争の話です。戦争孤児の実際の映像が流れます。戦地の売春宿で米兵が売春婦を買いそのまま帰国。身ごもった女たちが産み落としたあまりに多くの子。ベトナム戦争に限った事でなく、沖縄や世界各地でも同じような例は枚挙に暇がありません。

売春だろうが強姦だろうが性欲処理だろうが、愛情など微塵もなくても性行為により一定の確率で子どもは産まれる。白黒フィルムで映し出される孤児の群れは私にその当たり前の事実を改めて認識させました。

改めて、と書いたのは、私自身がもともとそういう認識を持っているからです。『ボクはパパとママをお空から選んで降りてきたんだよ』的なものをスピリチュアル系の本を読んだとき、『気持ち悪い』とすら思いました。
『産まれ来る命』に神秘性も崇高性もないことは戦争を持ち出すまでもありません。ただの細胞の融合と分裂の結果に過ぎないのです。

思春期に『私が生まれて来た意味』を知りたがることを否定しているのではありません。それは人間が人間たる所以であり、若い一時期にその疑問を抱いてから自分の生きる道を見出して、人として成長していくのが本来の姿です。生まれた境遇は関係ありません。

ですが大人になってもいつまでもこの疑問を繰り返す人は、概して自分の不遇を恨んでいます。そして他力本願的に人生の意味や幸せを誰かが与えてくれるべきものだと信じています。
実際は誰かが意味を与えてくれることなどありませんし、そのようなことを言う人がいたら、それは自分の言葉に責任の取れない軽い人です。

産まれてくること自体に、意味などないのです。
意味は自分で創り出すもの。

自分の不遇を嘆き答えのない問いを繰り返すのは終わりにして、与えられたものを使いいかに生きていくかに目を向けたとき、自分の人生に意味を与えることができるのです。

思春期の子を持つ方も、子供さんがこういう疑問を口にしたときは、こんな風に話をされてみてはいかがでしょうか✨✨

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