《全て》

親に無断で、彼女の家で彼女と2人で同棲していた。しかし1週間が経過したところで父がキレて実家にセルフ強制送還となってしまった。無念。

そして、精神科の心理カウンセリングでは、僕の病気の直接的原因が母の不適切な教育の""賜物""であること、そして間接的に父が一切の育児放棄(ネグレクト)を貫いたことで母の影響はより色濃くなってしまったことが発覚した。

「強迫性障害」
発症してから6年と半年。病気になったからこそ、見えてきた世界があり、視野が広がり、知識や経験や新しい価値観を得た。病気になったことで成し遂げられたことはあるからこそ、頭打ちで即刻否定することが出来ない。ただ、発症してから6年と半年。失うものも甚大だった。多くの時間を無駄にし、エネルギーを無駄にした。みんなが当たり前にできることができなくなったし、みんなが簡単にこなしている「日常」がとてもとても難しいものに様変わりした。大事な人を何度も何度も数え切れないくらい果てしなく傷付けた。

その全ての始まりは両親にあった。

最初に精神科に連れていったのは母だが、母は理解者のようでいて、やはり理解者ではない。「いつまでも病気病気って言い訳するな!」という発言が最たる例だ。僕は割とズボラでぼーっと過ごしているけれど、しかし怠惰にしては説明が雑すぎる事柄が多くあった。そう、みんなが当たり前にできることが難しい、というやつ。母は理解者ではない。

父は最初から理解者などではなかった。「お前、演じてるだけなんだろ?本当は病気なんかじゃないんだろ?」とトンデモ発言。余りにもデリカシーに欠けるセリフ。そして、今回の同棲強制送還。僕は資金援助も家族に求めてないし、別に実家において何か特別な役割や仕事を担っているわけでは決してない。実家に居たところで、布団の上でゴロゴロ過ごして、ご飯を食べ、ゴロゴロして、寝るだけの生活。これなら彼女の家で家事をきちんとして勉強して……という生活の方が余程生産的。僕を連れ戻す際、「世界旅行したら治るからって世界旅行するのか?人を殺したら治るからって人を殺すのか?しないだろ。置かれた環境で出来ることをするしかないんだよ」と言った。閉鎖病棟内で全身麻酔をかけられて頭に電流をビリビリ流された僕からしてみれば、笑ってしまうセリフである。深刻な患者は治るためなら何だってトライしようとする。さすがに人を殺す気はないけれど、世界旅行して治るならしたいと思うし、そもそも彼女の家への交通費は多目に見積もって2,000円くらい。月々のバイト代で行けてしまう距離だ。自分の持ちうるカードを使っているだけだ。

今日はアルバイトの最中、色々考えた。
(さすがにそこまで愚劣な両親だとは思いたくないが、)例えば父が僕の学費をダシに彼女と別れるように脅してきたとして、どうするだろう?とか。答えは決まっていて、僕は退学してでも彼女を選ぶ。

彼女の存在があるからこそ、断捨離できたし、これからも断捨離していくだろう。僕はLINEで複数のグループを退会し、友達を200人ブロックして、Facebookも数十人ブロックして、Twitterのアカウントも消した。過去の記憶にまつわるもの、つまり記録物もどんどん捨てた。今までに人から貰った年賀状、部活引退の時の色紙、大量の写真、手紙。バサバサ捨てた。

僕は昔はかなりメルヘンな性格だった。《今の僕》というのは、それまでの自分史の中に、要所要所で、重大な出来事であったり印象的な出来事だったり経験だったりをして、その積み重ねである。そう考えていた。
いや、別に間違ってはない。僕は今年で23歳になる。生まれ落ちてから23年間に、五感で得た全ての情報や出来事・経験の積み重ねの結果が、僕の価値観を形成している。しかし昔の僕は、そのことに価値を感じていた。「僕は多くの思い出と人に生かされている」などという宗教じみたことすら考えていた。
だから楽しいことも悲しいことも悔しいことも、毎日日記に記録していた。それが現在はどうか。数多の文字が記されたそれらの日記帳らは、今の僕からしたらあまり価値を感じないし、仮に火事で燃えてしまってもあまり落胆しない気がする。""ただの紙切れと文字という記号の羅列""、という認識がふと浮かんだ。

何が僕を変えたのだろう。これまた答えは明白で、それはやはり《彼女》の存在。

彼女さえそばに居てくれれば、親族とも縁を切っていい。家族とも離縁していい。「2人の親友」だけは手放せないと思うが、それ以外は絶縁したって構わない。

彼女が僕の色んな感情を引き出した。病気で失われた人間味を取り戻してくれた。ずっと僕のことを想ってくれている。「桁違い」「凄まじい」ほどに。

彼女のそばにいるために、これから就活する。彼女との時間を確保するのが最優先。
彼女のそばにいるために、行動する。何よりも彼女のそばにいる事が最優先。

宗教じみているようにも見えてしまう、皮肉である。これまた今度はメンヘラ味がマシマシだ。
でも、彼女と交際をしてきて、価値観が変わった。彼女と出会う以前の記憶は要らない気がする。彼女と出会ってから今に至るまでの記憶軸を中心に、その他の記憶が絡んでいる。その他の記憶はバックグラウンドのような立ち位置であり、補足的。

彼女と別れるくらいなら、退学を選ぶ。学歴をいつだって捨てられる。家族も捨てられる。

僕は病気故に、自分の本心と異常思考の区別がつかなくなる。けれど、前述の考えは、本心であると信じたい。

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