花に嵐のたとえもあるぞ

さよならだけが人生だ。今日一人職場を去った。さまざまな困ったことがあって、この選択で仕様がなかったとおもうけど、やっぱり顔を合わせると、ただただ悲しい。他に道はなかったのだろうか。きっと他の誰かが私の立場だったならば、他の道があったのでは…と思う。

大学のとき、次にやることを見つけられなかった私は、進学の道を選んだ。もう少し学問にしがみついて物書きに携わる道が無いものか模索した。今思えば、やったことがあるものから離れる勇気がなかったんだろうね。私は人が一回でできることを2回やらないとうまくできない。若いころは自分の不器用さから目をそむけ、このことを受け入れられなかった。今の私は、一歩一歩牛の歩みで進んでいくことを大切にしている。

もう少し進んだ私ならば、違う結果を導くことができたかもしれない。しっかりと受け止めて親身になる強さがあったならば、と思う。申し訳なく思っている。

大学のとき書いた文章。

 僕達は何かに取り残されていた。二人とも、とにかく悲しかった。僕達は今いるところから逃げ出したかったけれども、そうする勇気もなく、ただ、ただ毎日を過ごしていた。ほんの少し生活を忘れることができたのは酒を飲んでいる時で、僕達にとって酒は生きる希望だった。二人顔を合わせては酒を飲み、叶いそうにもない希望に満ちた話をした。商売をする話、外国で暮らす話、映画を撮る話、いろんなことをとりとめもなく話した。そのうち僕達は天国について話しはじめた。
 
「俺が考えるに天国はこの世で知り合った人達と自由に会えるところだな。会いたいなと思う人と自由に会える。その人は俺が会いたいその人なんだ。たとえば小学校の時、親友だったんだけど、中学生になって交友関係が変わるにつれて、しだいに距離が遠くなった人とかいるだろ。たぶんこれから先、顔を合わせることはあっても、あの頃みたいな関係にはなれない。人生が別れてしまったんだ。
俺とそいつが会うのは小学校の時の仲の良かった頃の二人で、俺もそいつも小学生で、一緒に遊んだり悪さしたりするんだ。19歳の時ほんと好きだった子に告白したりね。彼女がその後どんな人生を送ったとか、誰と結婚したとか、そんなことはどうでもいい。知りようもないしね。天国では俺が恋したそのときの彼女に会えるんだ。そしてもう一回告白して、今度こそ二人で楽しく過ごすのさ。」
 
「いいねえ。俺達もいずれは別々の道を進むのだろうし、きっと距離も遠くなるだろうね。天国でこの頃に戻って、また二人で酒が飲もう!俺達はこれから先きっといろんな人と出会うんだろうね…。心には二つ扉があると思うんだ。ひとつは入口。もうひとつは出口。
その距離は人それぞれで、居心地がよくて居座る人もいれば、迷路みたいに感じてなかなか抜け出せない人もいる。抜け出せないことに魅了される人もいるだろうし、イライラする人もいる。もちろんすぐ出て行く人もいるだろう。決して引き止めてはならないと思うんだ。たぶんそうすることもできないしね。これから先たくさんの人が扉を叩くんだろうね…」
(1999)

25歳くらいに書いた文章かな。いいねえ。モラトリアム感、閉塞感があって、この時期じゃなきゃ書けない文章だと思って気に入っている。

どんな人に際しても、ていねいでなくちゃならない。謙虚さを忘れてはならない。多くを求めてはならない。待つことを心がけなくてはならない。丹田に力をこめてしっかりと地に足をつけておかなきゃならない。軽率なふるまいや言動は運命の扉を閉じてしまうという真理を心の奥底に刻むのだ。一歩一歩自分を作り上げる努力を。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?