発達障害克服してみた 第二章(仕事編) 先延ばし癖の克服

 (2021/09/25にこの記事はリライトしました)
 (本シリーズは最初の序章から読まれることをお勧めします。)

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  私自身この先延ばし癖は一番といっていいほど苦しめられた症状でした。好きなことはドンドンできますが、苦手なことややりたくないことはギリギリまでやらないというやっかいなものです。思い当たる人が多いと思います。元々障害特性として苦手なことは出来ない・やらない性分だったのですが、第一章に書いたように発達障害克服の努力を始めた最初期にスピリチュアルに手を出してしまったのもこの問題に拍車をかける結果となってしまいました。なぜなら一般的にスピリチュアル系は「自分がワクワクすることをすれば全て上手く行く」といったことを言うことが多いからです。しかも実際にそれによってうつ状態を脱した自分からすれば、どうしてもそれに縋ってしまう形となり、苦手でワクワクしないことを避けようとする悪癖に拍車がかかってしまったのです。

ご褒美作戦・叱咤激励は効果が無かった


 薬なしで克服するにあたりまず最初に考えたことは、嫌なことを達成したときに何らかのご褒美を自分に与えるという方法でした。しかし、この方法は残念ながら失敗に終わります。その理由を例え話を使って説明しましょう。嫌なことを一つ片づけるたびに大好きなチョコレートを一つ食べて良いみたいなルールを作ったとします。しかし私のような独身一人暮らしの成人男性の場合、嫌なことをやる実行者と褒美を渡す監督者を一人二役でこなすため、嫌なことを片付けずにさっさとチョコレートを食べればいいという悪知恵が働いてしまうのです。もし監視もないのにそれを我慢して嫌なことを片付けられるのなら最早発達障害者ではないでしょう。他にも自分を叱咤激励して気合で成し遂げるということもやりましたが、これも空振りに終わりました。このような方法は多くの人が思いつくものとは思いますが、やはりどこか無理のある、絡まった糸を力づくでほどくようなやり方で中々難しいものがあると思います。そもそも当事者のほとんどは、好きで怠けて先延ばしをしているわけではなく、何とかして克服しようと努力をしているわけです。冷静に考えてみればこのような正攻法には効果が無いのは当たり前のことなのかもしれません。
 そこで、もっともっと敵と自分の性質を徹底的に知り尽くし、絡まった糸の結び目を力づくでほどくようなやり方ではなく、結び目を良く観察し、丁寧にほぐすことで問題を克服しようと思ったのです。

やる気とは一体何なのか?

 その当時の自分はやる気さえあれば、先延ばしをせず物事が進むと考えていたので、どうすればやる気が出るのかについて調べたのです。その結果、やる気には以下のような性質を持つということが分かりました。

 ⑴やる気というのは手を付けなければ起こらない
 ⑵嫌いなことはやる気を出すと逆に嫌悪感が強まる

 ⑴は結構色々な人が聞いたことがあると思います。脳の中にあるやる気に関わる部位「側坐核」は手を動かさないとそもそも働かないという厳然たる事実があります。つまり、やる気が出るのを待っていればやる気が出るというのははっきり言ってありえないということです。
 また(2)に関しては意外と知られていないのではないかと思うのですが、専門的な用語を使うと「生理的覚醒による優勢反応の強化」と呼ばれる現象のことです。小難しい表現なので解説すると、これは生理的覚醒(=やる気)を出すと優勢反応(=物事に対するその人がいつも抱いている反応)が強化される、つまり嫌いだと思っていることはもっと嫌いになり、好きなことはもっと好きになるという現象です。これが真実であるならば最初の方に述べたように、嫌いなことが出来ない自分を叱咤激励するというのが全く効果が無かったことが理解できます。
 ここから嫌いなことをやるための方法というのは2つの法則を組み合わせて参考にすると、やる気を出せば嫌悪感が増大するので、ダラダラととりあえずやる気が無くとも手を出すというのが最高の方法であることが分かります。私はこの二つの事実を頭に何度も叩き込んで、やる気を出さず手を付けてとにかくダラダラやるということを何度も何度も何度も取り組み習慣づけたのです。それを繰り返していくことで、不思議なことに苦手なことに取り掛かるまでのスピードがだんだんと速くなり、かつ取り組むごとにその仕事の実力も上がっていくので、苦手意識が薄まっていきました。

やる気への根本的な誤解

 またこうしてやる気の問題を克服していく中で、「やる気」に対して根本的な誤解を抱えていることに気づきました。そもそもやる気があろうと無かろうと技術や経験があれば、仕事は十分に円滑に進めることが出来るのです。もしやる気がそんなに凄いものであるならば、十分にやる気のある私と全くやる気のないメッシやクリスティアーノ・ロナウドとサッカー対決をしたら私が勝つことになってしまいます。そして技術や経験を積むには残念ながら行動するしかないわけで、やる気は関係が無いのです。
 当時の自分を振り返ってみると、やる気にこだわってしまったのにはそれにこだわることで行動や努力をしないで済むという隠れたメリットがありました。(ここでお断りを入れたいのですが、「行動や努力をしないで済む」というのは何も怠け者であるという意味ではありません。そもそも発達障害者の場合、どういうわけか体力・気力が人よりも少なく、すぐに疲れてしまうために、行動や努力がどうしても出来ないという意味です。)
 さらに、「やる気があるのがいいことだ」という強い観念を握りしめていたことも誤解の一つの原因でした。一見、やる気があることは素晴らしいことで何の問題もないと皆さんは感じると思います。しかしこのような観念を持ち合わせていると、やる気の出ない自分を恥じて、嫌悪することにエネルギーを使ってしまうので、行動する元気が無くなってしまうのです。
 この観念を手放すのは非常に勇気のいることで、抵抗がある方もいらっしゃるのかもしれませんが、よく考えてみてください。「やる気だけ見せて行動しない」のと「やる気はないが行動し結果は残す」のでは、社会に求められるのはどちらでしょうか?圧倒的に後者ですよね?そうやって考えていくと、やる気にこだわることの馬鹿馬鹿しさに気づいて頂けると思います。私もこうしてやる気やワクワクなどに無条件に従う自分から脱却出来るようになりました。
 これを読んで少し厳しさを感じてしまったかもしれません。でも、本当に小さなことからゆっくりとやるだけで大丈夫です。劣等感や自己嫌悪が強いとどうしても大きなことを頑張ろうとしてしまいますが、小さなことで良いのでゆっくりやれば大丈夫です。
 ここまでやる気にこだわることの無意味さについて書いては来ましたが、一方でやる気があれば楽しく物事をこなせるというのもまた人情というものです。そこでやる気にこだわらない手法も取り入れつつ、やる気を同時に高める方法も考えることにしました。

モチベーション・やる気を高めるには?

 発達障害者は基本的にやる気の無いことや嫌いなことは全く手を付けようとしません。プライベートなら全くそれで問題ありませんが、仕事というのは基本的に選り好みが出来ず嫌いなことでもそれをやることを強制されます。苦しみが強くなってしまうのは、業務やタスクそのものへの苦手意識もあるのでしょうが、それ以上に他者に無理矢理強制されることもさらに苦しみを生む原因ではないかと考えたわけです。
 そこでこれまで学んできたスピリチュアルの考え方が役に立ちました。スピリチュアルの考えでは、一見どんなに望まない出来事であっても、実は自分の探知・コントロールできない心の遥か遥か深い領域(潜在意識)が望んでそれを引き起こしているという考え方があります。これが正しいかどうか証明する方法は一切ありませんが、このような思考回路を自分に定着させると良いことがあります。なぜなら、一見他人が起こしたように見える出来事でも自己の潜在意識がそれを望み事象を引き起こしたと考えることで他人への怒りや責任転嫁が起こらなくなるからです。これを応用して自分の身の回りにある望まない・やりたくない仕事も実は全て自分が認識できない潜在意識レベルで、実は自分がやりたかったと考えることによって、仕事をやらされているという被害者意識から脱却し、ある程度どんな仕事も意欲的・自発的に取り組むことが出来るようになりました。
 ちなみに新しい「思考回路を自分に定着させる」とサラッと書きましたが、やり方は非常にシンプルです。嫌な仕事が回ってきて嫌な気持ちになったときにこのことを思い出して、「これは自分の潜在意識が望んでいるのだ」と考え、後はそれを地道に繰り返すだけです。最初の内は難しいですが、諦めなければ徐々に慣れてきます。勿論言うまでもないことですが、嫌な仕事を全て抱える必要は無く、断れそうなら断ってくださいね。何でも引き受けてしまえばパンクしますし、最悪の場合「あいつは何でもやってくれる」と押し付けてくる輩もいるからです。あくまでもどうしてもやらないといけないのに、出来ない時の対処法です。

現実逃避を減らす

 そしてさらに現実逃避を減らすということを心掛けました。発達障害に由来している症状なのかわかりませんが、私は比較的空想に浸る癖がありました。空想はお金を一切使わずに楽しめるものでしたし、それまではあまりその癖をそれまでは問題視していませんでした。しかし冷静に考えてみると、この空想というものは辛い現実から目を背けるためのものだという風に気づいたのです。ただでさえ現実が辛いから逃げているのに、やりたくない仕事やタスクが来ればもっと心の負担が高まって逃げてしまい、結果として先延ばししてしまうのは当然のことだなと思ったわけです。そこで、純粋に意志の力で現実逃避としての空想を出来る限りやめるというストイックな泥臭いこともやったのですが、それだけでなく現実逃避の原因である心の負担を軽減する努力も同時に行うこととしたのです。
 では一体何が自分の心に負担を与えているか考えてみると、自分の心に巣くう「こうすべきだ」といった観念や規範意識でした。一見このような観念や規範意識は社会で上手く立ち回るために非常に重要なことですし、私も決してそれは否定しません。しかしそれが行き過ぎてしまうと、自分や周りを縛り付けて苦しめるようになってしまいます。ただ、自分が苦しいだけであるならば社会適応の方が遥かに重要なため、観念や規範意識の存在意義に疑問を持つことは無かったと思います。しかし、先ほど「やる気」の項で述べたように、絶対的な善と思っていた「やる気があることは良いこと」という観念が実は行動を妨げる要因となっていたという事実から、観念や規範意識というものが実は絶対的な善ではないのではないかと考えるようになったのです。
 例えば世の中には「運動をした方が良い」という観念が広まっています。事実、科学的なデータからも裏付けられているのでこれが間違っていると言うつもりはありません。しかし、インフルエンザで40度近い熱が出ているのに「運動をした方が良い」からと言って無理矢理運動したらどうなるでしょうか?もっと症状は悪化するでしょうし、かなりマズいことになりますよね?私が述べたいのは、あらゆる「こうしたほうが良い・こうすべきだ」という規範意識や観念には、必ず隠れた前提条件が存在しているということです。先ほどの「運動したほうが良い」というのはその裏には「体が十分に動かせるような健康体ならば」という前提条件が隠れているわけで、どのような条件下でも常にその規範意識や観念が正しいわけではないのです。
 ところが発達障害の人はかつての私も含めてですが、この隠れた前提条件に気づけないことが多いようで、観念や規範意識でがんじがらめになっている人が多いような印象を受けます。それによって起こることの一例として、私の仮説ですが発達障害の人は嘘をつかない・つけない人が多いということが挙げられます。これに関して様々な当事者のブログなどで発達障害者が非常に善良な人であるという考察がなされていることが多々ありますが、正確には幼い頃に誰もが受ける教育である「嘘をついてはいけない」という観念が染みついているだけなのだと思っています。定型発達者ならば最初はこの観念を持っていても、成長し周りを見る能力がつくことで「人を傷つけない限り嘘はOK」などの観念のアップデートが起こり、時には上手に嘘やお世辞を使って場を切り抜けることが出来ます。しかし、発達障害者はあまり周りが見えないということもあるのか、こういった観念のアップデートも起こらないため、どんな時も物事を正直に言ってしまい周りとの軋轢が起こるのではないかと思っています。そして周りが見えないため、実際に人から嫌われやすいですし、なぜ嫌われたのかを周りの人が教えてくれることも無いので、原因を正確に分析することが難しくなります。最終的に出来る対処として「これを言ってはいけない」「これをやってはいけない」といったその場しのぎの対処となる観念ばかりが増えてしまい、最終的にはそれらに縛り付けられてどんどんと自分の行動が狭まってしまうのです。
 私自身も、高校生時代までの暗黒時代の経験の中で、そういった他者との軋轢の中で嫌われないよう観念ばかりが増えてしまい息苦しくなってしまっていました。当時を振り返ると自分を縛り付ける観念を増やしたことで、周囲との軋轢は減って多少は平和になったものの、人に好かれるようになったわけではありませんし、またそれでも嫌われることも多々ありました。
 当時はまだ観念にこだわるメリットのあったわけですが、こうして観念には前提条件があって決して万能ではないという事実を理解したのと、第一章で述べた心を癒すテクニックを勉強するなかで、嫌われても心のダメージを最小限に抑えることが出来るようになってからは、観念にこだわるメリットが無く何だか馬鹿馬鹿しくなってしまいました。
 そうして自分の心に巣くった観念を捨てることを決意し、どうやったら手放せるだろうと考えた結果、「心身の健康を取り戻す」でも紹介した津留晃一さんという方が紹介していた「M2テクニック」というものを取り入れることとしました。やり方は無料で様々な方が紹介されているので、ここでは詳しいことは書きません。やり方を知ってからは、丹念に自分がどのような観念を持っているか検討し、それを手放して行きました。それを地道に繰り返していく内に少しずつ心に余裕が出来た結果、行動力も少しづつ上昇し、先延ばしをしない結果となったのです。

体の面からもアプローチする

 さらに心の面からのアプローチだけでなく体の面からもアプローチすることとしました。カウンセリング・セラピーの一分野でボディワークと呼ばれる分野があります。これは心の症状が体に表れることから、逆に体からアプローチすることで心の症状が取れるというものです。自分の場合、嫌いなことをやる時に自分の体・筋肉が特に緊張しているということにも気づき、そこで、嫌いなことをやる時に自分の体を意識的にスキャンして、どの部位がどのくらい緊張しているかを観察するようになりました。そして、緊張している部位をさすったり、深呼吸をすることで積極的にリラックスを図り、体の緊張をほぐすということも行っていました。

 このような脳科学的・心理学的・スピリチュアル的なアプローチを地道に重ねていくことにより、先延ばし問題をいつの間にか薬なしで克服することが出来るようになったのです。
 


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