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イソップ童話「若い泥棒とそのお母さん」について

友人の子育て風景を見る度に、子供の教育って、褒めたり叱ったり、ほんと大変だなと常日頃から感じているたつやです(ごく自身は未婚のため、子供はいませんが、、、)

今回は、そんな教育について考えさせられる「若い泥棒とそのお母さん」についてお話しようと思います。

「若い泥棒とそのお母さん」の物語は、子供が学校で友達の本を盗むところから始まります。
子供がその盗んだ本を母親に見せると、母親は良かったねと褒めました。

子供は、それが嬉しくて、今度は着物を盗んで母親に渡すと、前よりもまして感心して褒めてくれたのです。

そんな少年も成長し、若者になった頃には、もっと大きな盗みに手を染めるようになっていました。

ある時、盗みの現場で捕まってしまい、処刑場へ連れて行かれている時、母親がその後を追い、胸をかきむしって泣いていました。

若者は、「お母さん、ちょっと。内緒の話しがあるから、耳を貸して下さい」と言い母親が近寄ってくるのを待ちました。

口元に耳を持ってきたその時、若者はその耳に食いついて、噛みきってしまったのです。

母親は、「この親不孝者! 泥棒ばかりして、さんざん心配させた上に、お母さんの耳を食いちぎるとは何事ですか!」と罵りましたが、そんな母親に対して息子は言ったのです。

「初めて本を盗んで渡した時に、もし叱ってくれていたら、捕まって死刑になるまでのことにはならなかったのに」そう呟いた少年の末路を描いたお話です。

今回も、大切だと思う部分を3つにまとめてみました。

1つ目は、教育とは褒めるだけではいけないということです。
母親は、盗みを働いた子供を褒めるという育て方をしてしまいました。
それでは、子供も盗みが悪いことだと思うはずがありません。

最後には、子供からも、もっと早い段階で叱ってほしかったと言われるくらいなので、甘やかすことが子供のためにならないということがすごく伝わってきますね。

2つ目は、その場しのぎの行動は身を滅ぼすということです。
子供は盗みを働いた結果、母親はそれを叱らず褒めました。
それはどういう意図があって褒めたのかはわかりませんが、その場しのぎの行動だったと言わざるを得ません。

最終的には、最後まで盗みを働き続ける子供と、それを咎めない母親という構図になってしまい、どちらも不幸になる結果になりました。

3つ目は、悪いことは、早い段階で対処しておかないとどんどん膨れ上がっっていくということです。
子供は、最初に叱ってもらえなかったせいで、盗むと母親に褒めてもらえると思って育ってしまいました。

幼少期に刷り込まれた感情は、簡単には変わりませんからね。
悪事も、ミスも、何事も早い段階で対処しないと、後々からではどうすることもできなくなるといういい例だなと思います。

ということで、本日のまとめです。

イソップ童話「若い泥棒とそのお母さん」は、子供の頃に盗みを働いたことを母親が褒めてしまったことから悲劇につながるお話でした。

悪いことをしたら叱る。それは教育として当たり前です。
それが子供のしたことなら、なおさらのこと。
早めに対処しておかないと、どんどん取り返しがつかなくなっていきますからね。

子供の教育に限らず、悪事やミス、日常の何気ないことだって同じです。
早めの対処で簡単に解決できることが、その時にごまかして後々から取り返しがつかなくなるなんてことはよく聞く話です。

反面教師にして、怒られるかもしれないとミスを隠さず、しっかり早めの対処を心がけるようにしたいという自分へのメッセージを、みなさんにも共有したいと思い今回はこの話をさせていただきました。

ご拝読いただき、ありがとうございました。

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