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発達障害克服してみた 第5章 人間関係編 ⑤ 発達障害者の人間関係像 追記

 前回に「発達障害者の人間関係像」ということで、「自分」の大きさが違うよということをお話ししました。発達障害の人は図の左や中央のように「自分」が他人より肥大しているよ(=自己中心的)ということを言ったわけです。

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 で、こういうことを書いたときに、明らかに自己中心的な発達障害者の人もいますけど、中には控えめなタイプで色々と他人に気を使って疲れ果てているような当事者の方もいらっしゃって、やっぱり自分が他人より肥大しているということを認められない人がいると思うんです。「いや、私は誰よりも他人のことを考えている」と。その一つの根拠となりえる物として、コミュニケーションでも何でもいいのですが、何か失敗をした時に「もっとこうすべきだった」などと延々と反省を続ける性質が挙げられます。私自身も非常に経験がありますし、ほんの僅かですが今も残っています。
 で、自己中心性を認められない方々の言い分(当時の私がそうでした)としては「本当に他者に興味が無いのであれば、そもそも反省自体しないはず。だから私は他人に猛烈に関心を持っている」と思っています。
 でも、よく考えてみてください。この「もっとこうすべきだった」の反省は本当に生かされていますか?自分を徹底的に責めて疲れ果てて、それで何かやった気になって、結局何も変われていないことの方が多くないでしょうか?「もっとこうすべきだった」と自分を責める本当の意味は「相手に自分が悪く思われていたらどうしよう・・・・」ではありませんでしょうか?つまるところ、人に興味・関心を抱いているのはあくまでフリであって、自分のことを考えているに過ぎないのです。

 ではなぜ、このようなまどろっこしいことをするのか、これも上で挙げた図を用いればある程度は説明できます。そもそもほとんどの発達障害者は最重度の自閉症でもない限り、誰しもゆっくりではありますが、年齢を重ねるごとに成長して3つの口絵の中央の状態になっています(つまりある程度他人を感知できる状態)。この時に中途半端に他者や世間が見えているので、周囲からこのような言語的・非言語的に次のようなメッセージがあるのに気づきます。「もっと周りの人に興味を持ちましょう」と。
 でも、興味・関心って頑張って生まれるものではありませんよね(笑)。僕もそうでした。だからといって開き直ることも出来ないし、このままだと他人に興味を持てない自分が「悪者」になってしまうわけです。誰しも自分が悪者だとは思いたくないわけですから、その時に「他人に興味を持つフリをしながら、自分への関心を維持する」という手法を編み出し、他人に責められないよう自分がちゃんと他人に興味を持っていますよとアピールするわけです(あくまでフリですが)。その一つの方法としてやたらと反省するけど何も改善しないという行為が生み出されるわけです。他にも、積極奇異型アスペルガーやADHDが該当しますが、とにかく興味を持とうと、やたらめったら他人に話しかけるというのも特徴の一つです(私がそうでした)。とにかく会話をすれば相手に関心を持ったことになると思い込んで、とにかく話しかけるわけです。しかし本当は相手に興味などないので、相手からすれば距離感も無く、とにかく馴れ馴れしいだけの面倒な奴にしか映らず、敬遠されてしまうというわけです。
 この罠に嵌っているときは、「どうしてこんなに他人に興味を持っているのに、こんなに他人に敬遠されるんだ!!」と悩むんですけど、他人に関心を持っていると思っているのは自分だけで、周りの人から見ればバレバレなんですね(笑)

ではどうすべきか?

 本当ならばどんなにゆっくりであっても、図の中央から右の図になるように人間関係像と脳を発達させていく必要がありますが、発達障害者の場合自身のエネルギーを脳を発達させるよりも自己を守るほうに費やしてしまうのです。なぜなら、この問題が起こるのが大体思春期の学校時代なわけですが、

①発達障害者は学校でいじめに遭いやすい
②毒親持ち率が高く、親から周囲の人間は信用してはならないと言語的にも非言語的にも英才教育を受けやすい
③(私の仮説ですが)多量のトラウマ・ストレスを持って生まれてくるのが発達障害者なので、周囲の人間関係でストレスを感じやすい

このような理由からどうしても自分を成長させるよりも自分を守るほうに走りやすいのです。そしてその癖が残ったまま大人になってしまい、苦しんでいるというわけです。

 というわけで、まず人間関係の克服に大事なことはどういう形であれ、「自分は他人に興味がないのだ」ということを自分を責めることなくちゃんと自覚することです。どうしても学校というのは人間関係を築けないと死に匹敵するような不便をこうむるわけですが、大人になるとそうではありません。自分の責任は色々と重くなりますが、その分自由度が増して、最悪カネさえあれば一人でも生きていけるし無理して取り繕う必要もありません。
 そして他人に興味を持つフリをやめて、自然と他人に興味を持てるよう自分の脳を成長させて口絵の右側のような定型発達者の脳に持っていくことが重要です。そのためには4章で挙げた瞑想・原始反射の統合などを行っていくことが重要です。これらを行っていくことで、情緒的な落ち着きも出て、自然と他人との距離感が図られ、自然と他人に興味を持てるようになって行きます。また仮に他人に興味が持てなくても、脳が発達していくと自分を客観視する能力が向上すると同時に自己受容力も上がっていきます。そうすると、興味を持てない自分を受容できて取り繕わなくなると同時に、仮に他人から嫌われても「自分の方も相手に興味が無いからしょうがないよね」と冷静に客観視して受け入れられるようになります。
 いずれにせよ、以前と比べれば心の落ち着きが増して、生きやすくなる日々が手に入るはずです。

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