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3年前のトイレットペーパー騒動を考える~パニックに巻き込まれないために~
もはや4年目。狂った感染対策はいつまで続くのだろう。最近学び始めた群集心理だが、まだまだこのテーマについて書くほど深まっていない。
しかしこの騒動と言うかバカ騒ぎが4年目に入るということで、ふと騒動初期に起きたトイレットペーパー事件を思い出したので、少し考察したい。
当時テレビに流れるトイレットペーパーを奪い合う人々を見て絶句した人も少なくないだろう。その後デマを流した個人が特定されたとかされなかったとかいうニュースが流れたが、最終的にどうなったかは知らない。
私はリアルに知らないが、オイルショックで同じようにトイレットペーパーを奪い合う当時の主婦たちの白黒画面が重なったし、群集がパニックに陥れば、いくら政治側が「供給は十分にある」と叫んでも制御不可能になる恐ろしさを目の当たりにした。
では、トイレットペーパーを奪い合う彼らの頭の中で何が起こっていたのだろう。
それは、
「トイレットペーパーがなくなる」=「自由に排泄できなくなる」
と言う恐怖に尽きるだろう。
今こうして文字にしてみれば、等号の左右が実際には等価ではないことは、すぐにわかるはずだ。
当時の騒ぎを見て、友人に送ったラインの一部を引用する。
日付は2020年3月1日だった。
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海外に行ったことあるなら分かると思うけど、トルコに行ったとき、結構な都市部でも、使用済みのトレペをトイレに流してはいけなくて、脇に置いてる蓋付きの缶に捨ててました。もちろん紙は日本の見たいにやらかくない。なので、いざとなったらトルコ方式でコピー紙でもなんでもクシャクシャにしてそれで拭いて、袋に貯めて普通ゴミに出せばよいのです。なんとでもなると思います。ありとあらゆる紙を使えばよいのです❗️
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全く特殊なことは書いていない。
なのに、実際には「トイレットペーパーがなくなる」と言う文字を見た途端、脳内が「自由に排泄できない」という思考に占領された多くの人が、怒号の中トイレットペーパーを奪い合うという蛮行に出た。
そして店先からトイレットペーパーが消えた。
なお、直接の友人でこんな愚行に及んだ人はさすがにいないが、「いくら止めても親が聞かずに買いに走った」という嘆きはいくつか聞いた。
今後もこの手のデマは流れてくる可能性がある。そのとき、私たちはどうすればいいのか。
何も難しくはない。仮に「〇〇がなくなる」という情報が流れてきても、代替物、代用手段を考える、という冷静さを持ち続けるだけだ。
『トイレットペーパーがない』は外的刺激。これに対し反射的に生じた「排泄ができない」ことへの「恐怖」という感情は間違いであることに気付けるか。
感情はいつも正しいとは限らない。
感情を行動に直結させてはいけないのだ。
人間には、言語がある。言語を用いた思考という精神活動を行えるか。
感情と行動の間に思考を挟めるか。
これができる人は、パニックに陥らない。
ちゃんと考えましょうね。
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