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言語習得で私たちが得られるもの

先日旺文社の英語情報誌『Argument』の巻頭エッセイに載せた文章をこちらでも掲載しておきます。

テクノロジーの進展はすごいもので、英文を翻訳するのもChat GPTや近いAIツールを使えば誰でも苦ではなくなりました。リアルタイムの通訳も、容易にできる日も遠い未来ではなさそうです。

そんな環境の中で、改めて「外国語を学ぶ意味」について考えてみました。特に子育て世代や英語学習に関わる方々にはとても重要なトピックだと思いますので、参考にして頂ければ幸いです。


「日本人は長く英語を勉強するのに英語が喋れない。なぜなのか?」といった問いを見かけます。教材に問題があるとか,スピーキングの時間がとか,知識偏重で文法ばかりとか,どれもそれらしく聞こえます。この問いと向き合い,留学・海外ビジネスを経験から「言葉の壁を越える鍵は,言語以外の領域にある」というのが今の考えです。

 欧州の大学院に留学した時の話です。初学期,英語ディスカッションに全く参加できないに直面しました。ビジネススクールに入学するためのTOEFLはクリアできたのに、厳しい現実に直面した私は,「他の非英語圏の学生はどんどん発言しているのに全然ダメだ…日本の英語教育がいけないんだ…」と嘆いていました。しかし,冷静に振り返ると,自分がぶち当たっていた壁は,言語以外の壁だったと,確信を持っていえます。

 第1は論理の壁です。自ら問いを立て,答えを導き出し,根拠と合わせて人前で話すという英語圏では当たり前のコミュニケーション構造に慣れていなかったことです 。教師が一方的に知識を授ける講義で,自分の考えを発する機会が少なく,その状態で「お前は何が問題だと思う?」と聞かれても,喋る内容が思い浮かびません。一方,ディベートに慣れた英語圏のエリート層は,考えがまとまらなくとも直感的に考えを述べ,論拠を瞬時に思い浮かべて話します。今でこそ日本でも,外資戦略コンサルの台頭で「イシューより始めよ」的な考えの枠組みはポピュラーですが,この枠組みを自分の頭の中に築けたのは,博士課程に通いながら査読論文を執筆した時でした。つまり,グローバルコミュニケーションの枠組みは,英語という科目の中で体系的に学べる領域ではないのです。

 第2は文化の壁です。会議のあり方や進め方が文化圏で異なるという事実を私が知らなかったのです。個人主義が強い国では,議論を戦わせることでより良いアイデアが生まれるという信念が文化に刻み込まれています。一方,集団主義寄りのアジア圏の国では,相手の面子を潰さないよう,会議の場で相手を言い負かすよりは,事前に意見のすり合わせが行われることが多い。よって後者の出身者が,ディスカッションや発言を奪い合う場に馴染めないのは当たり前なのです。私が相手の発言を否定することに抵抗を感じていたのは,言語の問題だけではなく,文化的背景にありました。

 第3は心理の壁です。社会心理学者ホフステードは,日本を世界で最も不確実性回避傾向の強い国といいました。そこで人はミスを極端に恐れたり、確信が持てない行動を取りたがりません。その影響もあったのか、私は授業で注意深く議論を聞き,他の学生の発言を遮らないよう配慮して待ち構えた結果,何も発言せずに授業を終えたことがよくありました。また欧州でも日本人同様、英語を第二言語として使う人がほとんどで,ひどい訛りで何を喋っているのかわからない人も多くいました。それでも,彼らの自信ある態度から,自分のリスニング能力が足りないと思っていたことも,当時の敗因でした。こうした心理的障壁は,一朝一夕に壊せるものではありません。言葉だけを学んでいても克服できないものなのです。

 このように,英語でコミュニケーションが取れない原因には,言語以外の要素が影響している,というのが私の仮説です。日本の英語学習に課題があるとすれば,習得した英語を使う際に言語以外の壁が存在すると理解していない,もしくはその影響を軽視し,全てを「言語の問題」と片づけてしまうところにあるのではないでしょうか。残念ながら,日本国内にとどまって英語の勉強だけをしていると,言語以外の壁を乗り越える機会が限定されます。英語が使えるようには英語圏に行ってしまうのが一番の近道だだといわれるのは,壁を乗り越える学習リソースがそこに存在しているからだといえるかもしれません。

 昨今,テクノロジーの進化で英語圏のニュースの翻訳や情報収集が簡単にできますし,海外の仕事は一部に過ぎないので全員が言語を学ぶ必要はないという声も耳にします。しかし,私たちは言語習得を通じて,論理,異文化理解,自己理解という大きな実りを手にすることができるとも言えます。一人の親としては,将来子供達が海外で働く・働かないに関わらず,異国の言語を学び,違いをチカラに変える豊かな人間に育ってほしいと思います。

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