先輩とは

今晩は、今日は、お早うございます。メガネ総帥です。
オンライン講義なのにレポートは手書きで写メるってシステムなんなんですかね。原本提出ってはわけでもないのに手書きて...。とはいえ留年している身としてはオンラインはとてもありがたいです。大学まで行かなくていいのですから。
さて、今回は2年生から受験まで突っ走って書こうと思います。タイトル通り先輩になり一丁前に考える事も増えていきます。あの時本当に考えていたのか振り返っていきます。

2年生になり初めて後輩というものができました。しかも速い。でも不思議と劣等感というものがなかったんですよね。多分初めての後輩というのがもう容れしくてしかたなかったのでしょう。更に、2年になったところで部顧問が変わり、男子部員の殆どがやめてしまいました。これには理由があり、新しい先生はサボって部室でサボっている部員に対して怒りを露わにし、その結果サボる事もできないしうるさいからと辞めてしまったのです。私はというと割とちゃんと練習していた方で新しい顧問の先生も練習しやすい環境や練習内容を考えたりしてくれました。前の顧問の先生もそうですがとにかく私は恵まれていたと思います。厳しいけど練習見てもらい練習以外のこともたくさん話したりしました。
話は戻って後輩のことですが、後輩たちはスポーツクラブにも入ったので停会に行ったりするのも人数が増えました。これが本当に嬉しくて、3年生が引退したら2年生男子で大会等にいくのが私だけになっていたからです。心強かった。

一気に時が経ちましてまた駅伝シーズンです。私はもうやるまいと思っていましたが、短距離も合同練習をしようということになり私は進んで参加しました。勿論ハードだし短距離でも置いていかれていましたが楽しくて仕方なかった。休憩の度キツすぎて笑ってしまうくらいです。駅伝大会は1年同様に応援に徹していました。

3年になるといよいよ進路を決めないといけません。といっても私は特に考えず部活してました。後輩も増えて、より楽しく陸上を好きになってもらおうと先生と練習を考えたりもしていました。
夏休みになると宿題として高校への体験入学に行かなくてはなりません。全く考えていなかった私は慌てて県内の高校を調べ始めました。最初に見つけたのは「ビームライフル射撃部」というものがある高校で面白そうと思ったのですが、その高校は学区外ということでそもそも受験できない上、超進学こうでした。無理です。
とりあえず市内にある高校に行こうとした時にスポーツ科学科という学科を有する公立高校を見つけました。そこには寮もあり陸上部はインターハイ出場者もあり、学区外だけど専門科があるから受けることも可能というすごく「いい!」となる高校を見つけ、体験入学へ。感想としてはとにかく最高でした。スポーツ科学と言うだけあり体験入学に来ていたのも競技レベルの高い人多い印象でした。
それから数日して学校説明会がしないで行われ、修学旅行は海外、実習でスキーやスクーバダイビングといったこともある上、説明会担当していた先生が陸上部顧問で更に同郷という運命なのではと思えて進学を希望しました。この顧問の先生との出会いは本当に運命だったと感じます。

受験シーズンに入る中私は相変わらず部活をしていました。受験シーズンということは駅伝シーズンでもあります。私は先生と話頑張るので駅伝で走らせて欲しいと頼んだ記憶があります。いや先生に今年は知らないか?といってもらったのかな、そこが思い出せない...。とにかくきついけど短距離も長距離も両方練習して駅伝で走ることができました。本当にキツかったけど今でも景色を覚えています。襷を受け取った時、重かった。本当に重かった。キツかった。泣けましたね。卒業アルバムに走っている写真が載せられれいすのですが顔は結構普通の顔でしたがあれはスタート直後だったからかな。最後の方撮られてなくて良かった。

何故受験シーズンなのに部活を辞めていなかったのというと、駅伝を走りたかったのと受験で体力試験があったからです。50m走、反復横跳び、砲丸投げ等ですね。砲丸なんて投げたこともなかったので苦労しました。後輩も一緒に試験の練習に付き合ってくれて、夜に公園で一緒にランニングもしたりしました。本当にいい後輩を持ちました。
更に面接試験の3分間スピーチの内容を考えているうちに、

「スポーツを続けたい。大学でも続けたい。スポーツの大学ってなんだ?日体大か!日体大いく!」

はい、これが日体大目指したきっかけです。単純な上に大学を知らなかったんですよね。地元なら至学館大学や中京大学等体育系大学はあるのにです。


そんなんこんなで後輩や先生にも助けてもらいながら挑んだ推薦入試。50m走スタート転けかける。砲丸投げでは1つ目に投げていた女子に負ける。極め付けは面接で「陸上部に入って走り幅跳びでインターハイを目指したいとおっしゃていましたが、何メートル跳べばいけるとお考えですか」という想定していなかった質問に対して「8m跳ぶことが出来れば入賞はできると思います」と答えました。ちなみに現在の男子走り幅跳びの日本記録が8m40、中学生男子走り幅跳びの日本記録は7m40です。よくその場で溜息つかれなかったなと思います。
当たり前のように推薦入試は落ちましたが、その後ランニングや反復横跳びの練習もハードにし、勉強もその時は結構がんばりました。卒業式後に一般入試ということで卒業式なのに心が落ち着かなかったです。

一般入試では実技もうまくいき面接も変なことは話さず、見事合格です。顧問の先生に崖っぷちでしてよ〜と話すと「いや君は崖から落ちた時にギリギリ生えていて草を掴んで宙ぶらりんな状態だったよ」とガチトーンで言われました。それだけに本当嬉しそうで喜んでいただきました。後輩たちや友人にも話すと先生と同じようなことを言われたので多分相当やばかったんだなと改めて思いました。そしてようやく卒業を実感し、初めて後輩たちと離れることを思い涙が出ました。小学校卒業やクラブを卒業したときとは感情が違いました。これが部活かと...。
高校に入ったら走り幅跳びでインターハイに行けるくらい目一杯練習して、友人や後輩ができたら楽しくしたいな。寮生活もたのしみ。スポーツ科学科だしスポーツ学んで日体大いくぞ!と意気込んで遂に高校へ入学しました。

くぅ~疲れましたwこれにて中学生編完結です。
ということで如何でしたでしょうか。相変わらずの読み辛さで申し訳がないです。とにかく突っ走りました。日体大を目指した経緯は本当にざっくり適当でした。そもそも大学に行こうと当時から考えていた自分にも驚きます。
もっと書きたいこともありましたがそれは別個にしてそのうち書こうかと。頭の整理にもなりますからね。
次回から高校生編に突入になります。高校は入学して早々に色々とあり、それによって色々あります。適当すぎますが本当に濃密なんです。それだけに未だ「高校は良かったな〜」と思います。
ここまでありがとうございました。

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