発達障害とHSPについて

 このブログでは主に発達障害のことについて書いてきたが、HSP(Highly Sensitive Person)のことについても触れてみたい。

 発達障害とHSPというのはわざわざ違う名前がついている以上、一般的には別物として考えられている。何となく世間の捉え方を集約してみるとだが、その違いというのは大体以下の2つに集約される気がする。
 1.発達障害は障害であり、障碍者手帳などの交付といった行政のサポートなどもあるが、HSPはそうではない(障害ではないし、サポートもない)。
 2.どちらかといえば、発達障害は人の感情や空気が読めず、一方HSPはそれらを敏感に読んでしまう。(発達障害者は他者に無関心で、HSPは関心大アリ)

 1.に関しては行政のシステム的なものなので異論はないだろうが、2に関してはちょっと待ったと言いたい。本当に発達障害は人の感情や空気が全く読めないわけでは無いと思うし、逆にHSPの人は完璧に読めているわけでは無いはずだ。
 現に自分も発達障害のみならずHSP的な側面があり、自分の発言が相手を不快にさせないかということに常に気を配るそんな性質を持っていた。ただ、最近気づいたのは相手を不快にさせたと思って相手に確認してみると、全く気にしていないことがほとんどであった。結局のところ、自分の独り相撲であり、相手を気遣っているように見せかけて、自分がどう思われるか・嫌われないかということを恐れているだけであったようだ。では、なぜこのようなまどろっこしい見せかけを行うのかというと、それは日本が他人に関心を持ち他人に気を配ることを圧倒的な善とする社会だからだ。そのために、HSPは本当は他者に無関心なのにそれを認められず抑圧し、他者に関心があるふりをしてしまうのだと思う。

 これを読んでいる「本物の」HSPの人は、「それはお前が発達障害だから分かっていないだけだ」と言いたいのだと思う。だが、世の中に沢山あるHSPを名乗るブログや発信を読んでみると、人を不快にさせたかどうか凄く気になってしまう記載は無数にあるのに、実際に相手が本当に不快を感じたかどうか検証したものに出会った記憶はない。勿論相手に確認するというのは、ものすごく怖いことだというのは良くわかるし、日本人の場合本音をはっきり言わない人種なので、確認しても無駄かもという思いもあるだろう。だが、本当に相手に関心を持ち相手が何を考えているのか知りたいということに主眼を置いているのであれば、そのような恐怖心は乗り越えられるはずだ。それをしていない、出来ないということはやはりそこまで相手ではなく、自分にのみ関心があるからではないのかと思う。

 そう考えてみると、HSPと発達障害を分かつ基準となっていた「他者への関心」という部分も怪しくなり、HSPと発達障害に違いは無いのではないかと私は思っている。実際に感覚過敏であったり、疲れやすかったりといったHSPの他の性質は発達障害者とかなり似通ってくるからだ。さらにHSPのうち、特に刺激好きと言われるHSS型HSPなどというのは最早ただのADHDにしか見えない。また、元のツイートを引用できず申し訳ないが、「発達障害と診断されなかった人がHSPと名乗っている」みたいなことを言っている人もいた。
 故に、HSPでお悩みの方も私が紹介する発達障害の改善法である瞑想原始反射の統合に取り組んでいただくことで悩みが大きく改善するのではないかと思っている。原始反射はリンク先にも軽く書いているが、赤ちゃん時代に身を守るために存在する脳幹由来の反射だ。大人になるにつれて前頭前野が発達することで、脳幹由来の反射が抑制されるわけだが、発達障害者・HSP者はそれが上手く行っていないことが多い。脳幹というのは生命維持のために非常に重要な役割を担っていて、心拍や体温など様々な基本的なことの調節をしている。HSPは前頭前野が弱っていることによって、外部刺激がモロに脳幹に伝わり、簡単に自分のバイオリズムというか体調がおかしくなる可能性が高いと考えている。

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