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生きづらさを克服する ②      潜在意識論のウソとホントについて    ~潜在意識は下僕じゃない~

 生きづらさや悩みを解消したり、突破にあたって私Ryukayは潜在意識を活用してきました。

 でも、最初からとんとん拍子で全て上手く行っていたわけではなく、何度も壁にぶつかっては自分なりに考察して、その壁を越えてきました。

 ですが振り返ると、それらの壁のほとんどは自分の才能・努力不足よりも、参考にした潜在意識の法則に嘘が混じっていることによるものだったなと感じます。例えるなら、自分は方向音痴じゃないのに渡された地図が間違っていたから目的地に辿りつけなかったという感じでしょうか。

 今回以降それらの嘘についてお話ししようと思います。(何回かに分けていこうと思います)

潜在意識を知っても中々生きづらさは変わらない

 潜在意識を勉強し始めてほとんどの人がまず知るのは、人間の意識は顕在意識と潜在意識の2つに分かれていて、潜在意識が少なくとも9割以上を占めているということです(集合的無意識・超意識とかは今回割愛します)。

 この状態を表すのによく使われるのが、海に浮かぶ氷山の絵ですね。海面から出ているのはほんの僅かで、その水面下には表面に出ている部分よりずっと大きな氷が隠れているというやつです。

 部屋と心と身体の整理 & マインドフルネス A to Z 様より引用

 で、この潜在意識にトラウマやおかしな考え癖が眠っているので、それらが悪影響を及ぼして現実に何か問題や気に食わないことが起こるのだという論が展開されているわけです。「潜在」というからには、表からは見えず簡単には気づけないわけですし。

 特に生きづらい人たちにとっては、この潜在意識の存在は少し希望のあるものです。なぜなら、今までどれだけ頑張っても上手く行かなかったのが、それはちっぽけな顕在意識上での努力であったからで、より大きな潜在意識をクリアすれば変われるんじゃないかという期待が生まれるからです

 そんなわけで一生懸命「潜在意識の書き換え」なんかを試したりするわけですが、生きづらさは多少は良くなったりしても劇的には変わらないことが多いです。
 でも、潜在意識を利用して劇的に変わっていく人はネットや本を調べれば世の中に沢山いるわけで、なぜこんなに違いが生まれるのかと悩むわけです。

潜在意識は忠実な下僕じゃない

 世の中の潜在意識論は(すべてではありませんが)まるで潜在意識が全てを解決するような口ぶりで、潜在意識が自分(顕在意識)の思い通りに動いて然るべきだみたいなのもそれなりに見受けられます。

 しかも彼らの言い分としては、潜在意識に善悪や比較の概念は無いため、潜在意識は願望や命令の難易度は関係がなく、願いを発すれば機械のように淡々とそれらを現実化するみたいなことを言ったりもします。

 そういうことを言っている潜在意識論者に言いたいのですが、では何でもかんでも命令通りにうまくいくなら「不老不死」も実現してもらいたいなと思うのです。まぁどうせ実現できませんし、何だかんだ言ってごまかすんでしょうけどね(苦笑)。

 もちろん、不老不死は極論でちょっと意地悪を言わせてもらいましたが、一方で命令・お願いしたら潜在意識が言うことを聞いてくれたということも私の場合無いわけではありません。
 例えば、明日朝早く起きないといけないときに、目覚ましをかけ忘れていたのに望みの時間に自然と目が覚めたりなどです。(スケール小っちゃくてスミマセン!)

 このように潜在意識のコントロールがうまく行くときもあればダメな時もある理由を上手く説明するには、潜在意識が顕在意識の奴隷などではなく、あくまで同等の権利を持つもう一人の別人格として捉えるべきなのではないでしょうか?というのが今回の私のお話であり、私の仮説です。

顕在意識は親、潜在意識は子

 「同等の権利を持つ別人格」というのをもっとちゃんと踏み込んで説明すると、例えるなら「顕在意識は親で、潜在意識は子供」のようなものだと思っています。 

 親にとって子供というのは、自分の血を分けた存在であり、そして自分よりも人生経験が短く自分より下位の存在と見てしまうこともあり、どうしても自分と子供を同一化してコントロールしがちになります。

 でも実際には子供には子供の人生・考えがあって、必ずしも親の言うことを聞いてくれるわけではありません。例えば「勉強しなさい」と子供に命令しても、ほとんどの場合無視されてゲームに走ったりその他の行為に逃げようとします。

 勉強しない子供に対してどれだけ怒鳴りつけようとも結局は勉強しませんし(むしろ逆効果)、代わりに親が学校のテストを受けて高得点を取ってあげるという芸当も出来ません。

 つまり、どれだけ「子供に勉強してほしい」という願望を持とうとも、子供次第というもどかしい状態、つまり顕在意識の願望を潜在意識に送り込んでも、潜在意識が応えず現実が変わらないことになります。

 たまに命令通り動いてくれる子供もいたりしますが、それは結局子供がそこまでの勉強嫌いでなかったり(むしろ得意だったり)、親子関係が良好でかつ子供の性格が従順であるだけのことだったりします。決してラジコンのようにコントロール出来ているわけではないのです。

 これって正に潜在意識と顕在意識の関係性に似てないでしょうか?顕在意識はいつの間にか潜在意識を自由にコントロールできると思いあがってしまうのに、実際のところは自由にコントロールすることは不可能ですからね。

生きづらい人は社会と潜在意識がマッチしていない

 誰しも顕在意識と潜在意識というのは持っているわけですが、皆それぞれ顔や性格が異なるように潜在意識の様子もそれぞれ違うはずです。

 例えば、運良くある人の潜在意識が学問や人とのコミュニケーションに強い関心を持っている場合、その人の人生は生きやすいものになるはずです。なぜなら日本という国は学歴・コミュニケーション至上社会なので、顕在意識が命令するまでもなく、自然と社会に認められる方向に人生が進むでしょうから。

 例えるなら勉強大好き・コミュニケーション大好きな子供だったら、親だって子育てにはほとんど苦労しないのと一緒です。なぜなら黙ってても勝手に勉強して勝手に友達をたくさん作るからです。親も安心してその子の将来を見守っていけるでしょう。

 一方、勉強が大嫌い、コミュ障、容姿も悪いみたいな子供だったらどうでしょうか?本人がそして親が色々頑張ってもうまく行きませんし、親も心配になるはずです。仮にその子が夢中になれる好きなことがあったとしても、それが例えば「女性の使用済みの下着を集めるのが大好き」みたいな反社会的な趣味だったらもう目も当てられないわけです。

 潜在意識というのは善悪の基準が存在しないため、残念ながら自分の所属する文化が求めてくることと、自分の潜在意識の関心・得意分野が全く一致しないことがあり得るわけです。一方顕在意識は後天的に出来上がるもので、自分の所属する文化の善悪の基準を取り込むものなので、顕在意識と潜在意識が常に反対の意見を持ちせめぎ合う結果となるわけです。つまり、生きづらい人というのはこういう側面があるのですね。

生きづらい人は潜在意識が不良化している

 また上でサラッと「親の命令通り子供が動くのは、親子関係が良好だから」と書きました。

 ということは、親子関係が悪ければ親の言うことを子供は聞かなくなります。これは親子に限らず一般的な人間関係にも当てはまることですが、嫌いな人間の言うことに従おうという物好きはなかなかいません。

 そして、生きづらい人というのは世間の求めることと潜在意識の求めることに大きなズレがあると書きました。そして世間の意見を顕在意識は取り込むので、顕在意識と潜在意識は常に対立状態にあり、いつも顕在意識に無理難題を突き付けられる潜在意識はウンザリするわけです。

 そうなると、さらに潜在意識は顕在意識に反発するようになるので、潜在意識が作り出す現実はよりカオスなものとなり生きづらさが増すわけです。

 また、一般的に反抗的な子供といえば「不良」を思い浮かべます。ドラマとかでも親や大人が不良に何か言おうものなら、「うっせぇ、クソババァ!殺すぞ!」みたいなシーンがよくありますよね。こういう不良ってたいていの場合家庭環境が悲惨だったり、子供心に傷を負っていることが多く、SOSのような形で反抗的になっていることが多々見受けられます。

 生きづらい人たちも潜在意識に多数の傷(本人の幼少期のみならず、親からの遺伝や過去生など)を抱えているので、そういった潜在意識は不良少年・少女化しやすく、顕在意識(大人や親に該当)に反発しやすくなり、これまたカオスを作り出す原因にもなるわけです。

 つまり、潜在意識が世間とズレまくっている+生まれながらに心(潜在意識)多数の傷を負っているゆえに、顕在意識の命令に潜在意識が全く従わず、つらい目に逢っているというわけです。

つまり生きづらさを克服するとはどういうことか?

 私は前回の記事で、色々と試した結果自分の困ったマイノリティの性質のうち一部は修正され、一方修正が出来なかった・出来ていない部分は、その部分を生かすことの出来る妙案や環境を見つけることが出来るようになった。つまり、「ある部分は自分を社会に寄せにいって、ある部分は社会を自分に寄せた」と書きました。

 自分を社会に寄せることができた部分というのは、潜在意識が不良化して反発していたがためにカオスになっていただけで、そこが癒されれば潜在意識は顕在意識の言うことを聞き、問題なく社会に適応することができた部分というわけです。

 実際に不良の人って、大人になって丸くなった場合に限りますが、結構社会適応性が高くバリバリ働いていることが多いんですよね。元々エネルギーがありますし、コミュニケーション力も高いので社会適応性は高いわけです。

 一方、修正できず社会を自分に寄せた部分というのは、先天的に与えられた潜在意識の得意・不得意が単に社会にそぐわなかったということです。この場合いくら心を癒しても、本人の才能・関心の問題なので、どうしても適応することはできません。しかし、心が癒された分考え方が変わり、そういう自分を受け入れられるようになったり、逆にそういう自分を生かす環境や妙案を見つけることができるということなのです。

まとめ

 生きづらい人はどうしても社会が正しく自分が悪いと考えがちで、自分を変えることばかりに一生懸命になります。でも変えられる部分と変えられない部分があるということを理解していないと袋小路に入ってしまって詰みます。世間に流布している潜在意識論を鵜呑みにしないほうが良いでしょう。

 今後は具体的にどのように潜在意識とコミュニケーションを取っていくかであったり、生きづらい人の眼前に広がる不都合が潜在意識の不良化による反発によるもの(つまり努力によって克服可能)か、解決不可能なものかをどうやって見分けるかについて書いていこうと思います。

 

 

 

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