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サッカーにみる文明の衝突

世界中の老若男女に楽しまれるサッカーをはじめとするスポーツは、まさに国境を超えたグローバル・エンタテイメント・コンテンツですね。今日は文化の視点から、この競技について触れてみたいと思います。

多様性に満ちたスポーツ

私自身もバルセロナに留学していたこともあり、学校の友人たちとビールを飲みながらサッカー観戦をするのは日常的な出来事でした。そんな時によく出た話題が「お前はどのリーグが好き?」というものです。

例えば、攻撃的でテクニカルなサッカーが見れる魅力的なスペイン。カテナチオといわれる堅守と相手の弱みを突く緻密な戦術が主体のイタリア。ダイナミックなカウンターサッカーが繰り返されるドイツ等々。

「サッカー」といえば世界共通の概念かと思いきや、共通なのはルールだけで、熱狂的かつ勉強熱心なファンの口から気に入らないプレースタイルに対して「あれはサッカーじゃない」という否定的な言葉が飛び交う程、実に多様性に富んだエンタテイメントです。

リーダーシップスタイルはひとつじゃない

大手データサイト『transfermarkt』の2018年度データによれば、ワールドカップ2018の優勝国フランス代表の市場価値総額(選手23名)は、約1387億円で世界1位。2位はスペイン代表で約1336億円と、一人当たり平均年俸60億円という大きさです(ちなみに日本は全体25位で約94億円)。

こうしたチームのスター選手たちが毎年世界各国のサッカークラブ間で、高額な移籍金とともに契約交渉(要は売買)されるわけですが、必ずしもあるリーグで活躍した選手が次の移籍先で活躍できるわけではないのがサッカーの面白い所(辛い?)です。

仮に選手を一つのプロダクト(商品)と考えると、当然生産された場所のサッカースタイルに影響を受けますし、上述したようにリーグが異なればその環境にある程度自分のプレースタイルをローカライズさせる必要がでてきます。これは日本でヒットした商品が、そのまま海外で売れるわけではないのと同じ理由です。

次にそのクラブチームとの相性も欠かせないでしょう。FCバルセロナの元最高責任者 フェラン=ソリアーノは著作「ゴールは偶然の産物ではない」の中で、状況別に機能する4つのリーダーシップ(権威的、コーチ、まとめ役、政治的独裁者)について詳細に分析していますが、特に指導者(監督)のリーダーシップスタイルの重要性について強調しています。

あるチームでは、指導者の理想とするサッカーを正確に再現させることでワークする時もあれば、大きな枠を示しつつも選手たちの自主性(クリエーティビティ)に委ねた方がよい時もある。一つの正解はありません。

このようにサッカーには、経営リソースたる選手たちを活用しながら、優勝もしくは1部リーグ残留などといった目標達という経営者としての手腕が問われます。この際に、様々なバックグラウンドを持つ選手の個性や多様性に対する理解は欠かせません。かつて日本ラグビー代表を率いたエディー=ジョーンズ監督が、選手育成のためにMBTIという性格診断テストを使っていたというのは有名な話です。

サッカーに限らず、多様性の中から力を引き出すという力(昨今はインクルーシブ・リーダーシップと呼ばれます)はグローバル時代に最も求められるものなのかもしれません。

揉めに揉めた日本代表監督問題

W杯直前に解雇となったヴァヒド・ハリルホジッチ監督と日本サッカー協会の騒動は記録に新しいと思います。

予選突破を決めていざ本番という時に起きた出来事に、私も唖然としてしまったのを覚えています。その時に争点となったのは「コミュニケーションの問題」でした。

日本サッカー協会は解雇の大きな原因の一つとして、選手と監督との間にコミュニケーションの問題があったとし、決断の経緯を説明しました。一方、ハリル監督は「コミュニケーションの問題はなかった。誰1人として問題があると言ってくる人はいなかった」と真っ向から反論。記者会見まで開いて陳情する事態に発展しました。

私はジャーナリストでもサッカー評論家でもないので、何が本当の原因でこういう自体が起きたのかはわかりませんし、誰かに責任を押しつけるような断定をする気もありません。ただ、ひとつ感じることがあるとすれば、これはよく日本と海外で起きがちな「コミュニケーションの問題」だということです。

これを文化の側面から見てみましょう。

文化がコミュニケーションのあり方に与える影響

ハリル監督の生まれ故郷であるセルビアは、かつてスロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアと共に6共和国で誕生したユーゴスラビア連邦と呼ばれる国でした。その後、2006年のモンテネグロの独立を最後にユーゴスラビアは消滅し、現在の形となっています。ホフステードモデル(説明は割愛します)からみると、セルビアは次のような文化的特徴を持っています。

セルビア
PDI(権力格差) 86                              IDV(個人主義) 25                              MAS(男性性) 43                                UAI(不確実性の回避) 92                           LTO(長期志向) 52                               IVR(人生をの楽しみ方) 28

これをみると、セルビアとは権力格差と不確実性回避が非常に高く、集団主義的な傾向にある国であることが理解できます。ではこのような国ではどういうリーダーシップスタイルが好まれるのでしょうか?

高い権力格差と不確実性回避の傾向が強い環境では、強力な決定権を持つリーダーが存在します。そしてリーダーシップのスタイルでいえば、規律とビジョンを持った強い指導者が好まれます。

実際にハリル監督のモットーは「ルール。規律。練習」ということですので、こうした価値観を生みだされてきた背景は想像に難くありません。そしてコミュニケーションのあり方に大きな影響を与える個人主義スコアをみると、セルビアは集団主義的な傾向にあることから、人間関係ベースの暗黙的なコミュニケーションにも慣れていることも推察されます。

これに加えて、ハリル監督には長年率いてきたフランスのチームを率いてきた経験がありました。フランスは実はセルビアに非常に近い文化的特徴を持っています。一つの次元を除いては。

フランスは個人主義スコアが高い(68)国なのです。

個人主義が強い社会では、非常にダイレクトなコミュニケーションがとられます。つまり、何か問題があれば直接言い合うのがルール。この環境では強い個人との議論を通じて、より良いものが生み出されるという信念があります。

おそらく集団主義的な文化圏で生まれ育ったハレル監督のような人間がこうした習慣に慣れるのには、相当な苦労があったのではないでしょうか。

しかしそれを乗り越えて今の地位を築いたわけですから、ハレル監督は「選手とのコミュニケーションを丁寧に行えるという点」においては、自他ともに認めるプロフェッショナルだったのだと私は考えます。

それだけに、選手とのコミュニケーションを原因として解雇されたことに、それこそ自分のアイデンティティを否定されたくらいの強い憤りを感じてしまったのではないでしょうか。

悪気なく失言をする日本のリーダー達の背景にあるもの

一方、こうしたリアクションを引き起こしてしまった日本人の立場として、我々が学ぶべきことはたくさんあります。例えば、日本は文化的にみても、責任の所在を明確化するのが得意ではない国です。

日本
PDI(権力格差)54                                IDV(個人主義) 46                              MAS(男性性) 95                                UAI(不確実性の回避) 92                           LTO(長期志向) 88                               IVR(人生をの楽しみ方) 42

権力格差が中間スコア(54)にあることから、一見組織に明確な階層があるようにみえて、実は一人のデシジョン・メーカー(決定者)が存在しにくい社会構造が日本にはあります。かの野中郁次郎一橋大学教授は「ミドルアップダウンの意思決定プロセス」という表現で、中間管理職がアイデアをボスに上申し、ボスが周りを見ながら意思決定をする日本企業の仕組みを説明していました。

加えて、不確実性回避の高さ(92)から、あらゆるステークホルダーとの合意形成を行おうとするため、さらに責任を分散化させる傾向にあります。結果的として、成功と失敗の基準も不明瞭なままに周りの空気に流されてしまうのです。

もちろんこうした日本の特徴は、和や協調を重視する安定した社会をつくることに役立ってきた側面もありますので、全て否定すべきことではありません。

ただし、異なる価値観・文化的バックグラウンドを持つ人間とコミュニケーションを行う際には、自分流を相手に押しつけてはうまくいかないということを、心に刻みつけておくべきだと考えます。

上記のような分析からすると、シンプルに試合の結果責任を理由に継続的な会話ができていれば、あそこまで揉めることもなかったのではないでしょうか。こうした揉め事がニュースになるうちは、海外から優秀な人材を誘致することは難しいように思えます。

その後の日本代表の活躍について

日本代表はその後周囲の期待を大きく上回りW杯ベスト16まで進出し、多くの感動を届けてくれました。その中で印象に残ったエピソードがあります。

本田選手のインタビューの中に、「西野監督になって以来、チーム内で議論がたくさんできるようになった」というエピソードがありました。これは明らかに、厳格な親タイプのリーダーから、部下のイニシアティブを奨励するコーチ的なリーダーへの移行があったということです。

「ミドルアップダウン」、つまり「現場が意見をあげて上司が承認する」という慣れ親しんだプロセスに組織が戻ったとも言えるかもしれません。もちろんW杯直前で選手の危機意識が一体化していたということもありますが、この環境で最もフィットしたリーダーがチームを率いていたといえるでしょう。(残念ながらベルギーに負けてしまいましたが!)

サッカーというスポーツをみながらも、「国民文化は組織を制約する」という現象を目の当たりにした出来事でした。

こうやって身近なトピックを文化と言う視点で捉えていくと、少し違った風景が見えてくると思いませんか?同じようなことが、会社、サークル、家族、異性間で起きているのが今の時代ですよね。

今日はこの辺で!

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