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父親とは一体何なのか②

アロハです🤙

次男との朝の会話から、
父親とは一体なんだろう
改めて考えてみよう、
というかまとめてみよう
いや今感じていることを書こうと
思った次第でございます。

そしてググって調べてみました。

「母は人間性を育て
   父は社会性を育てる」

なるほど。たしかに。
頭の片隅にいつもあるかもしれません。

この子は社会で生きていけれるだろうか。

食いっぱぐれないだろうか。

豊かだろうか。

そこには社会でやっていけるようにと
願っている思いが少なからずある
ということですね。

次男はいわゆるADHDです。

それとLDも入っているようです。

注意欠陥障害そして学習障害。

何だか文字にするとドデーンとした感じで
威圧感すらあります。

それに対して父親の私は
向き合って来ただろうかと今思っています。

次男と向き合った時に
つい忘れがちになってしまうADHDのこと。

それが逆に良いのかもしれません。
しかしその裏では、母親と次男が
葛藤して乗り越えて
築いてきた過程がありました。


妻によると保育園の年少の時、
保育士さんから次男が
グレー(発達障害がある恐れ)であると
告げられたそうです。

普通に集団生活が出来ないと
言われたそうです。

そして小学校3年位から市の支援施設に
通いながらも普通に学校の授業も
受けていました。

高学年になるに連れて勉強の遅れが
顕著になっていき漢字が書けない
覚えられない。鏡文字を書く。
授業で集中出来ない。
パッと動いて友達をケガさせてしまったりしたことも。

そして母も疑問に思っていたそうです。
漢字が書けない、宿題が出来ない、
テストが出来ないだけで、それがなければ
本当に他の子たちと同じように楽しく
生活している。

学校ってなんだ?勉強って何だ?と

授業についていけない次男は、
ノートの端っこにペラペラマンガを
描いていたり彼のワールドが
どんどん炸裂していったようです。

それを見て叱る先生もいれば、
逆に褒めてくれる先生と巡り会えたりもしました
そういう先生は宿題も少なくしてくれたり、
テストも10問満点のところ3問正解で
褒めてもらえたり。

やはりそういう先生の時は、成績も彼の中では良くなりストレスも少なかったようです。

そして高学年の時にお医者さんに診てもらったところ、ADHDとLDが入っているということでした。

そしてその多動性を押さえるために
お薬を貰いました。
そのお薬を飲むと落ち着くそうです。
しかし副作用として頭が痛くなることが
あるそうです。

一週間ほど飲んだ後
ある日次男が聞いたそうです。

「このお薬は頭が痛くなるから飲みたくない。僕は何の病気なの?」

その時以来、母は薬を飲ませず
そして薬は全部捨てたそうです。

全て私に特に相談せず、
妻が決めた行動でした。
私もちゃんと居ました。
しかしそれを私に後から言うと言うことは、
その時私は聞く耳を
持っていなかったのでしょう。

夫婦関係も築き中だったということでしょう。

そんな息子でしたが、
母は普通に接して
愛して褒めて育てたように思います。

そして次男は学校生活の中で、
普通のフリをして過ごして来ました。
運動会や体育大会のダンスでは、
他の子を見ながら動きを合わせて
やっているフリ。
学習においても他の子のやっているように
やって、やり過ごした義務教育期間でした。

選ぼうと思えば支援学級という
選択肢もありましたが、次男はどうしても
普通級に居たいと。
勉強は嫌だけど今の友だちと遊びたいから
普通級に行きたいという意見でした。

友だちと楽しく遊ぶというのが主目的で、
学習は何とかやり過ごす。
言い方を変えるとそんな時間でした。

何度もそれを親子で話し合いそう決めました。

友だちとの関係においては、
今も小学校からの友達と
仲良く遊んでいますが、
小学校低学年の頃何だかバカにされていた、
そんな時期もあったようです。

ちょうどその頃と言えば、何とかこの子に
勉強を覚えてもらおう、漢字を書けるように
なってもらおうと必死になっていた時期と
リンクしています。

終いには母も父も怒りながら
漢字を教えていました。

しかし何度教えても出来ませんでした。

この子は足りない。
そんな風に教えていた時期かもしれません。
自信が無くうつむき加減だったかも
しれません。

そこから母親が変わり次男も次第に
本来のイキイキしたクルクルした目の
冒険者のような可愛らしさを
取り戻したように思います。

学校の勉強は全く出来ない。
運動も大して出来ない。
得意なものが学校生活の中で何もない。
その中で、親類のおばさんが誘ってくれた
お茶のレッスンは、少なからず彼に力を
与えたようです。

友達も終いにはやりたいと言う事になり、
ちょっと得意げに彼はお茶を教えていました。


次男は中3のある時こう言いました。

「ADHDは頭の良い人が多いって〜トムクルーズとかもそうだってぇー。ADHDって何の略か知ってる?アホだけどホントは出来る子だってさ〜」

自らそれを認めむしろ勲章の様に楽しんでいるようでした。


そして今、高校に進学してその選択肢は、
週一回通う情報系の専門学校の様な高校。

はじめて義務教育を卒業して
自分で選んだ選択肢。

そこでの生活に次男は今までで1番満足しているようです。

はじめて通知表で1以外見たよ!と喜んでいた一年時。

そして自分のペースでオンライン学習を
進められて週一で、電車に乗って学校へ行く。

この選択をしたのも彼である。

中学を卒業した時、母と次男は、
ようやく終わったねぇ〜と
2人で喜んでいた。

多分そこに、私は少し入っていなかったのかもしれません。心持ち的に、、、

そこにはずっといたけど、心がそこに
少し居なかったみたいな。
見てるようで見ていなかったみたいな。
(続く)



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