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祖父の自伝(1)〜祖父の思いが今に繋ぐもの

私の祖父の物語です。

祖父が生前書き残したものを
書き起こしました。


自 昭和63年4月
至 平成9年3月


晩学の
細字習う手
汗じみし  



はじめに

わたくしは駒立ぶどう狩り総合レジャー農園
マルタ園を経営致しております。

毎年1人でも多くの方に来園願いたいと思い
入園の皆様に礼状を出している。

又、案内状、年賀状等3千枚ほど書いている。
そのたびにも毛筆で書けたらなぁと
思っていたが、生来の筆不精で
遠い夢であった。

思い出すと昭和54年のある日友人柴田さんから
「岩津市民センターの書道教室に
一緒に行かないか?」と誘われたが
書く自信が無かったので断らざるを
得なかった。

それから3年後再度誘われたので、
思い切って書道教室に通い
毛筆の練習をすることにした。

書道教室の安藤先生のすぐれたお人柄に
たくましい指導力と、
教室のなごやかな楽しい雰囲気に、
つい今日まで続けられたことを
心から感謝している。

昨年8月のある日浜松から来られた
ぶどう狩りのお客さんが

「今年はやめようと思っていたが、こんな手紙が来たので又来た。この手紙誰が書いたの?」と手紙を差し出された。

筆で書く真心が通じるのか
「来年も又くるでのう」と言われた。

ワープロの普及した今日でも毛筆は
根強く生きているのだなぁ。
心が通じるなら1人でも多くのお客さんに
毛筆書きで手紙を出そう。

それがためにはもっと細字を習わなくては
ならない。どうして習ったら良いかと考えた。

私もいつしか古希(70歳)を迎えてしまった。顧みれば長いようで実に短い歳月であった。

この古希は人生の一つの節目であり、
私にとっても大きな節と考え、
これを契機にありし日の家族自身の思い出、
兵隊の思い出や戦後のうねった坂道などを
綴りながら「古希の思い出」を
毛筆で書き、細字の勉強をして見ようと思い
安藤先生に相談したところ大変に喜んで頂き
ご指導いただけることになった。

又、原稿の誤字修正等は同じ教室に通う
鶴田先生のご援助を迎えることができ、
両先生のご指導を頼りに始めて見ようと
心に決めた。

昭和63年暖春
中根武雄
70歳

つづく。

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